第75話

文字数 2,545文字

 東條は推理を重ねる。
「よく見てください。袋の下の部分の角が不自然に折れ曲がっているでしょう? しかも両方共です。犯人は誤って青酸カリの塗られた割り箸を選ばぬように、目印として下の両端を折っていたんです」
 確かにと頷くと、明日香は「すると犯人は誰かしら?」と、もっともな質問を投げかけた。
 それに対しても東條は答えを用意していた。
「サムエルと紅平さんだ。紅平さんは毒と書かれたラベルの小瓶を持っていた。おそらく中身は青酸カリで間違いない。紅平さんはいつかこれを使って誰かを殺そうと画策していた。……ところが昨夜、俺が全員の武器を金庫に保管しようと提案を出した。紅平さんは焦ったに違いない。このまま瓶を金庫に入れられてしまったら、毒が使えなくなる。かといって蓋を開けて別の入れ物に移そうとすれば、どうしても痕跡が残ってしまう。もし、それが露見すれば、誰かを仕留める先に彼自身が窮地に立たされるのではないかと不安になった筈だ。……そこで紅平さんはサムエルに話を持ち掛けた。二人は共謀して瓶から毒を抽出し、どこかに保管していた。……もしかするとポケットに入れていたのかもしれない」
 そこでツバキは当然ように質問してきた。
「でも、瓶の蓋は開けられていなかったんでしょう? どうやってシールを剥がさずに中身だけを抜き取ったの?」
「確かに瓶にはコルクで蓋がしてあり、シールでしっかりと封印されていました。……ですが一つだけ方法があります……憶えていますか? サムエルの持っていた武器を」
 すると溝吉はピンときたらしく、「注射器や!」と声を張り上げた。
「あいつらはコルクの上から注射器の針を突き刺して中身を吸い取ったんやな!」
 両手の人差し指をピンを立てて、東條は溝吉に向けた。
「正解です。あの二人は仲が良かったから、紅平さんはサムエルの武器が注射器である事をずっと前から知っていたのでしょう。昨日あれだけ頻繁に目薬を差していた紅平さんが、今日は目薬を差すところを一度も見ていません。おそらく彼は目薬の中身を捨て、代わりに注射器で吸い取った青酸カリを注入していたのです。そして元の瓶には同じようにして注射器で水を入れておいた。……ところが持ち出してきた割り箸に毒を塗ろうとしたところで、重大な問題が発生したと考えられます」
「問題?」
 明日香は身を乗り出して東條を食い入るように見つめている。その愛らしい瞳に胸の奥が一瞬ドキリとしたが、平静を装い、問いに答えた。
「本当にその毒が効くかどうかだ。彼らはあの液体が青酸カリとまでは知らなかった。たとえ知っていたとしても致死量までは判らなかったに違いない。まさか実際に飲んで試すわけにもいかないし、かといって適当な分量で実験して、もし失敗すれば、今度は自分たちが疑われる。やるならば確実に仕留めないと意味はない。そこで彼らはあるものを利用した」
「……ま、まさか……そんな事って……」
 茫然として固まる明日香。彼女の瞳は涙で揺れた。
「最初は金魚を実験台にしようとで考えたのでしょう。しかし生きたままの金魚を盗み出すのは非常に困難です。夜中に忍び込むわけにもいかない。……そこでサムエルと紅平さんはエメラに狙いを定めた。……金庫の鍵をトイレに流した後、あの二人がロビーに残ったのは、計画を練るためだったのでしょう」
「そしてその計画は実行された……」ツバキはまぶたを閉じて下を向くと、これ以上聞きたくないとばかりに顔を背けた。
「彼らは少量でも確実に効果があることを確信し、青酸カリの塗られた割りばしを棚の引き出しへ仕込んだ。後は誰かが使うのを待つだけでいい。来栖沢先生はたまたま毒の塗られた割り箸を使用してしまったのです」
 溝吉はちゃぶ台に片肘を乗せ、感心しきりに呟いた。
「なるほど。無差別殺人っちゅう訳やな。……東條はん、もしかしたらあんたが死んだかもしれへんな」
「溝吉さん、あなただったかもね」溝吉のからかいに東條は言い返すと、「ともかくサムエルと紅平さんが共犯であることは間違いありません!」力強く断定した。
 明日香は左手の赤い首輪を眺め、涙を流し続けている。きっとエメラの事を思い出して、悲哀を感じているのだろう。慰めたいのは山々だが、掛ける言葉が見つからない自分に、東條は苛立ちを憶えた。
 溝吉は立ち上がってこぶしを振り上げる。
「狂暴そうなサムエルは別にして、あの爺さんがエメラを殺したとあっては捨ててはおれん。ワイが一発かましたろか!」
「あなた、エメラの事なんてそんなに可愛がっていなかったじゃないの」呆れ顔のツバキはそう言って溝吉を見上げた。
「そんなことあらへん。邪険にしているように見えたかも知れへんが、心の中ではちゃんと可愛がっとったんや」
 粋がっているものの、溝吉はその場を動こうとはしない。紅平はともかくサムエルに刃向かうのをためらっているのだろう。ツバキの手前、漢気のあるところを見せたかったに違いない。彼らしいといえば彼らしいのだが……。
「……これからどうするの?」涙をぬぐい、明日香は弱々しく口にした。
「今は向こうの出方を待つしかない。こっちから下手に出向いて、返り討ちにでもあったら元も子もないからな」
 
 溝吉を除いた三人はさすがに空腹を我慢しきれず、冷凍食品を各自選ぶとレンジで温め始めた。
 すべての割りばしを調べたが、あの一膳以外に細工が施されていたものは発見されなかった。だが、念のためコップに一匹だけ金魚を移し、箸でゆっくりかき混ぜ、毒が塗られていないことを確認した。幸いなことに変化は現れず、近業は小さなコップの中を悠々自適に泳ぎ続けた。
 命拾いをした金魚は明日香の手によって水槽に戻され、仲間たちと悠々と泳いでいる。

 味のしない食事会が終焉を迎えると、溝吉は体を震わせながら尿意を訴えてきた。
「東條さんも一緒にどうでっか? もしかしたらあいつらに襲われるかもしれんからのう」あいつとはもちろんサムエルのことだろう。やはりさっきの意気込みは見せかけだったようだ。
 判りましたと腰を上げたが、東條としても溝吉と二人だけでは心細く、明日香とツバキも誘ってみた。
 だが、二人とも首を振り、東條と溝吉は控え室の扉を閉めてその場を去った。
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