第66話

文字数 2,440文字

 男たちは一番手前の個室に集まり、注目を浴びながら東條が便器に鍵を落としてコックを捻る。水流が渦を巻き、鍵は瞬く間に吸い込まれていった。
 鍵を流し終えると緊張の糸がほどけたのか、皆リラックスした表情になる。
 控え室への帰り道、男性陣とツバキを加えた五人は喫煙所に寄った。明日香はそれを横目に見ながら控え室のある通路へと消えていく。

 五人は煙草をふかしながら雑談を交わし始めた。
 暗黙の了解のごとく、誰もイノセント・ゲームについて口にしない。もっぱら政治や経済――といっても誰々という政治家は不倫をしているとか、どこどこの会社は危ないらしいといった根拠の薄い下世話な話題ばかり。サムエルは理解しているのかいないのか、要所要所で頷いている。

 やがて芸能に話が及ぶと、テレビマン溝吉は水を得た魚のようにマシンガントークを繰り広げた。ことさら裏話を交え、嘘とも本当ともつかぬゴシップで盛り上がっていく。

 しかし話が途切れると、誰ともなく今置かれている状況についての会話へと移行していった。
「……それにしても、ギフトマンっちゅうオッサンは何を考えておるんかいの。ワイたちをこない辺鄙な映画館に誘い込みよってからに、イノセント・ゲームやなんてふざけた名前の殺し合いをさせるやなんて。まるでガキの遊びやないかい」危機感がないのか、他人事のような口ぶりだ。
 そんな溝吉とは対照的に、和菓子職人紅平は腹を立てた様子で勢いよく煙を吐いた。
「遊びにしては度が過ぎる! こちとらたった一日で四人も殺られとるんじゃで」
 紅平の主張は賛成できた。仮にゲームだとしても、ここにいる全員は何も知らされず、半ば強引ともいえるプロセスで集められただけだ。こんな悲劇が行われると知っていたら、例え大金が絡んでいたとしても、参加したとは思えない。
 実際に東條自身がそうだ。明日香に誘われなければ、こんなくだらないサバイバルゲームになんて来る気なんて起きなかっただろう。
 そこで東條は疑問を出した。「しかし、本当に犯人は一人なんでしょうか?」
「それはどういうこと?」ツバキは目を細めながら聞き返す。
「最初の犯行はホールの席に座った近藤さんがターゲットだったけど、昨日の推理でキャサリンが犯人じゃない事だけは証明されました。次の光江さん殺害の犯人は大沼君では無かったわけですし、来栖沢先生とツバキさんはその時、控え室に居てアリバイがあります。共犯だとすればそれも崩れますが、ツバキさんはともかく、先生がそれを承諾するとは思えない」
「あら、失礼ね。私が光江さんと手にかけたと?」言葉のわりには、それほど気にしている様子はなく、柔らかめの口調だった。
 軽く謝罪した後で東條は話を続ける。
「では大沼君を殺したのは誰でしょうか? 少なくとも紅平さんとツバキさん、そして腰痛の酷い来栖沢先生には不可能だったろうし、キャサリン殺しの犯人は左利きなので、右利きの来栖沢先生、溝吉さん、紅平さん、飯島さん、そして俺は犯人から除外されます――さて、ここで一度も容疑者から外されなかった人物とは?」
 その瞬間、ある人物に視線が集まる。
「サムエルじゃな。死んだ者がゾンビとして蘇らん限りじゃが」紅平は煙草の煙を吐き出しながら言った。
 サムエルは顔が紅潮し、鼻の穴を広げた。
 紅平は「まあまあ、そう興奮するな」となだめると、ロシア国籍の大男は急におとなしくなった。まるでサーカスのクマと調教師だ。

 東條は怯みながらも話を進めた。
「ちゃんと最後まで話を聞いてください。もしサムエルさんが全ての犯人だとすると一つ疑問が残ります。大沼君は昨日、サムエルさんから酷く追い詰められていました。にもかかわらず、彼の死んでいたトイレの個室のドアは開いていました。……そうでしたよね? 紅平さん」
 その時の記憶が蘇ったらしく、紅平は怯えながら眉間を歪めた。
「……そうじゃとも。わしが小便をしに入ったら、個室の扉が開いていて、あやつが目に入ったんじゃ。最初は眠り込んでいると思っておったが、それが死体だと判るとあまりの恐怖に腰が抜けたほどじゃ。思い出しただけで体が震えるくらいじゃぞ」言葉の通り身震いしているのを感じ取ることができた。
「私も扉を調べてみましたが、ドアの鍵は壊されていませんでした」東條は吸い終えた煙草をもみ消し「……という事は大沼君自身が鍵を開けたことになります。つまり犯人は扉を開けて、大沼君が出てきたところで犯行に及んだとしか考えられません。もしあの場にサムエルさんがいたとしたら、絶対に扉を開けなかったでしょう」
 そこで溝吉が煙草の灰を落としながらケチをつける。
「ちょっと待てや! サムエルが他の個室に隠れておって、大沼のやつが出てきてから殺したことも考えられるやろ」溝吉はサムエルに顔を合わせ「すまんな。別にあんたを疑ごうとる訳やないで」
 険しい表情のサムエルは荒い息を吐きながら肩を震わせている。
 東條は慌てて彼の弁護に回った。
「それは考えにくいですね。大沼君はサムエルを警戒していたはずです。他の個室にも当然注意を払らったでしょう。そこに誰かが入っている気配を感じれば、また個室に戻ったはずです。仮に俺が大沼君の立場なら、みんなが起き出すであろう朝まで待ちます。その方が襲われるリスクが低いからです」
「だからサムエルは犯人じゃないと?」ツバキは二本目の煙草に火をつけた。
「そうです。おそらく大沼君は自らの意思ではなく、誰かから誘われて個室から出たと考えるべきです」
「その誰かとは一体誰やねん」
 東條は、判りませんと首を振るしかなかった。
「だったら容疑者に当てはまる人物は誰も残ってないやん!」溝吉は呆れるように煙草を投げ捨てた。
「ところがそうとも限らないんです溝吉さん。ここまでの推察は、あくまでも

の話ですから」
「つまり……犯人は一人やないと?」溝吉は顎を撫でながら低いトーンでいった。
「そういうことです」
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