第42話

文字数 1,870文字

 匂いに釣られたわけではないだろうが、突然扉が開き、テレビマンの溝吉豊と売春婦のツバキが二人お揃いで入室してきた。倉庫での如何わしい雰囲気から、東條は良からぬことを想像して、何となく目を合わせづらい。
 開口一番、溝吉は「なんかええ匂いしとるな。ワイにも恵んでくれや」と腹をさする。ツバキも「私の分も頂けるかしら」と口角を挙げた。
 明日香がインスタントラーメンや冷凍食品があることを教えると、溝吉はまっすぐ冷蔵庫に飛びつき、冷凍パスタのナポリタンをチョイスした。ツバキも彼に続いて冷蔵庫を覗くと、少し逡巡した様子で、冷凍パスタのカルボナーラを手にした。

 加熱調理の済んだパスタを、ツバキがタオルで支えながらちゃぶ台に並べた。溝口がプラスチック製のフォークをナプキンの上に置くと、「まさか毒が入っているんやないやろな?」と毒づき、ロープを畳の上に投げやり、足を伸ばしながら座布団を引き寄せた。
「だったら食べなきゃいいでしょう? あなたの分は私が貰うわ」
 ツバキが二つの皿を引き寄せると、溝吉は慌てて引き戻す。
「誰も食べへんとは言うとらんがな」
 渋々といった格好でフォークを振り上げ、溝吉はものの数分で平らげた。
「結構イケるやないかい。冷凍パスタもたまにはええな。だが量が足りひん。あんなんで腹は脹れへんで」溝吉は膝を叩き、腰を上げる。
「あれ? 毒が入っているんじゃなかったの? それにみんなの分もあるんだから、少しは自重しなさい」と、ツバキは右の眉を吊り上げた。
「何言うてんねん、飯は早いもん勝ちや。それにもし毒が入っとったってワイはかまへんで。満腹で死ねるなら本望っちゅうことや。少なくとも背中から拳銃で撃たれるよりかわな」
 一瞬で場が凍り付いた。嫌が応にも近藤の死体が頭に浮かぶ。この男、相変わらず空気を読むことが出来ないらしい。
 さすがに腹に据えかねたのか、「余計な事を言わないでください! もうこれ以上誰も死にません!」明日香は真顔で叫んだ。
 何が悪いと言わんばかりに、溝吉は余裕の表情で白眼鏡のフレームを軽く持ち上げる。
「えろう自信満々やな。姉ちゃん、気づいてないかもしれへんが、とっくにゲームは始まってるんやで。なのに誰も死なないなんて、なぜそう言い切れる?」
「それは……」明日香は口ごもった。おそらく根拠など存在せず、希望的観測を述べているだけに過ぎないと思われる。
 それを見かねたらしいツバキは毅然と物申す。
「そんなことも判らないの? 誰もそんなバカな事を考えないからよ。もしみんなが殺し合いをして、明後日の正午になったとしても、ギフトマンが必ずしも十二億円もの大金を用意しているとは限らないわ。もしかしたらこのままずっと閉じ込める気なのかもしれないし、全員殺されないという保証もない。仮にギフトマンの言葉通りで、賞金を受け取って解放されたにせよ、人殺しの罪は一生消えないのよ。たとえ逮捕されなかったとしても、一生、業を背負い続けなければならない……そんなみじめな人生を望む人が何処にいると思うのよ? ……それより東條さんの言う通り、みんなで協力してこのまま明後日を迎えるのが最適解と思うわ。たとえここから出られなかったとしても、その内に携帯の電波が通じるかもしれないし、みんなでアイデアを出し合えば、きっと脱出の糸口が掴めるかもしれないわ」
 すっかり興奮したツバキの肩を叩きながら、東條は「これは来栖沢先生の推測なんですけど……」と前置きしたうえで来栖沢の唱えた説を伝えた。
 イノセント・ゲームがただの目くらましにしか過ぎなくて、実際はテロが起きている可能性を示唆した。
 話し終わると、何か付け加えることはないですかと来栖沢に確認したが、特にないと首を振った。

「マジか……」
 ポツリと呟いたまま、溝吉は言葉が出ないようだった。まるでさっきの発言がなかったかのごとく飄々と室内を見廻すと、隅にうずくまるエメラを見つけるや、急に関心を寄せた。
「なんちゅう可愛い猫や。おいドラ猫。パスタ食うか?」ツバキのカルボナーラを一本つまみ上げると、一歩ずつエメラに近づいていく。
「ドラ猫じゃなくてエメラよ」明日香は鼻息を鳴らさんばかりの勢いで訂正を入れる。
「エメラ? 変わった品種やな。まるでガメラみたいや。襲われる前に退散や」溝吉の足がピタリと止まり、大げさに後ずさりした。東條は自分と同じ発想に苦笑いする。
「品種じゃなくて仔猫の名前。今は眠っているから判らないかもしれないけど、瞳がエメラルドグリーンだからエメラよ」明日香は訂正を重ねた。
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