第24話

文字数 2,579文字

 そこで溝吉が声を上げた。
「そやかて、三人のうちのXの男とYの女は判るとしてもや、東條はんはZの姿を見とらんのやろ? 最後の一回が必ずしもZとは限らんやろ。ホールにいた誰かが出て行ったとは考えられへんか? 例えばトイレとか煙草とかや」
 東條は右手を掲げながら全員に質問した。
「この中で、途中で退席した人はいますか?」
 しばし時間を空けるが、互いに顔を見合わせるばかりで、手を上げようとする者は一人もいない。言い出しっぺの溝吉はばつが悪そうに、苦笑いを浮かべながら押し黙っていた。
「……やはり誰もいないようですね。当然です。もし誰かがホールから出て行ったとすれば、その人物はずっとシアターホールの外にいたことになります。溝吉さんの言う通り、トイレまたは喫煙所かもしれない。いずれにしても四回目の扉が開かなかったことを考慮すると、その人物がホールに戻ったとは考えにくい。正午が迫っているにもかかわらずです。ということは必然的に三回目の扉が開いた時に入場してきたのはZということになります。まさか空気の入れ替えをするために、誰かが扉を開閉したとは思えませんからね」
 そこでツバキは妖艶なくすぐりを投げかける。
「素晴らしいわ、見事な推理ね。本当はシステムエンジニアじゃなくて、探偵さんだったりして。今度私のお店でゆっくり聞かせて頂戴。あなたのすべてを」
 鼻の下が伸びそうになる東條だったが、明日香の手前、グッとこらえて咳払いをする。
「……ゴホン。ま、まずは館内にいる参加者全員を集めましょう。それから変な気を起こす人が現れないように一致団結し、共に二日間を乗り越えようではありませんか!」
 政治家のような東條の演説に、他の六人はほだされたようで、次々と拍手が巻き起こった。

 その音を聞きつけたのか、数秒もしないうちに三人の人物がロビーに現れた。
 それは年配の男性と外国人の男女だった。
 女性の方は東條たちの後方の席に座った、Yと思われる人物。ショートがよく似合う金髪の美女だ。年齢はツバキと同じ、三十くらいに思えるが、外国人の歳は良く判らない。澄んだ青い瞳に透き通るほどの白い肌。ナチュラルピンクのルージュが特徴的のメイクに黒のスーツ。下も同色のスラックスだった。不自然に膨らんだウエストポーチがスーツに似合わないちぐはぐな印象を得た。その独特のセンスが気にならない訳ないが、それでも彼女が醸し出す可憐ないで立ちの前には些末なことだといえる。

 金髪美女の左隣に立つ外国人男性はかなりの高身長で、目測で二メートル弱はありそうだった。ホール内で東條たちの斜め前に座っていた男だとすぐにピンときた。体格もしっかりしており、おそらく意味の判っていないであろう『縁日』と書かれた黄色のTシャツを着用しているのが苦笑を誘う。袖から生えている樽のような太い腕は、まるでプロレスラーを思わせる風格があった。紫色の半ズボンからも、すね毛だらけのパンパンな足が伸びていた。ソフトモヒカンの茶髪はイギリスの有名サッカー選手を匂わせるが、残念ながら彼ほどイケメンではなく、口を覆うもじゃもじゃの髭と垂れ下がった目尻は、むしろサンタクロースのような雰囲気を出していた。
 どうやら機嫌が悪いらしく、それを隠そうともしない。翡翠のような緑色の目を剥きながら金髪美女に向かって、ロシア語らしき文言を一方的にぶつけていた。

 もう一人は年配の男だった。
 彼は困惑色の顔つきで、「誰かロシア語が話せる奴はおらんか?」と、しきりに助けを求めている。色の薄いブラウン縁の眼鏡をかけており、サイドに若干残る白髪以外、見事に禿げ上がった小男である。おそらく来栖沢医師より年上で、還暦をとうに過ぎているのは間違いない。だが、まっすぐに伸びたその背筋は、腰をかがめさせて、へたっている来栖沢に比べ、むしろ若い印象であった。
 白地に深緑のボーダーシャツに黒の長ズボン。小柄な上に幅広くだらしない体形をしており、顔中に刻まれた深いシワと無数にあるホクロに、灰色の無精ひげが逆に年長者としての貫禄を漂わせている。
「おい! 誰かロシア語ができる奴はおらんのかと聞いとるんじゃ。こちとら江戸っ子じゃで、こいつのいうことなんぞわかりゃしねえ。こっちの外人の姉ちゃんはまだ聞き取れるみたいじゃが、それでも手を焼いておるようじゃ」
 顔を紅潮させた年配の男は、東條たちの輪の中へ、腹立たし気に割り込んできた。だが、誰も返事をしないところを見ると、つまりはそういうことだろう。先ほどまで饒舌だった溝吉でさえ、話しかけるなとばかりに、壁に貼られたポスター群に目を向けていた。
「エクスキューズ。どなたかラシアンをスピーキングな人いますか? ミーにはリトルしかワカリマセーン」金髪美女はほとほと疲れ切っている様子。
 ロシア語なんてちょっとどころか全く判らないのだが、困っている女性を放ってはおけない性分の東條は、無謀にも金髪美女の前に歩み出た。
「お困りのようですね。あいにくロシア語は不得手ですが、何かできることはありますか?」
「フエテ?」彼女は首を傾げ、言葉を発した人物を見やる。ちょっと難しい言い回しだったかなと、東條はすぐさま言い直した。
「ああ、苦手という意味です。ウィークポイントって言えばいいのかな。ちょっと違うかもしれませんけど」
「Ohサンクス。ヒーはアングリーでイグジットはウェアーだと嘆いてマース」
「つまり、『彼は怒っていて、出口はどこだと嘆いている』訳ですね」
 ロシア語どころか、この外人女性の片言の日本語にも苦労する始末。しかし片言のくせに嘆いているなんて言葉をよく知っているなと、東條は感心せずにはいられない。英語が得意なはずの明日香に助けを求めたが、彼女は何故か知らんぷりで、ベンチに腰を下ろしながらスマートフォンをいじっていた。電波は入らないはずなので、おそらくゲームでもしているのだろうと推測した。
「Good!」
 親指を立てる金髪美女。彼女を通訳として間に入ってもらい、身振り手振りを交えて出口が無い事を説明すると、ようやくプロレスラー風の男をなだめすかせる事に成功した。
 プロレスラーは金髪美人と一緒にベンチへと座り込む。二人とも気落ちした様子で互いに肩を叩き合いながら、英語とロシア語を交えながら会話を始めた。
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