第77話

文字数 2,086文字

「さっきの悲鳴は何? もしかして、また誰か犠牲に?」心配げな瞳で明日香は顔を向けてきた。
 紅平に脅かされた時に発した悲鳴がここまで届いていたらしい。照れくささのあまり、東條は頭を掻いた。溝吉はそんな声なんか出しとらんとシラを切った。
 二人の前に腰を下ろし、紅平が罪を認めたことを告げると、彼女たちは悠然と立ち上がる。
「そんなんじゃ納得いかない! 土下座でもしてもらわないとこっちの気が収まらないわ!!」
 明日香は激しい言葉を吐き、自分の手のひらにこぶしを叩きつける。ツバキもご立腹のようで、眉を吊り上げながら左手で苛立たしげに髪をかき上げた。
「そうよ! 男なら正々堂々と謝りに来るのが筋ってもんでしょう? エメラが殺されて、どれだけ悲しい想いをしたと思っているのかしら。先生じゃあるまいし、腰が痛いって言い訳なんて私たちには通用しないわよ!!」
 明日香とツバキは素早く靴を履き、猛烈な剣幕で控え室を出て行った。
「おーい、先に小便済ませろや! チビっても知らんぞ!」
「バカ!」
 ツバキの吐き捨てる声が聞こえた。

 東條は不意に金魚の事が気になった。溝吉もそれを察したらしく、顔を見合わせると二人して水槽を覗く。
 一匹、二匹……数え上げると全部で六匹になっていて、再び顔を見合わせた。また一匹消えたことになる。
 先ほど、喫煙所で今回の事件が複数犯であることを推理した東條だが、それは勘違いだったのだろうかと首を捻る。
 殺人を犯した者も、殺される側になってしまった者たちも、それぞれ必死だったに違いない。全員が金魚の事なんて気にする余裕なんてないだろう。殺人者と見立てのために金魚を消し続ける人物とは別人なのだろうか?
 だとすれば東條以外のメンバーは、目前の溝吉はもとより明日香を含めて全員がギフトマンの仲間ということになる。そう解釈するとこれまで起きた事件もすべて辻褄が合うように思えた。
 しかし、もしそうだとすると、どうしても謎が残る。
 たかが一人の平凡なエンジニアに、何故こんな大掛かりな茶番を行わなければならないのだろう。しかも現実にこれまで五人の人間と、一匹の猫が犠牲になっている。そこまでして、一体何のメリットがあるというのだろうか?

「七時か。そろそろニュースが始まる時間や」時計をチラ見した溝吉がテレビをつけると、ちょうどアナウンサーが始まりの挨拶をしているところだった。
 トピックスによると、今回も映画館に関する報道はないらしい。だが、東條は特に気落ちしない。期待して落胆するくらいならと、昨夜の時点で諦めていたからだ。

 紅平の話では、サムエルは映写室にいるらしい。
 ――彼は今頃どうしているのだろうか?
 エメラを葬ったことに反省して、謝りに来るとは到底思えない。もしかしたら、明日の正午まで居座るつもりなのかも……。

 明日香とツバキが控え室を勢いよく飛び出してから十分ほど経過した頃、突然彼女たちの悲鳴が聞こえた。
「あいつらも紅平にしてやられたんやな。ちゃんと先に小便を済ませたんかな。……なあ東條はん?」
 聞こえないふりをし、東條はさして興味の湧かないニュース番組に視線を固定した。

 突然ドアが開け放たれると、蒼白い顔をした明日香がゆらゆら入ってきた。
「……お願い、一緒に来て……」
 明らかに様子がおかしい。真っ先に思い付いたのはツバキの安否だった。まさかサムエルか紅平に襲われたということは無いだろうが、念のために来栖沢が杖代わりにしていた丸い木の棒を手に取ると、東條は明日香に促されるままロビーへ向かう。面倒くさいといいながら溝吉も後に続いた。

 通路を曲がると、そこにはベンチに座り迷子の仔犬のように怯えるツバキの姿があった。東條と目が合うと、震える腕をゆっくりと横に伸ばし、指先を奥に向けた。
 そこにはさっきと同じ姿勢の紅平がベンチの上に横たわっている。さっきと同様、口を広げたまま目を開けていた。
 だが、近づいてみると首元が青紫色に変色しているのが確認できた。
 全身に鳥肌が立つのを感じると、つばを飲み込みながら紅平の顔を覗く。
 彼の瞳は明らかに光を失っていた。
 口に手を当てるも呼吸をしている気配はなく、念のために脈を計ってみようと腕を取るが、動脈を探すまでもなく、石のごとく冷たくなっていた。
 首のあざは明らかに人の手によるもので、その大きさからサムエルであることは明白だった。

 東條は声を出さずに首を振ると、再びツバキの悲鳴がこだました。断末魔の叫びのように聞こえてならない。
 おそらくサムエルは先ほどの会話を盗み聞きしていたのだろう。ここで身を隠すとすれば一か所しかなく、東條は売店に顔を向けた。
 紅平はサムエルと喧嘩したと話していたが、実はそれこそが彼らの作戦であり、サムエルはこっそりと売店に隠れて誰かが通るのを待っていたに違いない。トイレにはロビーを通らざるを得ないから、ここで待ってさえいれば必ず誰かは通過しなくてはならないからだ。
 つまり、ロビーを訪れたターゲットを紅平がわざと驚かせて、その隙に背後からサムエルが絞め殺す計画だった。
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