第16話

文字数 1,578文字

 ロビーに入った途端、飯島明日香の表情が一変した。
 ついさっきまでの陽気な雰囲気とはまるで逆の、これからお化け屋敷にでも入るような真剣な顔つきで、東條隆之の肘を掴むその手は確かに震えている。
 無理もない。いくら虚勢を張ったところで不安を隠せるものではない。男である東條すらも逃げ出しそうなくらいなのだから、彼女の怯え具合は相当なものだろう。
 人影のないロビーは埃っぽさがあるものの、外見の印象に比べれば、それほど汚れてはいない。
 壁には映画のポスターがずらっと貼られていて、どれも黄ばみがあることから、相当前から変えられていないのが判る。
 コンクリートの床は一応ていねいにモップ掛けされてあるらしく、光沢があるとまでは言えないが、それなりの清潔感があった。壁沿いとロビーの中央に、背もたれのないベンチが並べられている。あちこちに擦り傷の入った黒いクッションカバーが申し訳程度に盛り上がっており、所々、破れ目から黄ばんだスポンジ状のクッションがはみ出していた。
 入口からすぐ右の壁際に背丈ほどの観葉植物が複数置かれている。営業を停止してから結構な期間が経っているはずなので、おそらく主催者が今回のために用意したと思われた。
 ロビーの奥には売店があった。だが、そこにひとの姿はなく、営業はしていないようだ。
 シアターホールへの出入口には扉の上にデジタル時計があり、現在十一時二十四分を指していた。受付嬢の告げた上映まで、もう間もなくだ。
 一気に緊張が高ぶると、途端に両足が震えだし、今からでも引き返せないものかと明日香を向く。だが、彼女は覚悟を決めたらしく、意気揚々と入場を急かしてきた。ここまで態度が変わる人種も珍しく、きっとそれだけ情緒不安定なのかもしれない。
 ここまで来て今さら後戻りはできないと腹を決め、勇気を振り絞る。
 アタッシュケースを持つ手に力を込め、東條はシアターホールへの扉を押し開けた。防音対策のせいかそれなりに厚さがあり、一枚扉の割には音が漏れにくい構造となっている。

 薄暗いホールに光の筋がコンクリートの通路を仄かに照らす。中にはゲームの参加者とみられる十名ほどの人が座席に腰を下ろし、そのうち半数近くがふたりの方を振り向いた。
 突然注目を浴びた東條は、ためらいを憶えて体が硬直してしまう。
 数秒も経たないうちに正面のスクリーンに身体を戻し、東條は安堵しながら扉を閉めた。明日香は、早く席に着きましょうとせっついてきたが、東條はその前にホール内を観察することにした。これから何が行われるのか判らないだけに、出来るだけ慎重にならなければと判断したためである。

 床はロビーと同じコンクリートの打ち放し。一般の映画館と違い、観賞しやすいようなスロープにはなっておらず、完全な平面となっていた。そのせいか、前席との間は通常の映画館より二倍近く離されており、空間効率はお世辞にも良いとは言えなかった。
 とはいえ、こんな田舎では観客も少ないだろうから、それでも構わないのだろう。
 座席にしても期待にそぐわず、クッションはパイプ椅子並みの造りで、ここでも明らかなコストダウンを垣間見ることが出来た。消音のためのカーペットが敷いてある訳でもなく、まるで体育館に椅子を並べただけのような寒々しい設計になっていた。
 屋根を打つ雨の音がやたらと響いているので、防音設備も大して施されていないであろうことは容易に想像ついた。これでは今日のような豪雨の日は映画に集中できないのは間違いない。
 これで映画館を名乗っているのだから高がしれている。外見に体育館の印象を持ったが、もしかすると本当にそうだったのかもしれない。潰れて当然だ。
 床はともかく埃の目立つ売店からも推察できる通り、普段は閉館していて、今日のようなイベントの時だけに貸し切りで運営しているのだろう。
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