第39話

文字数 1,137文字

    * * *

 映写室で東條が未知との遭遇を果たしていたちょうどその頃、控え室では来栖沢栄太医師が胡坐(あぐら)をかきながらテレビを視聴していた。彼はチャンネルを回しながらため息を吐く。国営放送はおろか、民放のどの番組も、この映画館に関するニュースを取り上げていなかったからだ。
 仕方なく将棋の対局をぼんやり眺めていると、妻の光江はお湯を注いだばかりのカップ麺と、袋に入った割り箸をちゃぶ台の上に置いた。
「お待ちどうさま。あまり食欲が湧かないでしょうけど、何か食べないと明後日まで持ちませんよ」
「食欲がないのはお前の方だろう? わしはさっきから腹が減っておる!」
 そう言いつつ、三分が経過しても、二人とも手を付ける気配はない。
 さらに一分が経ち、さすがに勿体ないと来栖沢が蓋をめくると、香しき香辛料の匂いが立ち込め、彼の腹の虫が鳴った。
「ほら御覧なさい。伸びないうちにいただきましょう」光江も箸を持ちながら、両手を合わせていただきますをした。
 静かな食事会が始まった。ブラウン管の中では、藤井聡太棋士が王手を指したところだった。
 麺を数回すすったところで、光江は夫に話しかけた。
「ところであなた。あの件はいつまで内緒にしておくつもりですか?」
 不意の問いかけに、来栖沢は口に含んだ麺を噴き出しそうになった。
「……誰にも話すつもりはない。あと一日ちょっとの辛抱だから、お前も決して口にするな」
 判りました軽く頭を下げると、光江は箸を止めて、ふうと息を吐いた。そして今の話がなかったかのように――。
「あまり美味しくはないですね。インスタントは食べ慣れているはずなのに……やっぱりこの環境がそうさせているのかしら」
 きっと光江の言う通りなのだろう。夫は箸を進めながら顔をしかめる。このところロクな食事をとっていない。それもこれもアレが全ての元凶だった。
 光江の身に着けている宝石類もすべてイミテーションで、本物は全て質屋で換金していた。
 来栖沢は自分のカップ麺を平らげると、半分ほど残っている光江の分まで胃袋に落とし込む。
 最後に冷めたお茶で流し込むと、光江の方へ向き直り、こともなげに口を開いた。
「……なあ、やっぱりみんなに打ち明けた方がいいだろうか? このまま隠し立てしていても、いずれはバレてしまうだろうし……だが、ここに来た目的まで明るみになった暁には、あの近藤という男を殺めた犯人だと疑われるだろう。それだけはどうしても避けねばな」
 扉を気にしながら声を落とし、夫妻はこれからのことについて話し合った。テレビから流れる映像は将棋の対局が終了し、天気予報となっている。

 二人の会話がひと段落した頃。ノックが鳴り、光江が「どうぞ」と返事をすると、控え室の扉が勢いよく開かれた……。
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