第65話

文字数 2,606文字

 サムエルは腰からダークブルーのケースを取り出し、素早く蓋を開けた。中からガラスの筒のような物を取り出し、明日香に向かって振りかざす。
 よく見るとそれは注射器だった。何か危険な薬品が入っているのだろうか?
「危ない!」東條は無我夢中で怒れるロシア人にタックルすると、注射器を畳の床に落とす。
 東條は反射的に右足を伸ばすと、勢いよく踏み割った。
「痛っ!」
 足の裏に鋭い痛みが走る。
 胡坐をかき、血の滲む靴下を脱いだ。
 明日香はバッグからハンカチを取り出すと、流し台で洗い、濡らしたハンカチを軽く絞る。東條の右足の裏を丁寧に拭きながら、明日香は「ありがとう、助けてくれて」と感謝を述べた。
 東條は男として当然だよと言わんばかりに笑顔を咲かせている間に、来栖沢がハンカチを包帯代わりに東條の足へと巻きつけた。
 サムエルは冷静さを取り戻したらしく、東條と明日香に頭を下げた。
 ツバキは箒で砕け散った注射器を集め、それを紅平がちり取りで受けた。
 割れた注射器には薬品が入っていなかったらしく、畳は濡れていない。
 後から来栖沢医師に訊いたところによると、血管にうまく空気を注入すれば、血液の中の血小板と呼ばれる成分が凝固して、血管が詰まり心不全が起こる場合があるそうだ。

 今後を危惧した東條は、昨夜掲げたアイデアを再び提案した。
「どうですか皆さん。やはり各々の武器を金庫に入れませんか? 反対する気持ちも判りますが、よく考えてみてください。近藤さんは彼自身に与えられたと思われる拳銃によって銃殺、光江さんは大沼君のナイフによる刺殺、その大沼君は溝吉さんのロープによる絞殺、そしてキャサリンは飯島さんのアイスピックによる刺殺――すべてギフトマンから与えられた武器によって殺害されています。これ以上悲劇を繰り返さないためにも、すべての武器を封印する事こそが、生き残るための唯一の道であると私は考えます。例えこの中に殺人犯がいたとしても、武器に手が出せない以上、人殺しを続けるのは不可能ですから」
 昨夜と違い、反対する者は現れなかった。
 だが溝吉だけは東條に噛みついてきた。
「だがその鍵は誰が持つんや? そいつが武器を自由に出し入れして、変な気をお子さんとも限らへん。ワイは誰も殺しとらんし、これからもそんな気は起こさんから預かってもええで。みんながそれで納得するならな」
 サムエルも同意見のようで、ずっと頷いている。通訳を失ったにしては話が通じているようであった。溝吉とサムエルは二人とも自分の武器を失っているのだから、神経が過敏になっているのかもしれない。
 そこで東條は、皆が納得できると思われる案を口にした。
「鍵はトイレに流します。みんなはその様子を一緒に確認するといいでしょう。どうせ必要がないのだから、あっても無用の長物です」
「わしは持っていて構わんかな? これが無いと、どうにも不便でな」
 ――そうだった。来栖沢は彼の武器である警棒を杖代わりにしていたのだ。
 返事に躊躇していると、明日香が急に立ち上がり、「ちょっと待って」と言葉を残し、控え室を出て行った。

 五分経ち、十分が過ぎようとして皆が苛立ちを憶える頃、明日香は息を切らせながら戻って来た。右手には丸くて細長い木の棒が握られている。
「以前、映写室を調べた時に見かけたの。これなら杖代わりとして充分じゃないかしら?」
 言われて東條は思い出した。たしかに棚に立てかけられた木の棒が眼にとまり、その時は何のためにと疑問を抱いたのだった。たしかにこれなら警棒の代わりに杖として使えそうである。だが、わざわざ警棒と交換する意味はあるのだろうかと首を捻らざるをえない。
 当然、他のメンバーも東條と同じ疑問を抱くだろう……と思えたが、誰も反対しないところをみると、みな納得した模様である。東條もここで余計な波風を立てまいと、敢えて黙っておくことにした。

 明日香から棒を受け取った来栖沢は、満足げな表情を浮かべながらそれを東條へ手渡す。
 溝吉のロープ、明日香のアイスピック、東條のフライパン、来栖沢の警棒、光江の金づち、ツバキのナタ、キャサリンのスタンガン、そして最後に紅平の小瓶――。
 死体から回収されたものを含め、各々の武器がちゃぶ台の上にのせられた。
 近藤のものとみられる空の拳銃と大沼のサバイバルナイフは金庫に入ったままになっているので、これですべてがそろったことになる。
 小瓶に関しては毒と思われる中身が入ったままだが、昨日と同じくコルクの上にシールが貼られ、封印がされてある。無論剥がされた形跡はない。
 スタンガンはバッテリーを抜くべきだと提案したが、調べてみると一体型になっており、取り外すことが出来ない仕組みになっていた。

 それぞれの視線が集中する中で武器が金庫に収められ、東條は両手でゆっくりしっかりと扉を閉めて鍵を掛ける。レバーを握り、完全にロックされていることを全員が確認した。

 腰の不調を訴える来栖沢を残した六人でトイレへと移動する。控え室の流し台でも良いじゃないかという意見も挙がったが、排水溝が狭すぎて通りそうもなく、早々に却下となった。
「もし、不安でしたら携帯で流す様子を動画で撮影しましょうか?」と、東條は問いかけたが、来栖沢は「そこまでしなくても、あんたらを信用している。まさかみんながグルってわけでもあるまい」と苦笑しながら手を振った。バッテリーの残量が心もとなかったので、東條は内心ほっとした。
 エメラは部屋の隅で丸くなり、前足で小刻みに顔を撫でていた。

 右手をまっすぐに伸ばし、東條は他の人たちから見えるように金庫の鍵をぶら下げながら通路を歩いていく。そこまでする必要は無いかもしれないが、隙を見てすり替えのできないようにするためで、少しでも疑惑を持たれないように配慮した結果だ。
 痛みの残る足裏のせいで歩くのが辛いが、それでも平気を装いながら歩を進めていく。

 トイレの前に到着すると、明日香とツバキは二人とも入り口の前で腕を組みながら壁にもたれかかった。彼女たちの言い分は「こんなに大勢だと、流すところなんかどうせ見えないでしょ?」だった。
 もっともである。だったら初めからついてこなければいいのではとの考えもよぎったが、彼女らもここにきて気が付いたに違いない。大沼和弘が殺された男子トイレに入るのも抵抗があることも否定できないだろう。
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