第12話

文字数 2,610文字

 時間が気になり、スターウォーズのポスターの右側にある壁掛け時計に目を向ける。時刻は九時半過ぎで、待ち合わせのメールを送信してから四十分しか経っていない。メールには一時間くらいかかるとあったので、少し早すぎたかなと、東條はあの時と同じオリジナルブレンドコーヒーを注文する。もう十一年も経っているのに、当時のメニューを憶えているのは自分でも意外に思えた。
 灰皿を手前に引き寄せて、この日二本目の煙草を嗜む。最後の一本だったので、後でコンビニに立ち寄り、購入しなればならない。ぎゅっと空箱を握りつぶしたところでドアが鳴った。
 背中越しに「ごめんなさい。待った?」鼓膜が揺れ、色めき立つ。来店してからまだ十分も経っていない。
 振り返ると同時に視線が重なり、アイコンタクトをするまでも無く隣の席に座るよう促した。意外な事に昨日と全く同じ服装――赤いワンピースを着ていた。もちろんそれは東條も同じなのだが、それはホテルに外泊したためであり、彼女のそれとは話が違う。
 明日香は言い訳するように、
「昨日、あれから家には帰らず、友達のアパートに泊めてもらったの。もちろん女友達よ。彼女は中学からの幼馴染で……」訊かれもしないのに一気にまくし立てる。
 要約すると、普段から仲が良く独り暮らしの女友達のアパートに頻繁に出入りしていて、いきなり押しかけても大丈夫ということだ。ただし、宿泊料として必ずワインなどのアルコールを持参しなければならないそうだが。

 話が終わると、喋り疲れたのか急に黙り込み、明日香は欠伸を噛み殺しながらメロンソーダを注文した。
 カプセルサウナで一泊したこと伝えると、禿げ頭の中年オヤジに大事なところを触られそうになった話に差し掛かったところで、明日香は両手を叩いて笑い声をあげる。マスターも視線をそらしつつ、コップを磨きながらクスリと口元を緩めた。
「ところで今日は時間あるの?」グラスに挿したストローをかき混ぜながら、明日香が不意に訊ねてきた。こっちから訊きたいところだったので、相性の良さを感じずにはいられない。
「今日中に東京に帰らなくちゃいけないけど、夕方までなら平気さ……明日香は?」
 思い切って呼び捨てにしてみた。少し早すぎるきらいもあったが、今後フランクに接するにはこれくらいのタイミングのほうが丁度いい。
 案の定、明日香に訝しがられる様子もなく、
「私は全然大丈夫よ。雨が降っているから、映画でも観る?」と誘ってきた、嬉しいことに彼女も映画は苦手ではないようだった。
 しかし、映画というキーワードを耳にして、今朝の奇妙なメールが頭をよぎった。打ち明けてみるか悩みどころである。だが、『どうせイタズラよ』などと笑い飛ばされるのが関の山。ここは敢えて別の提案を持ちかけて、反応を窺うことに――。
「映画もいいけど、今日はそんな気分じゃない。代わりに水族館なんかどうだい?」
 すると明日香の表情は強張った色に変わり、ハンドバッグからスマートフォンを取り出すと「ちょっとこれを見て」とメール画面を東條にかざしてきた。
 目を見張るとはこの事だろう。急速に鼓動が早くなった。そこにあった文面こそが、今朝東條の元に届いた迷惑メールと同じだったのだ。
「……これ、どう思う?」
 首を傾げる明日香に、東條は自分のスマートフォンを見せた。もちろんあのメールである。明日香も今朝届いたばかりなのだという。着信時間もほぼ同じなので、一斉送信だと思われた。
 あまりのことに言葉が見つからず、返事が滞ってしまう。動揺を見せる明日香は、残りのメロンソーダを一気に飲み干すと、再度その画面を食い入るように見つめ直した。
 やがて目を離して溜息を吐くと、ぼそりと口を開く。
「……実は私、このゲームに参加しようと思うの。今日誘ったのも実はその為よ。」
 どうしてと訊くより先に明日香が声を潜ませながら言葉をつづけた。
「……実は……一年ほど前に、派遣先の会社で横領したの。大した額でなかったけど、罪は罪。当時付き合っていた彼氏がいて、金を無心されて断れなかったの。最初は貯金を切り崩していたんだけど、それだけじゃ足りなくて、親にも借金して、そのうち闇金にも……夜の店で働くことも考えたけど、どうしてもできなかった……それでつい魔が差してしまったの。……あとはお察しのとおりよ。これ以上工面できないと泣き付いたら、当然のように音信不通になった。最近になって知ったけど、彼氏にはずっと前から妻子がいたってお決まりのパターンね……メールの送信者が握っている秘密が何なのか判らないけれど、もしその事実が公表されれば、とても仕事なんて続けられないわ」東條の眼をしっかりと見据え、明日香は念を押すように言った。「ここだけの話だから、絶対に誰にも言わないでね」

 ――だからといって……。
 もしこのメールが本当だとしても、こんな胡散臭いゲームに裏が無いはずがない。まさか命までは取られないだろうが、それなりの覚悟はしなければならないだろう。
「気持ちはわかるけど、俺は反対だな。所詮はメールだ。選ばれた者と言いながら、きっと不特定多数の人たちに向け、ランダムに送りつけているに決まっている。きっとノコノコ映画館にやって来たカモから、あの手この手で大金を巻き上げようって算段だろう。だってそうじゃないか? たまたま出逢った俺たちが同じメールを受け取るなんて、そんな偶然ある訳がない。こんなの詐欺に決まっているさ。……それなのにわざわざ出向くなんて、騙されに行くようなものさ」わざとおどけながら話を逸らす。「こんなメールなんて無視して、ショッピングにでも行かないかい?」
 しかし明日香は首を振り、緊張の色を変えようとはしない。彼女の腹はすでに決まっているのが、その仕草から見て取れた。
「……良かったら一緒に来てくれない? もしあなたに断られたとしても、私は一人でも行くつもりよ」
 言葉とは裏腹に、その瞳には涙が光っていた。心細い気持ちが手に取るように伝わってくる。
 よし! とばかりに膝を叩くと、東條は一世一代の漢気を見せた。
「判った! 俺も一緒にいくよ。その代わり、もし途中で少しでも危ない空気を感じたら、その時は一緒に逃げよう。それが条件だ。約束できるかい?」
 ゆっくり頷くと、明日香は東條の手を固く握る。柔らかく暖かな感触を確かめながら、その手をしっかりと握り返した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み