第6話

文字数 2,061文字

 待ち合わせに指定した駅ビルに近づくと、ターミナルの先に懐かしい顔が見えた。向こうも東條に気づいたらしく、互いにハイタッチをして、目に入った赤ちょうちんの暖簾をくぐった。
 席に着くなりビールを頼み、三年ぶりの再会に乾杯を掲げる。旧友の上原は東條の仕事や家庭の事情も心得ているので、叔父のように余計な詮索をされることなく、スムーズに話が運んでいった。

 最初は近況報告が中心であったが、二杯目のビールの後、串盛りと日本酒を注文したところで、旧友は家族の話題を切り出してきた。
「……それにしても、三十歳(みそじ)にもなって独り身は辛すぎる。離婚したとはいえ、結婚できたお前が羨ましいよ。誰か紹介してくれないか?」
 馬鹿を言うなとばかりに、東條は腕を激しく振った。
「結婚なんてするもんじゃない。俺のように後悔しても知らないぞ。それに三十じゃなくて三十一だ」
「判ってるって。細かい奴だな」
 上原は食べ終わった焼き鳥の串を二つに折り、つまようじの代わりとして口にくわえる。それが上原の昔からのクセであり、見苦しいからやめろと注意していたが、一向に直そうとはしない。それを誤魔化すかのように、彼は東條にとって一番触れられたくない話題を振ってきた。
「……奥さんの気持ちは判らないが、きっと淋しかったんじゃないかな? お前はいつも残業続きで、休日出勤も日常茶飯事だったんだろ? 子供たちも構ってほしかっただろうに。せめて月に一度くらいは……」
 そんなことは東條も承知している。仕事にかまけて家庭を顧みない自分に嫌気も感じていたし、それを理解しようともしない妻に苛立ちを覚えていた。それがすれ違いを生み、次第に口を利こうともしなくなっていった。――すれ違いといえば聞こえがいいかもしれないが、それは単に無神経だっただけで、妻の意見に耳を貸そうともしなかった自分が悪かったことを理解していた。

 あの時の事を思い出さずにはいられなかった。
 初めはきっかけすら憶えていない程度の些細な口喧嘩。それ自体は珍しいことでは無かったが、その日はいつもと違っていた。次第に罵り合うようになり、頭に血が上った二人は互いの尊厳を傷つけ合う程にエスカレートしていった。
 激高して見境のつかなくなった東條は、決して口にしてはならない言葉さえも口走ってしまう。結果的にそれが決定打となった。
 翌日には二人の子供を連れて、妻は実家のある奈良に身を寄せた。それから数日も経たないうちに離婚届が送られてきた。暗いマンションに独りで膝を抱える東條の元に、である。
 スマートフォンの待ち受け画面には、まぶしすぎるライトの中で今も輝いている、幸せの絶頂だったあの頃の四人の笑顔。
 抜け殻となった東條は、胸をえぐられる思いで泣き濡れる毎日を送り続けたのだった……。

 そんな東條の気持ちを知ってか知らずか、上原は煙草をふかしながら薄っぺらい愛情論を振りかざす。友人としてのアドバイスのつもりだろうが、東條にとってそれは余計なお世話でしかない。
 だが、そんな旧友の親切心を無下にするわけにもいかず、煙草を堪能しながら、適当に相槌を打った。

 その後、二人して飲み屋をはしごし、三軒目に選んだのは、裏通りにある小さなバーだった。ネオン看板の一部が点滅しており、入り口のドアも薄汚れていて、最初は素通りしたが、なんとなく後ろ髪が引かれ、後戻りしたのだった。
 店内は薄暗い照明で照らされ、外見の印象ほど雰囲気は悪くない。他に客はいなかったが、却って落ち着いて飲める気がした。
 スマートフォンで時間を確認すると、十一時を過ぎていた。東條はこれからが本番のつもりだったが、相方の上原はせっかく注文したウイスキーを飲まずして、既に酔いつぶれている。
 ああだこうだとくだをまく旧友を介抱しつつ、まだほろ酔い状態の東條は、いぶし銀の貫禄があるひげ面のマスターと、プロ野球の話題に華を咲かせた。

 マスターとの会話が小一時間ほど盛り上がると、ひと段落したところで上原を叩き起こし、勘定を申し出る。
 出された伝票には二万円と殴り書きされていた。たった三杯のウイスキーとピーナツしか頼んでいないにも拘わらずだ。
 マスターを見ると、先ほどまでの柔和な印象から様変わりして、片眉を吊り上げながら目つきを鋭く光らせている。
 法外な請求に物怖じしたが、ここでボッタクリだとごねたりすれば、奥から怖いお兄さんが出て来ないとも限らない。上原は事態を飲み込めていないらしく、「もう一杯!」とわめきだした。東條は舌打ちしながら渋々クレジットカードを出す。

 バーを出るなり店頭の隅に置かれたポリバケツをみつけ、怒りに任せて蹴り上げた。
 千鳥足の上原を引きずるようにしながら大通りまで連れていき、通りすがりのタクシーを拾う。そして、ろれつの回らない彼を押し込み、強引に発進させた。

 上原を乗せたタクシーを見送ると、さすがに酔いが回ったらしく、欠伸が頻発し始めた。今夜はビジネスホテルにでも泊まろうかと、目を凝らしながらネオン街をしばらく歩く。
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