第94話

文字数 3,022文字

「ザンネンネ。いくら待っても誰も来ないわよ」
 三人は驚嘆しながらその名を叫んだ。「キャサリン!!」
 アメリカ国籍の英語教師の手には拳銃が握られていて、三人の前に歩み寄り、不敵な笑みをこぼした。彼女の銃は、一瞬、近藤を死に追いやったものに思えた。だが、よく見るとリボルバーではなくオートマチックであり、別の銃であるのは明白である。きっと溝吉が生きていれば、嬉々として解説を述べたことは想像に難くない。
 両手を上げた三人は息を詰まらせ、固まってしまった。キャサリンはそれを弄ぶかのように首を回しながら銃口を順番に向けていく。
 やがて東條の鼻先で動きを止めると、
「話は聞かせてもらったワ、ミスター・トージョー。ユーの推理は実にマーベラスだった」
「……やはり君がZだったのか」東條は声を絞り出した。
「えっ? Zの正体ってキャサリンだったってこと?」ツバキはこの緊縛した状況に不釣り合いなほど素っ頓狂な声を上げた。
 キャサリン・ラドクリフは含み笑いを見せると、ふっと鼻を鳴らし、今度は氷の眼球をツバキに向けた。
「オフコース。トージョーの見立て通り、ある人から依頼を受けてミスター・コンドーを追っていた。ヒーの裏の顔は麻薬の売人ヨ。組織からヘロインを横流したせいで狙われていたノ。殺害のタイミングを計るために尾行していたらこのシアターに入ったものだから、ミーもインしたってワケ。チナミに受付のオールドレディが騒ぎ立てるから、一発お見舞いしてあげたワ。騒ぎになっていないところを見ると、ギフトマンの仲間がきっと処理したのネ。バッド、ミーに気付いたコンドーがホールへ逃げ込もうとしたから、ガンでダマラセタってワケ。すぐに逃亡するつもりだったけど、ミーも疲れたから休憩がてらにシネマをカンショウすることにしたノ。そしたらイノセント・ゲームが始まった。オモシロそうだったから、ウエポンとケータイをミーの物とチェンジしたワ。……ブラッドは上手くイレイーズしたつもりだったけど、まさかアンナトコロに残留していたとはネ。渾身のミスだったワ」
 口調は相変わらずだが、声質は明らかに変わっていた。以前の天真爛漫さは見る影もなく、抑揚のない平坦な口ぶりになっている。これが本来の彼女なのだろうが、東條はすぐには受け入れられそうになかった。もっとも、今はそんなことを気にしている場合ではないのだが。
「……来栖沢先生の奥さん――光江さんを殺したのも、やはりお前だったのか!」東條は怒りに任せて吐き捨てるように言った。
「あれはグッドタイミングだったワ。コンドーの次の獲物を探していて、映写室に入ってみたら、たまたまマダムミツエとオーヌマがいたワ。しかもマダムは熟睡中で、オーヌマは気絶しているし。どう料理しようかと考えあぐねていたところ、床に落ちているナイフを見つけちゃって。まさかの幸運に思わずマダムを刺してやったワ。オーヌマも一緒に殺してあげても良かったんだけど、それじゃ面白くないじゃない? オーヌマはしばらく泳がせておいて、あとで殺すつもりだったけど、デンタルドクターのクルスザワが代わりに始末してくれたワ。おかげで仲間に引き入れることが出来て一石二鳥――ワンストーン・トゥーバードといったところネ」
 まるで他人の噂話でもしているように、キャサリンは軽快な口ぶりで語る。何がおかしいのか、時々笑い声が混じるが、彼女の眼は決して笑ってなどいない。
「先生による大沼くん殺害を目撃したあんたは、それをネタに脅して、自分が死んだことにしたんだな。どうしてそんな真似を」東條は怒りを滲ませた。
 キャサリンは瞳をギラつかせ、一歩前に躍り出た。
 思わず後ずさりする東條たち。それを見たキャサリンは口をわずかに歪ませた。
「その方がフリーに動けるからに決まっているじゃナイ。それに誰も気づかなかったみたいダケド、ウェイティングルーム――控え室にシークレットマイクをセットしておいたのヨ。もちろんこのロビーやホールの中にもネ。妨害電波が出ていたけれど、ミーのマイクは影響を受けないようにカスタマイズされているプロ仕様からノー・プロブレムだった。おかげでみんなの行動はツツヌケだったってワケ。特に昨夜なんかはグレートに興味深かったわネ、ミスター・トージョー」
 キャサリンは高笑いを始めた。昨夜の熱いロマンスは、ツバキだけじゃなくキャサリンにさえも聞かれていたことを知った東條は、恥ずかしさのあまり身体が火照り出し、顔が紅潮していくのを感じた。明日香の気持ちも気になったが、とても目を向ける気にはなれない。
「倉庫で死んだマネをしていた時はキンチョウしたワ。ドクター・クルスザワがいつ裏切るか判ったもんじゃないシ……。当初のプランではドクターがミーの第一発見者になる予定だったからネ。ユーにシーツをめくられそうになった時はリアルにシンゾーが止まるかと思ったワ。それでもドクターがジャストタイミングで声を掛けてくれたからセーフだったけどネ……もし、バレるようなことがあったら、コレの出番だったワ。命拾いしたワネ、ミスター・トージョー」と、拳銃を握り直す。
 顔を強張らせ、東條は右手をさらに上げた。
「……先生の手帳を置いたのも君か?」
「ソウヨ。倉庫でドクターのポケットをチェックしていたら、アレが出てきたノ。そのまま持っていても良かったけれど、せっかくだから倉庫の前に転がせておいたワ。もちろん見つけやすいよう、コレミヨガシにネ」
 当然、彼女の名前が書いてあるページは事前に破っておいたと付け加えた。
 
「……それじゃあ、あの話も嘘だったの? あなたが恋人を追って日本へやってきたことや、その彼氏のせいで今回のゲームに参加したことも……」明日香はむせび泣くような声で言った。
 キャサリンはさも当然といった口調で、
「もちろんヨ。ミーはエージェント。それくらいのフェイクなんて、いくらで用意してあるワ」
 東條は少しだけ大声を上げた。
「金庫の鍵はどこで手に入れた!? 始めから持っていたのか!」
「マサカ。ここに来たのは偶然ヨ。持っている訳ないじゃナイ」
「だったらどうして……」東條は言葉に詰まり少し間を置くと、ようやく声を絞り出す。「金庫から警棒やナタを取り出したのはお前じゃないのか?」
「確かに武器をチョーダイしたのはミーだけど、スペアキーを持っていたのはミーじゃないワ」探るような視線を向けると、キャサリンは挑発的に首を曲げた。「……まだ判らないノ? ニブイワネ
 」
 すると明日香は消え入るような小さな声で名乗り出た。「……ごめんなさい。……実は……私なの……」
「えっ!?」
 東條は驚きの声を上げた。ツバキはなんとなく気づいていたらしく、やっぱりと頷いた。
「……どうして……」鍵を所持していたのか問い(ただ)そうとしたが、上手く言葉が出ない。てっきりキャサリンが入手していたものだと思っていたばかりに驚きもひとしおだった。トイレに流したはずの鍵をどうやって入手したのか。まさか便器に手を入れたとは思えない。それにずっと隠していたことへの不満もあった。もしかしたら明日香とキャサリンは共犯なのではないかとさえ疑ってしまう。「まさか、今朝襲われたのも嘘だったと言うんじゃないだろうな!」東條は叱責の声を出した。
 だが、言ったそばから疑問も湧いた。そうなると首のあざも自分でつけたことになる。そんなこと可能なのだろうか。
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