第100話

文字数 2,698文字

 頬に手を当て、釈然としない表情のツバキは、口をへの字に曲げる。
「……じゃあ、エメラは何だったの? まさか殺させるために仕込んだの? いくらゲームを盛り上げるためとはいえ、動物まで虐待させるなんてあんまりよ!」
 途端に悲しげな表情を見せる明日香は、赤い首輪を切なげな瞳で撫でながら、ようやく聞こえるほどの細い声で、独り言のようにつぶやいた。
「……エメラは元々私が飼っていたペットなの。もちろん私にとっては大切な家族よ。でも、いつ命を落としてもおかしくない任務だから、せめてエメラと一緒にと無理を言って連れてきてもらったの……でもまさか、殺されるなんて想像もしてなかったわ」明日香は瞳を潤ませ、深くうなだれた。「こんなことになると判っていたら誰かに引き取ってもらえば良かった……私って本当に愚か者ね」
 だからエメラが初対面の明日香に、あんなになついていたのかと東條は納得した。
 腰に手を当てて、力なくため息をつくツバキ。
 明日香に同情しながらも、東條は自分の置かれた境遇に、未だ混乱の糸を解くことができないでいた。
「金魚を減らしていったのも君だったのか?」
 東條の疑問に明日香は顔を下げたまま返答する。
「……それも最初から決まっていた事よ。参加者たちを恐怖の闇に招き入れるためにね。誰かの死亡を確認すると一匹ずつ処分していったわ。……もう気づいたかもしれないけれど、金魚は最初から十匹だったのよ。まさかキャサリンが参加してくるとは思わなかったから。あの時は焦ったけど金魚を見られる前に近藤さんが殺されて、結果的にラッキーだったわ」
 ――なるほど。確かにキャサリンの乱入や、メンバーがあんなに早く殺されるなどの不測の事態は、彼らも想定していなかっただろう。もし、近藤が生きている状態で金魚の数を確認していたならば、ゲームのカラクリに気づいたかもしれない。
「でも、死体が発見される前に金魚が消えていたことがあっただろう? どうやって情報を入手していたんだ?」
 それについても、明日香は答えを用意していた。
「定期的にメールを受信するシステムになっていたのよ。特に誰かが殺された時なんかにはすぐにね。でも、わたしの方からは送信できないようになっていたわ」
 つまり、明日香が時折眺めていたスマートフォンは、エメラの画像では無く、ギフトマン側からのメールだったのだ。
「だから大沼くんの遺体を調べていた時、溝吉さんのスマートフォンに一瞬だけ電波が入ったのか。明日香へメールを送るため、一時的に妨害電波を遮断したから」
 少しずつ謎が解けていく。まるでミステリー映画の終盤のように。

「これで金庫のスペアキーを持っていた理由も判ったでしょう。本当は指示があるまで使用するなと言われていたけれど、どうしてもエメラの死因を確かめたくて……。あれは私の犯した最大のミスだったわ。盗聴器で私が合鍵を持っているのを知られてしまい、キャサリンは控え室で私の首を絞めて気絶させて、金庫の中から武器を調達されてしまった。きっと運営側は知っていたと思うけど、キャサリンが生きていて、盗聴器で情報を得ているなんて、メールにはなかったわ。きっとその方が盛り上げると判断し、あえて伏せていたのね」
 東條は声を荒げた。怒りが頂点に達したのである。
「どうして君はそこまでするんだ! 一歩間違えれば君も死ぬところだったんだぞ! いくら育ての親のためとはいえ、ギフトマンのせいで命を捨てるような真似を!!」
 明日香は表情を硬くし、東條から目線をそらした。彼女なりの覚悟があったのだろうが、どうしても理解しきれない。
 これまで二人の様子を観察していたギフトマンは、出番とばかりに一歩前に踏み出した。
「それはワシから説明しよう。明日香は白血病を患っていて余命幾何(いくばく)もないんじゃよ。最初はワシも反対したのじゃが、どうしても役に立ちたいと言ってきかなかった。そこでワシはせめて明日香のパートナーを付けるという条件を出した。……誰だかわかるじゃろう?」
 はっとせずにはいられない。まさか明日香が白血病だったなんて思いもしなかった。それにあの出会いは偶然ではなくて、仕組まれていたものだったということも……。
 ――それにしても白血病の明日香をこんな危険なゲームに送り込むなんて。
 このふざけた男は、明日香を捨て駒としか思っていないのだろう。それとも大事に思っているからこそ、参加させた? だとすると、一見残酷な所業にしか見えない悪趣味な行為も、彼なりの異常な愛情のように思えてきた。

 物悲し気な目をしながら、明日香は寒風に吹かれたかのようにさらりと髪をかき上げる。そして東條の目をしっかりと見据えながら、静かに「ごめんなさい……」と声を詰まらせた。だが、その言葉さえ彼女とは別の人間のように聞こえてならなかった。
 
 これ以上話を聞き続けるのが怖くなり、耳を塞ぎたくなった。しかし、一方でどうしても確認すべき事柄も。これを訊くまでは帰るに帰れない。
「……どうして俺をパートナーに選んだ? もっと他に信頼できる人がいたんじゃないのか」
「あらゆるデータを検証した結果、東條隆之さん、あなたを導き出したの。他の参加者たちはお金に執着していたり、人に言えない過去を持った人が対象者として選ばれたけど、あなたの場合は違った。前妻や子供たちとの未練が絶ち切れず、後悔を繰り返していたんでしょう? 自殺を考えたことも一度や二度じゃないはず……。同じく死を目前としていた私としては、そんなあなたにシンパシーを感じたのよ。口では言い表せないような奇妙な感覚――第六感とでも言えばいいのかしら。……そしてあなたしかいないと確信したうえで近づいたの。後はご承知の通りよ。あなたがスケベなおかげで、予想よりもスムーズに誘導することが出来たわ。ちょっと色目を使っただけで、簡単に乗ってきたものね」おどけた口調だったが、クスリとも笑えなかった。

 ――違う! お前は明日香なんかじゃない! 俺の知っている平凡な派遣のOLは何処へ行ってしまったんだ!?
 気が付くと自然に涙がこぼれ落ちていた。
 頭では目の前にいる人物が幻でないことは理解しているつもりだったが、心のどこかで、つい妄想してしまう。これは夢の世界であり、本物の彼女は何処か遠い異国の地にでも消え去ってしまったのではないか――と。
「……君と初めて会った時にアドレスを交換したのは、俺に好意を持ったわけじゃなく、イノセント・ゲームのメールを送信するためだった……」
 焦りともどかしさ。二つのオールは混沌の湖をかき混ぜながら彷徨い続けている。
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