第60話

文字数 2,249文字

 控え室には紅平とツバキは水槽を眺めながら深刻な顔をしている。やはり金魚のことが気になるのだろう。今日のツバキはサイドアップの髪を下ろし、ワンレン状態になっていた。髪をかき上げる仕草は昨日にもましてセクシーに映るのが気になって仕方が無い。
 朝からとんだ災難だと愚痴る来栖沢を置いて、東條と明日香はキャサリンを探すため、館内を捜索することにした。

 ふたりはまず隣の倉庫の扉の前に立った。まさか死体の横たわる不気味なこの場所にキャサリンがいる訳が無いと思われるが、それでも確認せずにはいられない。
 明日香を待たせて、東條が一人でドアを開けると、さびた鉄のような血の匂いがした。死体があるので当然であるが、それでもいい気持ちはしない。
 チラリと覗くと、死体以外には何もないのは一目で判る。
 東條はそのまま扉を閉めて明日香に首を振ると、二人は階段へ足を進めた。
 
 残るは二階にある映写室だ。キャサリンがいるとすればそこしかない。
 階段を上りながら、消えたといっていた二匹の金魚が頭をよぎると、急に不安が押し寄せてくる。
「水槽の金魚がまた減っていたって本当かい? 見間違いじゃないのか」
 もちろん明日香が見間違える訳がないのだから、ただの強がりであることは東條自身も心得ていた。それに紅平とツバキも覗き込んでいたから、金魚が消えていたのは間違いない。
「ちゃんと何度も確認したんだもの。七匹で間違いないわ」
 やはりそうだったか。それでも現実逃避したくてたまらない。
「ただの偶然だよ。溝吉さんの言っていた通り、エメラが食べたのかもしれないし」
 藪蛇だった。明日香は過敏に憤慨し、「そんな訳ないでしょう! まさか本気でそんなこと思っているワケ? あのテレビマンと一緒ね。信じられないわ!」
 東條としては下品極まりない溝吉と一緒にされるのは本望ではない。冗談だよとその場を濁し、慌てて話を逸らす。
「キャサリンは映写室でのんびりとうたた寝でもしているんじゃないかな?」それでも楽観的思考はとまらない。
「まさか! キャサリンが呑気に眠っているという訳? 光江さんが亡くなった、あの映写室で?」
「それは……」
 明日香の言う通りだった。いくら物おじしない楽天的なキャサリンといえど、まさか人の死んだ部屋でゆっくりくつろぐとは到底思えない。
 しかし、他の場所にいなかったのだから、映写室にいるとしか考えられないのも事実だ。
 階段を昇り終え、通路を歩いていくうちに、明日香は意を決したかのように言葉を発した。
「……実は私のアイスピックがなくなっていたの。床に就く前に見た時は確かにあったから、寝ている間に誰かに盗られたんだと思う。信じたくはないけれど、状況からしてツバキさんか、キャサリンの仕業としか考えられない」
 東條は絶句した。二人を信じたい気持ちは明日香と同じだが、あの状況ではどうしても疑わざるをえない。
「……そのキャサリンの事だけど、昨夜控え室で横になった後、私とツバキさんに今回参加した理由を話してくれたわ」
 一応、私たち三人だけの秘密だから、くれぐれも他の人には内緒にしておいてねとくぎを刺すと、東條は承知したとばかりに頷いた。
 明日香は周りを気にした様子で声を潜めながら話し始めた。
「キャサリンはアメリカのシアトルで塾講師をしていたらしいの。一年ほど前に向こうで知り合った日本人のボーイフレンドに日本語を教わっていたみたい。その彼が日本に帰国すると、キャサリンも後を追って来日したらしいわ。その渡航費用として彼女は詐欺まがいなことをしたみたいなの。そのせいで向こうでは指名手配を受けているらしくって、もし、それが発覚してしまうと強制送還される。それを恐れてのことらしいわ。もちろん賞金につられたことも否定しなかったけど」
 ――成程。あの天真爛漫なアメリカ人英語教師には、そんな過去があったのか。
「それがキャサリンの抱えていた秘密ってワケか。それで問題のボーイフレンドとはどうなったって?」
 明日香は途端に口ごもり、これ以上聞くのは野暮だと察した東條だった。

 二人はドアの前に立つと、ひと思いに扉を開く。
 中は昨日と同じく閑散としており、そこには誰もいない。光江が座っていた椅子の血の跡を見ると改めて陰鬱な気持ちになった。
 キャサリンの名前を呼びながらフィルム棚の奥も確認したが、やはり人の気配は無かった。
「何処へ行ったのかしら? まさかとは思うけど、これまでの殺人は全てキャサリンの犯行で、隠し扉から外に逃亡したとかじゃないわよね」
「いや、少なくとも最初の事件、つまり近藤さん殺しについて、キャサリンはシロだったろ?  光江さんと大沼君の件についてはまだ何ともいえないが、賞金が掛かっている以上、たとえその二人を殺してこの映画館から逃亡したところで、賞金を受け取らなくちゃいけないから明日の正午までには戻ってくるはずだ。それにここは初めて来ただろうから、隠し扉があったとしても彼女だけが知っているとは思えないし、もし予め知っていたとすれば、彼女はギフトマンの仲間という事になる。……だとすれば……」
「だとすれば?」明日香の顔が強張ると、固唾を飲み込む音が聞こえた。
「……イノセント・ゲームの勝利者は初めからキャサリンに決まっていた。いわば出来レースってやつだ。そうなると俺たちはどう足掻いたところで助からないという訳さ」
 明日香が絶句し、膝から崩れ落ちる。東條は半べその彼女を支えながら、無人の映写室を後にした。
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