第107話

文字数 1,559文字

 ざわめきが最高潮となった。明日香は黙って下を向き、動揺を隠せずにいた東條は別の話題を振ることにした。
「なにはともかく、映画は無事に完成したんだから、配給の方よろしくお願いしますよ、溝吉さん」
 二か月には宮崎県の北奈留戸町で『北奈留戸映画祭』が取り行われる予定で、イノセント・ゲームもそこで出店する運びになっていた。映画祭と銘打っているが、地方再生のための小さなイベントで、来場者数もたかが知れている。だが、それでもメジャーへのチャンスがないわけではない。最近ではアマチュア制作のゾンビ映画が未曽有の大ヒットを記録したのも記憶に新しいところである。
「任せんかい! こう見えても天下のサンサンテレビのディレクターや。どんなクソ映画でも、どこかしら捻じ込んでやるさかい、大船に乗ったつもりで待っててや」どんと胸を叩き、溝吉はどや顔を見せた。
「クソは余計ですけどね」苦笑いの東條。溝吉ほど映画の中とキャラクターが変わらない人物も珍しい。もちろん彼に当てて書いたのだが、それにしても……。

 ここまでずっと沈黙を貫いていた現役大学生の大沼和弘は、不意に右手を挙げた。東條が発言を促すと、彼はおもむろに立ち上がり、柔らかな口調で質問した。
「そういえば製作費って大丈夫でしたか? いくら僕たちがボランティアで参加したといっても、フィルム代や機材のレンタル料とか。それこそこの映画館の貸し切り費用も安くはなかったんじゃないんですか?」
「確かに諸経費は馬鹿にならない金額だった。貯金を切り崩したり、知り合いから借金したりでようやく賄うことができた」そこでひと息つくと、東條は右手で頭を掻きながら言った。「みんなには内緒にしていたが、実はこの映画館はさっき話した義理の父が経営しているんだ。その父に映画の撮影にここを借りたいと切り出した時、レンタル料はいらないって言われたんだ。ちなみに今日も無料で借りている。まあ、それが原因で妻と別居することになったんだけどな」
 東條としては別居はあくまでも義理の父との問題であって、明日香との関係は暗に否定した。
「Oh! こんなチープなムービーに、そんなビッグマネーが掛かっていたなんて、アンビリーバブルネ。まさに青天の霹靂(へきれき)だワ」
 意味不明なディスり方をするキャサリンに、明日香は素朴な疑問を抱く。
「……前から思っていたけど、キャサリンって本当に来日して二年目なの? ちょいちょい難しい日本語知っているみたいだけど」
 当の本人はあっけらかんとしていて、まさに映画のキャラクターそのものといった感じだ。そういう意味では溝吉と双璧をなしているといってもいいだろう。
「Oh! モチロンちゃんとスタディしました。ニホンゴ難しいネ。まるで砂を噛むような思いダワヨ」

 波乱ずくめではあったが、取りあえず試写会は無事に終わり、解散の時間が迫って来た。
 ステージに立った東條は、締めの挨拶をおこなう。
「皆さんのおかげで最高の映画が完成しました。まだまだいろいろな意見がおありでしょうが、本日はここでお開きにしたいと思います。後は上映が本決まりになるかが問題ですけど、そこは溝吉さんの手腕にかかってますから、よろしく頼みます」
 おどけた溝吉はキャサリンの口真似を披露する。
「ミーに任せなサーイ。これでもフェイスがワイドやからメニーメニープッシュしたるわ。ビッグシップにライドオンしたつもりでウェイトしたってや」
「それって、キャサリンじゃなくてルー大柴でしょう?」呆れてツバキが突っ込みを入れ、大爆笑が起こった。
「二次会は居酒屋を予約しています。場所が判らない方は、溝吉さんにきいてください」
 東條が大声で告げると、皆、次々とホールを後にしていく。
 こっそりと顔を見合わせた東條と明日香は、安堵のため息を同時にこぼした。
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