第63話

文字数 2,018文字

「……察しの通りだ」
 控え室の中で胡坐をかきながら、腰痛持ちの歯科医師はそう述べた。
 そこには東條と来栖沢の他に、明日香、溝吉、サムエル、紅平、そしてツバキが円形に腰を下ろしていたが、来栖沢の説明に対し、誰も言葉が出てこない。
 これで犠牲者が四人になった。
 生存者は現在ここにいる七人で、やはり金魚と同じ数だ。不安にならない方がおかしいと言える。
 唯一、エメラだけが緊張感のない鳴き声を上げながら、紙皿の上に置かれたスナック菓子を転がし、無邪気にかじりついていた。
 壁の時計を眺めると、数字は九時十六分を示していた。
「……どのような状況でしたか……」東條が口を開く。敢えて『キャサリンは』という主語は口にしなかった。
「飯島君、あんたの武器はこのアイスピックだったな」そう言って血塗られたアイスピックをちゃぶ台に置く。
 震えながら頷く明日香は両手で口を覆う。その目は涙で滲んでおり、昨日出来たばかりの異国の友に深い情念を馳せながらも、来栖沢の意図を察している気配だった。
「これは遺体の横に転がっていたものだ。髪の毛に隠れておったから、あまり目立たなかったが、彼女の首の後ろには、このアイスピックが刺さっておった。根元までしっかりとな」来栖沢は声を震わせながらも淡々と語った。
 ――そうだったのか。
 キャサリンを見つけた時は動揺していたせいで気づかなかったが、今思い返せば、そのような盛り上がりがあったようにも思える。
「……状況からして背後から襲われたとみて間違いない。わしの見解ではほぼ即死。詳しい死亡時間は判らないが、少なくとも六時間以上が経過しておる。大沼君が絞殺される前の時間だ。死体を引きずった形跡がなかったから、殺害場所はあの倉庫で決まりだな。恐らく誰かと話をするために倉庫に入り、背後からいきなり突き刺さされたのだろう。……キャサリンはうつ伏せに倒れて絶命し、犯人はアイスピックを抜いた後、シーツを被せた。シーツはあらかじめ用意されていたのか、それとも殺害後に取りに行ったかまでは判らんがな」
 来栖沢はポケットに手を入れると、スタンガンを抜き出して、それを投げ捨てるように転がした。
「彼女のウエストポーチに入っておった。結局役には立たんかったようだがな」
「先生、一つ質問があります」東條が右手を肩の横まで挙げた。
「何だね?」
「犯人は何故アイスピックを抜いたのでしょうか? そのままにしておけば血が広がることもなかったでしょうし、シーツに滲むこともなかったはずです。なにより犯人も返り血を浴びるでしょうから、そのままにしておいた方が賢明だと思いますが」
「確かに君の言う通り、デメリットの方が大きい。それでも敢えて抜き取ったということは、きっと、死体発見を遅らせるためだとわしは考えておる。もし、アイスピックを刺したままだと、シーツが不自然に盛り上がるからどうしても目立ってしまう。もっとも、あそこに運び込まれた死体の数を把握しておけば、よほどの間抜けでもない限り、ひと目でバレるだろうがな」
 東條は恥ずかしさのあまり、顔が熱くなるのを感じた。自分の注意力の無さに落胆せざるをえない。
 何を思ったのか、溝吉が突然すくっと立ち上がった。
「倉庫に行ってくる。記録を残さんとあかんからな」
 溝吉が靴を履きかけようとすると、
「やめなさい!」来栖沢は珍しく大声を出した。彼の憤慨した顔は、妻である光江が殺害されたことを知った時以上に感情的になっているように思えるくらいだ。
「これ以上死者を冒涜するでない! マスコミだか知らんが、少しは礼儀をわきまえんか!!」
 鬼気迫る来栖沢の気迫に圧されるように、溝吉は顔を歪めながらゆっくりと腰を下ろした。
「しゃぁない、ここは先生の顔を立てときますわ。どうせ顔を見たかっただけやし、携帯のバッテリーもとっくに切れてるさかい記録もできひん。正直、死んだ奴らの携帯を借りようとも思ったが、どうせロックがかかっとるやろうし、亡くなった者のを借りてまで記録を取りたく無いわ」
 確かに近藤の所持していたピンク色のスマートフォンは開くことが出来なかったし、他のもきっとそうに違いなく、溝吉はとっくに調べたのかもしれない。
 溝吉はしゅんとした顔で再び胡坐をかく。
 そこで東條は閃いた。
 ――溝吉さんは誰も殺していない……かもしれない。
 ついさっきまでは、この状況を利用して誰かを殺したとも思っていたが、いくら仕事とはいえ、死体を撮影しまくるなど正気の沙汰ではない。よくよく考えてみれば、もし彼がクロだとすると、わざわざ死体発見後ではなく犯行直後に写真を撮影したはず。
 自分を容疑から外すための演技とも考えられるが、能天気なこの男に、そこまで知恵が回るとはどうしても思えない。二度手間で貴重なバッテリーの無駄遣いにもなる訳だし……。
 ゆえにこれまで四件の殺人はシロということになる。今後クロになる可能性は捨てきれないが。
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