第102話 最終章 完

文字数 2,254文字

「東條さん。私で良かったら相手してあげるわよ。ひと晩一億でどう? あんな小娘の事なんて全部忘れさせてあげるわよ」
 からかい気味にツバキが腕を引いた。きっと彼女なりに慰めているのだろう。
 東條は引きつった笑顔を見せて、「たった一億でいいのか。悪くない誘いだ」と皮肉たっぷりに答えつつも、「でも今は勘弁してくれ。独りになりたいんだ」とやんわり振り切った。
「あらそう? 残念ね。これを逃したら次は二億よ」
「だったら今夜にでも」
 ツバキの誘いに冗談で返すと、声を出して笑い合う。おかげで沈み切った心が、幾分晴れた気がした。

 連れ立って外に出てみると、久しぶりのシャバの匂いが鼻孔いっぱいに広がり、懐かしささえ感じられた。
 受付に目をやると、中には人影が無く、大量の血痕だけが見える。彼女もゲームの被害者だったんだと改めて実感し、胸が痛んだ。
 東條はふとツバキに問いかけた。「そういえばツバキさんは昨夜、人を殺したことがあると言っていましたよね。あれって冗談ですよね?」
 しかしツバキは首を振る。「冗談なんかじゃないわ」
「えっ……?」
 東條は戦慄が走った。今回の件に関係はないだろうが、彼女が人殺しだと告白したのだ。もしかしたらまだイノセント・ゲームはまだ終わっておらず、再びギフトマンが現れるのではないかとさえ思えてきた。
「ホントに殺したわよ。しかも合法的にね」
 ――どういうことだ? 合法的な殺人なんてあるわけがない。もしそんなことがまかり通れば、それこそ無秩序な世界だ。
「説明してくれないか」東條は真顔でいった。
「どうしようかな」
 口角をあげ、からかう素振りをみせると、ツバキは突如真剣な顔つきとなり、重い口を開いた。
「……あれは私がまだ高校生の頃の話よ。当時、大学生の彼氏がいたんだけど、その彼との間に子供を授かったの。でも妊娠を告げた途端に彼は雲隠れ。連絡が一切取れなくなったわ。私は独りでも産むつもりだったけど、両親に強く反対されて、仕方なく中絶することに……」
 ツバキの犯した殺人とは妊娠中絶手術のことだった。中絶については人それぞれ意見が分かれるだろうが、胎児も人間であると仮定するのであれば、中絶もまた殺人に他ならない。したがってツバキが人を殺したという表現は、あながち間違いではないのである。
 真相が判ったとはいえ、東條は釈然とするどころか、むしろ彼女の不幸に同情を憶えた。
「……その後高校を自主退学して、独り暮らしを始めたわ。自暴自棄になっていた私は、当然のように夜の店で働くようになり、やがて風俗に落ち着いたってわけ。今じゃその彼氏に感謝しているわ。おかげで天職にありつけたわけだからね」
 おどけた口調ではあったが、その瞳に涙が潤んでいるのを東條は見逃さなかった……。


 未曽有の殺戮ゲームから一週間が経ち、東條はようやくかつてのような平穏な生活に戻った。
 とはいえ、たったの三日間ではあったが、忘れがたい衝撃の出来事であったのは紛れもない事実であり、毎晩のように夢にうなされた。気まずい思いで出社すると、案の定連絡なしに連休を取った理由を求められた。いくら考えても説得力のある言い訳が思いつかず、苦し紛れにでたのが「急に母親が倒れて連絡する時間が無かった」だった。上司は眉をひそめながら「次からはちゃんと連絡するように」とくぎを刺され、気まずい空気の中、仕事に復帰した。
 居心地は最悪だったが、それも三日後には元の空気に戻った。

 あの日以来ツバキとは会っていない。もちろん明日香も然りだ。
 ゲームの賞金は、話し合いの末、組織の管理する銀行に口座を開き、そこに六億ずつ入金される運びとなった。
 そして後日、東條隆之名義の通帳とキャッシュカードが自宅の郵便受けに届いた。
 その中の一億円を白血病の支援団体に寄付すると、残りの五億は別の慈善団体に寄付する……なんてこともなく、取り敢えず貯金する事に。
 今の自分にできるのはこれくらいしか思いつかず、東條は元妻の口座に百万円を入金した。少し迷ったが、彼女を下手に刺激したくないという思いから、敢えて仮名で振り込んだ。仮に自分だと気づいたとしても、決して連絡をよこさないだろう。今後も定期的に振り込む予定にしている。
 だが、予想に反し、翌朝には元妻から着信があった。
 ちょうど起き掛けにシャワーを浴びていた東條は、タオルで頭を拭きながらスマートフォンを持ち上げると通話ボタンを押した。
 『……もしもし、今大丈夫?』
 離婚して以来、初めて聞く声だ。
 入金のことを訊かれてシラを切るが、電話の向こうは会いたいと告げてきた。まさかの誘いに戸惑いを抑えきれない。
 すぐにでも顔を見たかったが、返事を保留し、「またこっちからかけ直す」と通話を終えた。浮足立った自分に気づき、ふと冷静になる。
 彼女はきっと百万を返すつもりなのだろう。余計なことをしてしまったと、東條は落胆を憶えずにはいられなかった……。

 半年後、東條は公園のベンチにいた。
 隣に座るのは元の取れた妻だった。東條はその手をしっかりと握りしめ、ブランコに揺れる二人の天使たちを見守っていた。
 ベンチの傍らには、週末にペットショップから買ってきたばかりのロシアンブルーが、エメラルドの瞳を輝かせながら退屈そうなあくびを繰り返し、首には少し色あせた赤い首輪が巻かれている。

 こぼれる日差しが四人と一匹をほのかに包み込む。
 それはまるで、この再生した家族に幸せの未来(イノセント・ライフ)をもたらしてくれているかのようだった……。
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