第46話 第四章 完

文字数 1,607文字

 しばらく待ってみたものの、誰も戻ってはこない。
 光江のことが心配になった東條は、映写室へと向かうことにした。もちろんさっきの言葉の真意を確かめたいという気持ちも否定できない。
 明日香も「私も行くわ」と腰を上げる。だが、出来れば来栖沢光江と二人だけで会いたい東條はそれを断った。
「きみも疲れているだろうから、ここは俺に任せて、ここで休んでいてくれないか。またエメラが逃げ出さないとも限らないし」そして他の二人には聞こえないよう、声のボリュームをしぼり「光江さんの話はあとで教えるから」と耳打ちをした。
 それでも明日香は一歩も引かない。光江を心配している素振りをしているが、その実、控え室にいたくないというのが本音のように思えた。来栖沢はともかく、あの気分屋のテレビマンと一緒では居心地が悪いのだろう。
 結局、エメラを来栖沢医師に預けて、ふたりは通路に出た。 

 階段を上り、二階の長い通路を進む。
 角を曲がり、映写室の扉につま先を向けると……!

「うわあああああ!!」
 空気を震わすほどの絶叫が通路に響き渡った。大沼のもので間違いない。
 ただ事ではない事態を想起し、東條は全速力で駆け寄る。
「大沼くん、大丈夫か!」安否を気遣いながら扉を開ける。
 そこには震えながら立ち(すく)む大沼青年の背中があった。手には赤い液体の付いた何かが握られている。よく見るとそれは登山用のサバイバルナイフのようだった。刃渡りは十五センチほどで、刃先から血液がしたたり落ちている。
 大沼は真っ青な顔を東條たちに向けると、「違う! 僕じゃない! 僕は殺していない!!」と首を小刻みに振った。明らかに動揺し、声が震えている。
 そして手にしたナイフを投げ捨て、ふたりを振り切ると、大沼は奇声を挙げながら、映写室を飛び出していった。
 ――僕は殺していない?
 青年の意味深な言動の意味は直ぐに判明した。
「きゃあああああ!!」
 今度は明日香の悲鳴が映写室を揺らす。階下まで聞こえんばかりの勢いだ。腰を抜かしたらしく、彼女は床に座り込んだまま、震える指で奥を指さす。
 視線を移動させると、操作盤のあるデスクの前の回転椅子には、来栖沢光江が背もたれに体を預けている。その目は天井に向けられ、まるで生気が感じられない。半開きになった口からは一筋の赤い血が流れ、何より彼女の紅色のチューブトップの胸あたりが黒く染まっていた。
 慎重に接近し、眼を凝らしてみると縦傷があった。それは刃物のようなもので突き刺された跡のように思えて仕方がない。傍らの床の上には金づちが落ちていた。東條は大沼の投げ捨てていったナイフを拾い、傷痕にあてがう。
 ――ぴったり一致するじゃないか。まさか、大沼くんが……?
 だとすれば、このサバイバルナイフこそが大沼に与えられたアイテムだったと考えるのが妥当だ。
 近藤があんな目にあった以上、第二の殺人が予想できなかった訳ではないが、まさか次の犠牲者が来栖沢光江だとは思いもよらなかった。これで彼女が伝えたかった内容は、永遠に闇に葬られることとなる。
 ――それにしても……。
 あの純朴で礼儀正しい大沼青年の裏の顔は、狂気に満ちた殺人鬼だった。
 そう思うと、背中に痺れのようなものを感じずにはいられなかった。しかし彼をそうさせたのはこの異常ともいえる状況なのだと、東條は無理矢理自分に言い聞かせた。

 血に染まるナイフをハンカチで包み込みながら拾い上げる。そのまま持ち歩くのもどうかと思い、ようやく落ち着きを取り戻した様子の明日香に頼んで、彼女のハンドバッグに入れてもらうことにした。

 部屋中をひと通り歩き回り、他に誰もいないことを確認すると、東條は明日香の手を引きながら映写室を後にした。時刻は九時十九分だった。

 ――果たして、来栖沢光江を殺したのは本当に大沼和弘なのだろうか? 

 だが、それが判明するのを待たずして、次なる事件が発生するのだった……。
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