第17話

文字数 2,411文字

 座席は横に十五席並び、それが縦に十四列あった。
 それぞれの席には番号がふってあり、入り口から見て左から算用数字、スクリーン側からはアルファベットの順番で番号が振ってある。
 つまり、ホールの入場口から見て、スクリーン前の左端の席がA―1で、正反対である右手側の一番手前の席がN―15となる具合だ。

 座席の指定は無かったので、どこがいいか明日香に訊くと、「どこでもいいわ」とのことだった。
 そこで比較的鑑賞しやすいと思われる中央やや後ろの席に並んで身を置く事にした。座席番号はJ―5とJ―6。後ろの席には今のところ誰もいない。


 足元にアタッシュケースを置き、腰を下ろした東條は、手を組みながらおもむろに前方を見渡す。
 ホールにいる参加者は、皆バラバラに座っていた。だが、一組だけ並んで座っているのが確認できた。
 それは一番前の中央寄りにいる年配らしき男女で、その印象から夫婦だと思われる。
 東條の左前には外国人らしき茶髪の男性の姿も見える。
 他にも髪の長い女性や、短髪の青年らしき者もいた。数え上げれば全部で七人。東條と明日香を入れても九人だ。
 もし、全員が今回の参加者だとしたら、思ったよりも少数だ。映画館を集合場所に選ぶくらいだから、何百人を予想していたからだ。
 正午までにはまだ時間があるので、これから一気に増えるのかもしれない。しかし、それでも数十人程度であることが予測され、少なすぎる印象を拭い去るまでには至らなかった。

 スクリーンの横に設置してあるデジタル式の時計に目を向けると、十一時ニ十八分に切り替わったばかり。
 これから上映が始まるようだが、何故かメールに指定されていた正午とは三十分の隔たりがある。

 ――これはどういうことなのだろうか。

 やっぱり場所を間違えたのでは、と再度頭を巡らせたが、映画の上映はあくまでも開始までの余興だと考えられなくもない。
 それに受付嬢は東條たちの提示したメールで入場を促した事実もある。
 したがって、この映画館で間違いないと確信を持たつに至った。
 参加人数にしてもそうだ。
 思い返せば『四、八、九の中で好きな数字を』と言われた事から、少なくとも九人以上だということが推測される。おそらく十人くらいだろうか。少なくとも数百人ということは考えにくい。

 屋根を撃ち鳴らす雨音の響きが更に強くなってきたように感じると、東條はその音が聞こえない風に、わざとらしく大きなあくびをしてみせた。
「いよいよだな」そうつぶやくと、明日香は顔を向けてきた。
「緊張するわね。これから何が始まるのかしら」
 正直、映画よりも彼女の顔をずっと見ていたいという心境だった。だが、東條はそんな想いなどおくびにも出さず、「まさか普通に映画を観賞して『ハイ、終わり』って訳じゃないだろう。だとすれば拍子抜けさ。このケースに何が入っているかは判らないけど、ポップコーンでないことは確かだろうな。……引き返すなら今の内だよ」本当は東條自身が帰りたい気持ちだったのだが、明日香の手前、男らしいところを見せようと精いっぱいの強がりを見せた。「どうする? 俺はどっちでもいいけどね」
 しかし、明日香の決心は揺るがないようで、「私は逃げないわ。こうなったら腹をくくるしかないわね。槍でも鉄砲でも降ってこい! ……なんてね」と、おどけ気味に言った。
「随分古い言い回しだな。仮に空から槍や鉄砲が降ってきたとしても、ここは屋内なんだから、全く影響ないけどね」
 小声で笑い合うふたりだった。

 時計が十一時半を示すとベルの音が響いた。ただでさえ薄暗いホール内の照明がさらにフェイドアウトしていく。
 ざわめきが聞こえ、スクリーンがパッと明るくなる。やはり上映が始まるらしい。
 幻想的なピアノによるクラシカルな音楽と共にノイズの入ったセピア色のモノクロ映像が流れだすと、静かにタイトルが浮かび上がる。
 『儚げなる太陽の孤独な黄昏』
 看板に書かれたのと同じだが、続いて原題と思われる英語の文字が表示される。
 『Moonlight』
 太陽と月。全く正反対の和訳でそのギャップに腰砕けではあるが、邦題とはそんなもの。数年前に大ヒットを記録した『アナと雪の女王』の原題が『Frozen』であることや、同じディズニー映画の『カールじいさんの空飛ぶ家』が『UP!』であるのは有名な話だ。
 それを小声で伝えると、明日香は声を殺しながら吹きだした。
 傍目にはどこにでも転がっていそうなカップルとして映っていることだろう。東條としてはまんざらでもない。そこが如何わしい映画館であることや、胡散臭いアタッシュケースが足元に置いている事を除けばだが。

 さて、肝心の映画の内容だが、今のところいたって普通の映画の印象しかなく、特に変わった様子は見られない。これから始まるであろう、イノセント・ゲームと何か関係があるのだろうか。
 緊張がほぐれつつあった東條は、若干リラックスな様子を浮かべている明日香の横顔をちらりと見る。
 少しでも不安を和らげようと、明日香の手を握ろうと手を伸ばした。だが、彼女は膝の上で両手を組み、再び警戒の色をした瞳でスクリーンを見つめている。暗闇の中で、スクリーンからの光に浮かびあがる明日香の横顔は、どことなく強い意志のようなものが感じられた。
 手を握る事を諦めた東條は、改めて正面を向き直り、退屈そうなモノクロ映画に集中する事にした。字幕を拾いながらストーリーを必死に追いかけていると、東條の判らないタイミングで明日香の押し殺したような含み笑いがクスクス聞こえてくる。きっと英語が理解できるのであろう。気後れする東條であった。
 それにしても残念な造りの映画館のわりに、音の響きは悪くない。よほどハイクラスのサラウンドシステムが使用されているものと推察された。オーナーのこだわりなのかもしれないが、投資のバランスに疑問を持たざるをえない。
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