第44話

文字数 1,492文字

 東條と明日香、それに来栖沢光江は控え室前の通路に出て左右を見回すも、すでに走り去ったようで、エメラの姿は見えない。何処へ逃げたか見当もつかないので、取りあえず二階へ続く階段とロビー側の二手に分かれる事となった。
「光江さん、階段を上るのは大変でしょうから、俺が二階に行きましょうか? 映写室に戻っているかもしれませんし」
 二階への階段はかなりきつく、アラサーである東條ですら息が切れるほどだった。ましてや高齢の光江にはなおさらだろう。しかし、意外なことに彼女は申し出を断った。
「いいえ、大丈夫です。わたくしに行かせてください。これでも毎日、腰痛の主人を世話していますから、体力には自信があるのですよ。一階は若いお二人にお任せします。反射神経が無いから、ロビーのような広い所は荷が重いですわ。それに比べて、階段や二階の通路は狭いと聞いていますから、わたくしでもエメラを捕獲できそうですし」そこで光江ははっとして口を抑える「……嫌だ、

じゃなくて

、でしたね」
 含み笑いを見せると、光江は肩を回し、活力全開であることをアピールした。不安が無い訳ではなかったが、ここまで言い切るのであれば任せるしかない。
「ではお願いします。私たちはロビーの方を見てみますので」明日香は会釈をしながらいった。
 東條と明日香がロビーへ足を向けると、背後から光江の声が鳴った。
「あの……東條さん、ちょっと」
 明日香を先にロビーへと促し、東條は光江の傍に足を戻した。「なんでしょうか?」
 辺りを見回すと、「大事な話があります。あとで映写室に来てもらえませんか」光江の眼には若干の怯えが宿っている。
 東條が判りましたと呟くと、光江は階段の方へ歩き去った。
――光江さんは何を伝えたかったんだろう?
 疑問を抱えたまま、東條は明日香を追ってロビーに足を運んだ。

「光江さんは何て?」顔を合わせた途端、明日香が疑問形でいった。
 正直に打ち明けるかどうか一瞬躊躇したが、「よく判らないけど、大事な話があるから、あとで映写室に来て欲しいって」とぶちまけた。
「大事な話って何?」
「判らない。とにかくあとで行ってみるよ」
「気を付けて。なんだか嫌な予感がするから」
 不吉なこというなよと感じつつ、東條は明日香と一緒にエメラを探し回る。シアターホールの扉は閉じられているので入り込んでいる可能性は低く、もし一階だとすれば、ロビーかトイレのどちらかだろう。
「お~い、エメラ。どこにいるんだ~い」東條は声をかけながら目を凝らす。 
 会社では主任を勤め、大勢の部下を指揮しながら業界の最先端の仕事をこなしているとの自負を持つ東條。しかし、現状は床に這いつくばりながらベンチの下を覗き込み、たかが仔猫一匹探し出すことに躍起になっている。我ながら情けない姿だと、東條は自嘲ぎみに顔を歪めた。

 やがて扉が開け放たれ、大沼と紅平、それにサムエルの三人が現れた。紅平が扉を押さえ、大沼とサムエルが近藤の遺体を運び出している。
「あ、どうも。猫は見つかりましたか?」大沼青年は、心配顔で唇を揺らす。
 東條は黙って頭を振り、明日香は両手を天上に向けて肩をすくめた。
「まあ、どうせここからは出られんのじゃから、いずれ見つかるじゃろう。そう焦ることもあるまい」紅平は扉を閉めながら慰めの言葉を吐いた。
 さほど関心がないのか、サムエルは不機嫌そうに眉間にしわを寄せている。
「もし見かけたらよろしくお願いします」明日香は軽く頭を下げた。
 もちろんですと返事をした大沼は、サムエルに押される形で倉庫の方へ歩き出す。紅平も小走りしながら、先導するように彼らの前へ出た。
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