第10話

文字数 1,942文字

 窓を撃つハードロックのようなビートを刻む雨の音で目が覚めると、ベッドサイドのデジタル時計は午前八時を指していた。
 昨夜のアルコールが抜けきれない東條は、あくびを噛み殺しながら、まずは煙草を一本灰にする。喫煙OKの部屋だったので、気兼ねなく煙を堪能した。
 クローゼットを開けて、スーツの内ポケットからスマートフォンを取り出すと、メールの着信を示すランプが点滅していた。
 ときめく胸を抑えきれず、ベッドに腰かけながら開いてみる。だが、メールの主は明日香では無く、覚えのないアドレスだった。怪訝に思いながらも、東條はメールを開いた。

殿殿



 その下には聞き覚えのない映画館の名前と住所が記載されていて、最後は『ご到着の際は、このメール画面を受付にご提示ください』と締めくくられていた。

 ――イノセント・ゲーム?
 
 聞いたことのない響きに戸惑いを隠せず、東條はメールをもう一度読み返してみた。
 最大十二億円のチャンスとは、どういう意味だろう。ゲームというからには、何かの競技が開催されるということなのか。まさかクイズやビンゴゲームをさせるために、わざわざこんな意味深なメールを送りつけたりはしないだろうが、それにしても十二億円とは規模がデカすぎる。
 参加を拒否すれば秘密を暴露されるというが、公表されて困る秘密など全く心当たりがない。だが不安に襲われずにはいられなかった。詐欺や傷害などといった裁判沙汰になるような過ちは犯していないつもりだが、軽罰程度なら身に覚えが無いこともない。それこそスピード違反やら立小便、中学生の頃の自転車泥棒から、小学生時代に友達にそそのかされて、つい手を出してしまった駄菓子屋の万引きまで、枚挙にいとまがなかった。まさか小学二年生まで寝小便した事実をバラされるとは思えないが、かといって聖人君子だと胸を張る自信もない。
「……バカな」独り言がぽつりと出た。
 メールの送り主が何を考えているかは判らないが、こんなバカげた真似をして一体何のメリットがあるというのだ。芸能人や政治家といった有名人ならともかく、一介のシステムエンジニアに過ぎない東條に恥をかかせたところで、得をする者がいるとは到底思えない。

 思い悩んだあげく、迷惑メールの類と判断して東條は無視することにした。
 スマートフォンをベッドに放り投げると、洗面台に向かい、使い捨てのT字型カミソリで顔を丁寧に整える。安物のせいか肌触りがイマイチで時々引っ掛かるが、ようやく剃り終えると、タオルで顔を拭きながら鏡に向かって、少し強めに頬を叩く。
 ふと雨が気になり、歯ブラシをくわえながらすりガラスの窓を少しだけ開けてみた。
 昨日までの快晴が嘘のような大降りで、通りには色とりどりの傘が行き交い、その足を速めている。テレビをつけてみると、ちょうど天気予報が始まったばかりで、今日は一日中雨とのことだった。

 ベッドに腰を下ろすと、着信のランプが点滅しているのが目に入った。またいたずらメールかと思い、一瞬躊躇したが、それでも気になり一応チェックしてみることに。
 と、それは明日香からのメールであった。東條は胸を躍らせながらメールを開いた。
 『昨日はごちそうさまでした。本日は予定が空きましたので、一緒に朝食でもいかがですか?』
 まだ寝ぼけ眼だった東條は一気に覚醒し、咄嗟にあの店を思い浮かべると、素早く返信を送る。
 『了解です。どこに行けばいいですか? 特に希望が無ければ……』
 早朝から営業している昔馴染みの喫茶店である「蛇いちご」の住所を載せ、送信ボタンを押した。

 期待に胸が膨らみ、煙草に火をつけながらスマートフォンを睨みつけていると、ややあって返信が届く。
 『判りました。一時間後には着くと思います』メールの最期には、昨夜と同様にハートマークが躍っていた。
 鼻を鳴らし、急ピッチで着替えを済ませると、昨夜のニンニクの口臭が急に気になり、再び歯を磨く。もちろん、部屋を出る前に寝癖を直すことも忘れなかった。
 鼻歌交じりでエレベーターに乗り込み、一階まで降りる。扉が開くとフロントに直行した。
 昨夜と違い、フロントに立っていたのは中年のおばさんだった。東北なまりのアクセントが鼻につくが、出来るだけ気にしないよう、顔を背けながらチェックアウトを済ませ、ついでにタクシーを頼んだ。
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