第92話

文字数 2,540文字

 シアターホールの扉の前で立ち止まるとその場でしゃがみ込み、ここを見ろと言わんばかりに扉の最下部を指差した。
 明日香とツバキも腰を落とし、顔を近づけていく。
「これって……血の跡? 一体誰の……?」明日香は思わず声を上げた。ツバキも口に手を当て、眼を丸くする。
 東條は立ち上がり、はやる気持ちを抑えきれず、「この血痕は最初に死体となって発見された近藤さんのものとみて間違いないだろう」と、まくし立てるように言った。
 ツバキは顔を捻り、まさかといった表情を見せた。
「えっ、近藤さんの? でも彼は座席で座ったまま拳銃で撃たれたんじゃなかったかしら。 どうしてこんなところに血痕がついているの?」
 同様の疑問を持っているらしく、明日香も納得のいかない顔をしている。
「あの時の事を思い出してくれ」東條は唾を飛ばす。「上映が始まる前のホール内には俺たちを含めて九人の人物がいた。そうだよな?」
「ええ、確かにそうよ」明日香が頷く。
「その後照明が落ちて上映が始まった。しばらくして扉が開いて十人目の誰かが入って来た」
「近藤さんね」ツバキが確かめるようにいった。
「そう。そして十一人目となるキャサリンが遅れて入ってくると、またしばらくして三回目の扉が開いた」
 右の眉を少し歪め、「憶えているわ。最初は十二人目と見られる人物と思ったけど、結局そんな人なんていなかったことが判明した訳だから、結局ホール内の誰かが開けたんだろうって話になったわよね」明日香は自分の記憶が正しいのを再認識するかのように、東條の顔を真剣に見つめながらいった。
 東條は小さくうなずくと、「その後、ギフトマンがスクリーンに現れてイノセント・ゲームの開会を宣言した。その直後にシャッターの降りる物凄い音がして明かりがつくと、近藤さんは座席で眠っているようにうつむいていた……だが、実際は既に殺されていた」
 明日香とツバキは同意を示すように首を縦に振った。続いて明日香が口を開く。
「近藤さんは背中から銃で撃たれていて、アタッシュケースから拳銃が出てきたわ。だから凶器はその拳銃だと断定したわよね」
 ああ、と返事をすると、東條は「その時の推理だと、床に血痕が無かったことから椅子に座ったまま撃たれたと解釈し、さらに銃声が聞こえなかったので、シャッターの降りる音に紛れて発砲されたと結論づけた。だが、キャサリンの証言から、近藤さんが殺される前に誰かが上手側の通路を横切ったとあり、結局それが誰であるかまでは特定されていない」腕を組みながら、当時の状況を思い出していた。
「そうだったと思うけど、……実際は違うの?」明日香は首を傾げた。
「もし、その推理が間違いだとしたら……」
 勿体ぶるように言葉を貯めると、東條は二人の顔を交互に見つめる。
 明日香とツバキは固唾を呑んで次の言葉を待った。
 興奮状態の東條は、できるだけ落ち着くように努めながらゆっくりと口を開く。
「真相はきっとこうだ。近藤さんは座席に着いてからじゃなく、ホールに入ってきた時には、

。場所はおそらくこのロビーだろう。つまり銃声が聞こえなかったのは、シャッターの閉まる音にかき消されたのではなく、

。もちろん映画の音声や屋根からの雨音も、銃声が聞こえなかった要因にひと役買った。重傷を負った近藤さんは逃げるようにホールへと入場して、近くの座席に腰を下ろした。彼の席が扉に近かったのはその為だ。そう考えると、近藤さんがやたらと咳き込んでいたのも頷ける。助けを呼びたかっただろうが、その気力さえも無かったに違いない。そして失意のなかで死を迎えてしまった。床に血痕が無かったのは、犯人が血痕をハンカチか何かで拭き取ったんだ。ロビーもホールもコンクリートの床だから、さほど造作なかったはずだ。もっとも警察が本格的に調査を行えば、痕跡が発見できるだろうけどな。……しかし、ここで犯人にとって思わぬ問題が生じた」東條はにやりと口元を歪めると、「何か判るかい?」と、二人に問いかけた。
 わからないと首を振る二人。
 東條はコホンと咳払いして、「ロビーは問題なく拭き終えたが、ホールの中は映画が上映中だったためにほぼ暗闇状態だった。そのせいで床の血痕が見えなかった。当然懐中電灯は持ち合わせていなかっただろうし、スマートフォンのライトを付けると怪しまれると考えた。そこで犯人は、ある行動に出た」
「ある行動?」明日香が疑問を挙げた。
「ロビーの照明を利用することにしたのさ。つまり、三回目の扉が開いたのは、そこから出入りするためではなく、

。となると、必然的に、ケースに収められていた拳銃は近藤さんに与えられたアイテムではなく、犯人が元々所持していたということになる」
 唖然とするツバキ。一方の明日香は短く手を挙げて意見を述べる。
「……じゃあ、キャサリンの話はどうなるの? 今の推理だと、誰かが近藤さんに近づいたという彼女の証言と全く食い違うわ。それにあなたの推理通りだとすると、近藤さんはギフトマンのメッセージが流れる前に撃たれたことになるわよね。どうして犯人はその情報を知ったのかしら」
「いや、たぶん知らなかっただろう。さっきアタッシュケースを数えてみたが全部で十個しかなかった。つまり参加者は十人しかいなかったことになる。なのに、実際の人数は近藤さんを含めて十一人で明らかに一人多い」
「それは……犯人がケースを隠したんじゃない?」明日香はか細い声でいった。
「俺たちは館内を散々調べただろ? もしどこかに隠したのであれば、捜索した時に見つけたはずだ。それに受付の時のことを思い出してほしい。あの時、受付のおばさんから最初に何と言われたかを」
「確か、『三、八、九の中から好きな数字を』って言われた気がするわ」明日香は即座にそう答えた。
「そうだ! だから俺たちは八番と九番を選んだよな? つまり俺たちの後には一人しか参加者がいなかったことになる。きっと近藤さんで間違いない。つまり

」東條は己の失態に無性に腹が立ち膝を何度も叩いた。「どうしてもっと早く気付かなかったんだ、畜生!」
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