第105話

文字数 2,571文字

 開き直った東條は両手を振りかざしながら雄弁に語る。
「今さらとやかく言われても、直しようがありません。ご覧の通りとっくに完成しているんですから。文句があるなら事前に言ってくれないと」
 その発言が火に油を注ぎ、光江は感情をむき出しにして唾を飛ばす。
「事前にですって? だったらもっと早く台本を渡してください! 実際に渡されたのが撮影直前だなんて意見の言いようがないわ。それに配られるのは当日の分しかないから全体像なんて把握しきれないし。……誰の真似か知らないけれど、秘密主義もいい加減にしてほしいわ!」
「それは謝ります。でもそれは秘密主義でもなんでもなく、単に台本が間に合わなかったから、仕方なくそうなってしまったんです。申し訳ありませんでした」手負いの監督は深々と頭を下げた。
 だが、そんな彼を擁護する者が現れた。アメリカ人英語教師で殺し屋役のキャサリン・ラドクリフだ。
「ミーはエンジョイできましたヨ。エキセントリックなアートがウブゴエを上げたと思いマース。モスト注目すべきはミーのハクシンに迫った演技デース。まさに出色の出来といえますネ」
 キャサリンの言葉を遮るように、風俗嬢役のツバキが咳ばらいをし、全員の総意ともいうべき言葉を放った。
「とにかく最大の難点は、主役であるあなたよ、東條監督」
 ツバキの発言に、言われた本人以外のすべてのメンバーが深く頷いた。
「え? 俺? どこが問題なんだ!?」心外とばかりに口を尖らせる。髪を一回かきあげると、ツバキはその根拠を淡々と語り始めた。
「デビュー作でいきなり監督、主演、脚本、演出、そして音楽から編集、弁当の手配まで一人でこなしたのは立派よ、頭が下がるわ。だけどいくら主人公とはいえ、あまりにもカッコ良すぎない? 殆どのシーンに出ずっぱりだし、そのくせ演技がひどすぎる。台詞は棒読みだし、感情が入っていないのは見え見え。素人でもまだまともな芝居をするわ。私も演技中に何度も吹き出しそうになったくらいよ」苛立たし気に腰に手を当てて、「他の役者がそつなくこなしているだけに、あなた一人だけが浮きまくっているのよ。アイドルのプロモーションビデオじゃないんだから」
 ツバキの意見を意外に感じ、東條は反論した。
「……気持ちは判らないでもないが、俺はあくまでも添え物に過ぎない。主役は皆さんなんです。それに誰がどう見たってエポックメイキングなエンターテイメントの中に、愚かな人間たちの悲哀を描いた素晴らしい作品に仕上がっているじゃないですか。バイオレンスの中にもセンチメンタルリズムがキチンを表現されている。自分で言うのも照れますが、コッポラの再来だという自信があります!」
 すると最年長であるギフトマン役の岐阜トーマンが手を挙げた。彼はイギリスと日本人のハーフであり、母国イギリスでシェイクスピアを中心に舞台の研究を行っていた大ベテランだ。スタッフからの信頼も厚く、みんなからは親しみを込めて『義父トーマン』と呼ばれているくらいで、今回は助監督も兼ねて参加していた。
 彼も何か物申したいことがあるようで、仰々しく咳払いをしたのちに口を開く。
「……ひとこと言わせてもらって構わんかな? 確かにシナリオも最低じゃが、それには目をつぶろう。ワタシが言いたいのはやはり演技のことじゃ。監督には何度も物申したが、改めて発言させてもらう。ツバキは東條以外の役者はそつなくこなしていると言ったが、ワシから言わせれば、他の役者たちも演技がひどすぎる。所詮はアマチュアの集まりだから仕方の無いことかもしれんが、それでも見るに堪えんよ。ツバキの言う通り、監督の演技はその中でも最悪じゃ。よく主役を張れたな。いくら映画は監督の物とはいえ、ダイコンだという自覚はないのか? 棒読みは仕方がないとしても、口調や表情が全く変わらないのは致命的じゃな。今後役者を続けるのであれば、もう少し演技の勉強を磨いてからにしたまえ」
 トーマンはこれまで何十年にも渡って第一線で活躍し続けているだけに、彼の言葉には説得力があった。いかに監督といえど、東條はトーマンに頭が上がらない。しかし、普段であれば口答えなどしないのだが、それでも侮辱されたのが我慢できず、無礼を承知で意見を述べた。
「失礼ですが、あなたは映画というものが判っていませんね。あなたの眼には不器用な演技に見えたかもしれませんが、あれはワザとです。敢えて抑えた芝居をしていたんですよ。ご存じないかもしれませんが、舞台と映画ではそもそも演技プランが全く異なります。舞台では通用したとしても、それが必ずしも映画に向いているとは限りませんから」
 岐阜トーマンは憮然としながら黙り込んだ。もはや呆れてものが言えないようで、怒りを露わにしながらも唇を震わせたままだった。
 東條はこれ以上弁解する気にはなれず、手持無沙汰を隠すようにペットボトルの水を口にした。

 それで批判が収まるわけもなく、再びツバキが口を挟む。
「それにキャストの設定なんだけど、名前や年齢、それに職業などは実際と同じになっているわよね。だけど監督だけ違うのは何故かしら? あなたの本業は確かシステムエンジニアじゃなくて、ラーメン屋のアルバイトでしょう? 年齢も実際より五歳もサバ読んでいるし」
 痛いところを突かれ、たじたじになった。東條としては開き直るしかないと鼻を膨らませる。
「……主人公がラーメン屋のバイトだとカッコ悪いだろ? それにほら、冒頭シーンの撮影の時、餃子屋や喫茶店を借りる段取りをつけることができたのは、ラーメン屋のコネが効いたわけだし……」
 それが気に食わないのか、明日香が頬を膨らませる。
「当初の打ち合わせでは、餃子じゃなくてイタリアンだったでしょう? 全然おしゃれじゃないし、煙草臭かったわ。そして何より私、猫アレルギーなのは知ってるわよね。我慢して演技していたけれど、全身に蕁麻疹(じんましん)ができて最悪だったわ。もう二度と御免よ。 結局、あなたの役の設定が現実と同じなのは、奥さんと子供に逃げられたことだけよね。しかも映画の中では如何にも甲斐性なしが原因で別れた感じに映っていたけど、本当は完全にあなたの浮気が原因でしょう?」
 東條は完全に腰が引けていた。映画の中で見せていたカッコよさ(?)は微塵も見られない。
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