第98話

文字数 2,143文字


   * * *

 『スリー……トゥー……ワン……ファイヤー!!』
 ドアの向こうから、カチッと音が鳴った。ついにボタンが押されたのだ。
 どこからともなくシューシューと空気の漏れだす音が聞こえてくる。 
 パニックに陥った明日香とツバキは、張り裂けんばかりの悲鳴を上げた。
 それでも東條は音を頼りに毒ガスの噴射口を探すと、コンロの奥から薄く白い煙が発生しているのを見つけることができた。二口あるガス栓のうち、コンロに繋がれていないほうから噴射している模様だった。
 ガスを止めようと栓を力いっぱい捻るが、細工されているらしく、一向に収まる気配を見せない。
 とりあえず右手でガス口を押さえる。が、完全には塞ぎきれず、漏れ出る煙は徐々に広がりをみせている。
 明日香とツバキは急いで水道の蛇口を捻り、三人は水で濡らしたハンカチで口をふさぐ。無駄な抵抗だと判っているが、それでもやらないよりはマシに思えたし、他に手段がなかった。
 ……やがてもうろうとしてきた意識の中で、東條はガス口を押さえながら、二人に棚からチューイングガムを取るように指示を出す。
「こんな時にガムだなんて、何を考えているの?」明日香は半狂乱気味に口を尖らせた。ツバキも舌打ちし、嫌悪感を露わにしている。
 緊迫感を前面に押し出し、東條は声を張った。
「このまま死ぬわけにはいかない! 二人とも俺の指示通りにしてくれ! 頼むから!」
 気迫に押されたのか、明日香とツバキは言われた通り棚からタブレット式のチューイングガムを出した。
 左手でガムを三粒受け取った東條は、すぐさま口に含む。
「君たちも噛むんだ。ある程度噛み終わったら、すぐに渡してくれ!」
 明日香とツバキはさらに訳も判らずといった色をみせながらも、急いで口に放り込んだ。数回顎を動かし、二人ともまだ味の残る噛みかけのガムを取り出して東條に手渡す。
 自分のガムを加え、それらを手のひらで一つに丸めると、東條は噴射しているガス口に詰めて栓をした。
 白いガスが完全に止まるのを確認し、即席にしては上出来だと、東條は安堵の溜息を吐く。
「これでひと先ずは大丈夫だろう」
 エリートエンジニアの称号は伊達ではないとばかりに胸を張って見せたが、実は昔見た映画の受け売りだったことは口にしない。
 それでも明日香は感心した模様で、ツバキもほっとした表情になった。
「なるほどね。ガムで穴を塞ぐなんて、とっさにしてはなかなかの機転だわ」ツバキは感激して東條に抱きつき、頬に口づけをした。

「次はお湯だ。お湯を沸かせ!」東條の指示は続く。
「お湯?」明日香は戸惑いを隠せない。「お湯ってまさか最後にカップラーメン? この状況でよくそんな……」
「違う! 説明している時間はない。いいから早くしてくれないか!!」
 せっつかれて仕方なくといった感じでやかんに水を入れると、明日香はコンロのつまみをひねった。
「でも、ドアの外にはまだキャサリンがいるわ。ガスが止まった事を知ったら、今度はピストルで私たちを撃ち殺すかも」
「そのためのお湯なのさ。これでキャサリンを罠にかけるんだ」
 明日香がお湯を沸かしている間に、東條は水槽の下の洗面器をちゃぶ台に乗せると、冷凍庫からドライアイスを取り出し、封を切って洗面器にぶち込んでいく。

 やがてお湯が沸きあがると、ドライアイスの入った洗面器をドアの前に置き、やかんを傾けた。
 途端に白い煙が大量に発生していく。その煙の一部がドアの下部の隙間に流れ出すのを確認すると、
「よし、これでニセの毒ガスが作り出せた。後はキャサリンが引っかかってくれるのを待つだけだ」
「ニセの毒ガス? こんなのでキャサリンが引っかかるとでも?」
「まあ見てなって」
 東條はちゃぶ台をのけると、その下に畳の縁を掴んで持ち上げた。
「いいか、これからが本番だ」東條は明日香とツバキに秘密の抜け穴が見つかったと演技するように促した。「あっ、こんなところに出口がある……続けて」
「助かったわ。これで賞金が貰えるわね……これでいいの?」如何にも棒読みの明日香だったが、それに構わず今度はツバキが叫ぶ。 
「キャサリンのマヌケ顔が思い浮かぶわね。Oh! クレイジー! ミーの負けネ……なんちゃって」
 なかなかの演技力だ。ツバキの声色は明らかにキャサリンを真似したものである。東條は満足といった表情を見せながら、指を輪っかにしてOKサインを作った。

 煙が収まると、洗面器を抱えて部屋の奥へ移動し、ふすまを開ける。三人は押し入れの中に身を隠し、声を潜めながらキャサリンを待つことにした。

 時間が刻々と過ぎていく。一秒が十秒にも思え、互いの息遣いが数倍にも聞こえた。
 東條は気が気ではなかった。
 ――ガムの栓がいつまで持つかも判らない。もし、キャサリンが入ってくる前に栓が抜けたらもう終わりだ。キャサリンがこっちの仕掛けた罠に気づいたとしたら……。
 
 やがてドアの開く音が聞こえると、押し入れに緊張が走る。
 畳を動かす気配を感じた直後、キャサリンの驚く声が響く。「これはどういうこと?」
 それを合図に東條は叫ぶ。
「今だ!」
 手に掛けていたふすまを勢いよく開き、三人は、畳の下の板張りを戸惑いながら見つめるキャサリンに飛び掛かった……。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み