第56話 第五章 完

文字数 1,540文字

 ベンチに腰を下ろした五人は、見張りの是非について、改めて協議することとなった。
 大沼は武器を持たない訳だし、あれから東條がトイレに行き、大沼青年に話しかけたら『朝になったらここから出ます。心配かけてすみません』と、だいぶ落ち着いてきている印象だったからだ。
 トイレから出られないように、ベンチか何かで入り口を封鎖したらどうかとの意見もあった。
 東條としてはその意見に同意しかねた。そんなことをすれば大沼青年はますます意固地となり、本当に閉じこもってしまうのを懸念したからである。なにより尿意を催した場合、トイレを使用できない。もしそうなったら女子トイレを利用するしかないが、それを説明するためにわざわざ控え室にもどるのも面倒だし、彼女たちに反対されるおそれもある。
 テレビマンの溝吉も、「さすがにそこまですることは無いやろう」と、東條の反対意見に同意した。
 それでもせめて見張りぐらいは、との声も挙がった。
 しかし、大沼を誰よりも憎んでいる筈の来栖沢の放った、「そこまでせずとも大丈夫だろう」との言葉の前に、東條たちは従うしかなかった。腰痛がひどく、とても見張りどころではないというのが本音だろう。
 サムエルは終始無言を貫いた。通訳であるキャサリンがいないこともあるだろうが、むしろ関心がないという印象のほうが大きかった。
 結果、見張りは立てないという結論に達し、協議は終わりを告げた。

 
 紅平は目薬を差し終えるとすぐに横になった。眼鏡はベンチの下に置いてある。
 溝吉は盗まれないように用心してか、腰にロープを巻き付け、これなら安心とばかりにベンチにどっかりと身を沈めていた。
 サムエルは寝付けないらしく、身を起こして頭を掻きむしっている。
 片や来栖沢は、あれだけ休んでいたにも関わらず、横になった途端に寝息を立てていた。やがて溝吉のいびきも鳴りだす。紅平が特にうるさい。
 東條は無言でロビーのソファーで毛布にくるまり、束の間の安らぎに身をゆだねようと試みる。
 しかし、まぶたを閉じても、蛍光灯の白い光が眠りを妨げた。先ほど調べた時に館内中の照明が消せないことは確認している。そのため明かりはついたままにするしかなかった。

 いつの間にか雨がやんだらしく、ロビーは男たちのいびきだけが響き渡る。
 高ぶる神経といびきによる騒音に辟易し、東條はむくりと起きだし、ポケットウイスキーを一口だけ傾けた。わずかなアルコールであったが、それでもだいぶ落ち着きを取り戻し、再度まぶたを閉じれば自然とリラックスできた。思っていた以上に体力を消耗していたようである。

 まどろみの中、ふと子供たちの笑顔を思い浮かべる。
 無邪気に微笑む宝物たち。
 それが夢なのか妄想なのかは判らない。
 ――もし、ここを無事に出られたならば、久しぶりに会いに行こうか。たとえどんな無様な姿をさらしたとしても……。
 さほど経たないうちに眠りへと落ちていく感覚。
 時折見せる明日香の重い表情が浮かんできた。何かを思い詰めているかのような暗い顔だった。彼女は何故ここに東條を連れてきたのだろうかと思わずにはいられない。彼女は元恋人のために横領という不正をはたらいたと言っていたが、それが真実だという保証はどこにもない。
 それでも東條は信じるしかないと心に決める。信じたかったと言った方が正確かもしれない。

 不意に誰かが起き上がる気配を感じ取ったが、思い過ごしだろうか。
 
 やがてシャッターの向こうからフクロウの鳴き声が聞こえてきた。まるで優しく子守歌を唄っているようで、このまま明後日の正午まで眠っていても良いかと思えるくらい心が安らいだ。

 だが、それは新たなる悲劇への幕開けに過ぎなかったことを、東條はまだ知らなかった……。
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