第25話 第二章 完

文字数 1,964文字

「いやあ、助かった。お前さんのおかげでこの筋肉野郎を鎮めることができた。若えのに、なかなか見どころがある男じゃな」
 年配の男は東條の肩を叩くと、嬉しそうに破顔した。
「申し遅れました。自分は東條といいます――」
 新たに現れた三人に多少うんざりしながらも、東條はこの日何度目かの自己紹介を始めた。

 残りの六人全員が自己紹介を終えると、今度は彼らの番だった。もちろんプロレスラーの男は金髪美女の通訳を介してである。
 判ったのは年配者の男が紅平万治(べにだいらまんじ)で、年齢は七十一であること。
 一昨年まで老舗の和菓子店を経営していたが、現在は長男に譲って悠々自適の年金生活を送っているとの話だった。数年前から白内障を患っているらしく、目薬は欠かせないらしい。現に自己紹介を終えた直後、ベンチに腰を下ろし、眼鏡を外して目薬を差している。

 金髪美人はキャサリン・ラドクリフと名乗った。
 生粋のアメリカ人のようで、一昨日二十八歳になったばかりらしい。
 来日して二年目だそうだが日本語はまだ不得手……いや苦手のようだ。駅前の商業ビル内のテナントの英会話教室に講師として勤務しているようだ。これだけの美人なら東條もレッスンを受けたいところ。明日香を狙っておきながら、こういう浮気性のことろが、離婚の最たる原因なのかもしれない。

 かたやプロレスラー風の男は著名なサウスポーのテニスプレイヤーらしく、ウラジオストクから観光のために来日してきたばかりだという。
 年齢は三十三歳とのことだが、髭の効果なのか四十以上にしか見えない。名前はサムエル・ジェパーソン。ロシアっぽくない名前なのは、彼の両親がカナダからの移民であり、その前はポーランドから渡って来たのだという。彼の祖先には興味がないが、人生いろいろといったところである。

 三人にもここに来た経緯について問いただしたが、やはり東條たちと同じメールを受けて来館したとのことだった。
 東條がスマートフォンを見せると、彼らもメール画面を提示した。和菓子職人の紅平と英会話講師のキャサリンは見慣れたあの文面だったが、テニスプレイヤーのサムエルだけはロシア語の文面なので、見せられてもさっぱり判らず、結果的に東條だけがちらりと見ただけで誰も後に続こうとしない。仮に嘘のメールだとすれば彼を疑うことになるだろうが、それを証明する術などあるはずなかった。
 意外な事だが、最年長である紅平のスマートフォンが、この中で最も新型であるという事実が判明した。昔気質の頑固そうな老人に思えたが、流行り物好きだったのは意外だった。
 三人にアタッシュケースの道具を訊いてみたが、警戒しているのか誰も明かそうとはしなかった。
 ここまでの会話で全員は互いに初対面だったことが判明した。年齢、性別、そして職業や住所までもバラバラで共通点は見られない。つまり知り合いは一人もいないということ。もちろん来栖沢夫妻を除いて、であるが。
 これでロビーにいるのは十人となった。残り二人いるはすである。一人はまだホールに残っているXことソフト帽の男性だろうが、もう一人いるはずのZはどこで何をしているのやら。気を揉まずにはいられない東條だった。

 シアターホール入口のデジタル時計は午後二時八分を知らせていた。ギフトマンの荒唐無稽なメッセージから二時間ほど経過した計算になる。一向に出てくる気配をみせないX(ソフト帽の男)が心配になり、明日香を連れてホールへと戻ることにした。
 大沼と溝吉、そしてツバキの三人は、Zとなる最後の人物を探しに映画館内を廻ると言い出し、ロビー右奥の通路へと向かっていった。

 シアターホールの扉を開けて中に入ると、ソフト帽の男はまだ同じ席に背中を預けたままだった。ベージュのトレンチコートで両手を膝の上に乗せ、左隣の席の上には黒いサングラスが置いてある。下から覗き込むと、男は俯きながらまぶたを閉じている。あれだけ咳き込んでいたのだから、もしかすると動けないほど具合が悪いのかもしれない。
 東條は思い切って、すみませんと声を掛けるも反応が無い。続いて肩をゆすろうと手を触れた瞬間――!
「えっ!?」なんの抵抗もなく男の体が前に倒れ込んだ。
 ソフト帽が床に落ちる。
「きゃあああああ!」
 明日香の悲鳴がホールを揺らし、思わず顔をそらした東條は額や背中に戦慄の汗が湧き出るのを感じた。
 絶句しながら前かがみに倒れたソフト帽男に目を向ける。背中の中心あたりが赤く染まっており、そこには指先程の小さな黒点が見えた。おそらく銃器による弾痕と推定される。椅子の背もたれ部分には同じく血痕があり、背中を撃たれた後に座ったのは間違いない。試しに脈を取ってみたが、わずかな鼓動も感じることが出来なかった。

 東條は後ずさりをしながら、声にならない声を上げた……。
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