第55話

文字数 2,459文字

 しばらくしてツバキがゆっくりとナタをフライパンの隣に置いた。
「それはいいアイデアかもしれないわね。大沼君のナイフもある事だし、誰かが変な気を起こそうとしても、武器が金庫にある以上は、ヤバいことにならないと思うわ」護身用としては充分過ぎる程の武器を持つ彼女は当然反対するかと思っていただけに、東條は意外に思えた。
 同意を得るため他のメンバーに訊いて回ると、溝吉はロープをかたくなに握りしめながら、「ワイは反対や! こんなチンケなロープでも使い勝手はあるで。例えば洗濯物を干したり、屋上から脱出したり、こうやって頭に巻きつければ……見てみい、宴会用の鉢巻きにもなるんやで」鼻歌を唄い、テレビマンは陽気に踊る。
 溝吉は実に楽しそうだ。もっともそれは不安を隠すためのパフォーマンスかもしれないが。
 当然明日香も東條の提案に同意すると思っていたが、意外な事に彼女も反対票に回った。
「私も溝吉さんに賛成よ。もし大沼君が犯人じゃなかったらどうするの。護身用としては頼りないかもしれないけれど、それでもアイスピックを手放すわけにはいかないわ」
 味方だと思っていただけに、東條は失望を憶えずにはいられなかった。
「紅平さん、あなたはどう思いますか」
 何度目かの目薬を差し終えた紅平。彼はどちらとも決めかねているようだった。
「こちとら賛成も反対もねえ。難しいことはよう判らねえから、みんなが金庫にしまうというなら従うまでじゃ……ところでワシの武器を知りてえかい?」紅平は懐からこぶし大ほどの小瓶を出した。「ほらこれじゃよ。使い方なんて判らねえから持っていても意味ねえけどな」
 瓶にはコルクで栓がしてあり、その上には栓をまたぐような形で細長いシールが貼られている。中には透明の液体が三分の二ほど波打っており、ラベルにはドクロマークが付いていた。おそらく毒薬だと思われる。シールを剥がした跡が無いことから、まだ使われていないのは明白だった。彼は使い方が判らないと言っているが、本心は知る由もない。だが、ここで自らの武器を公表したということは、本当に殺意がないとも解釈できる。

 次に言葉を発したのはキャサリンだった。
「ミーはオーケーよ。ノープロブレムね」
 キャサリンはポーチから黒くて四角い物体を取り出した。一見バリカンのように見えるが――。
「スタンガンヨ。マーダリングはノットでもパスアウトは千載一遇ね」
 千載一遇の意味をはき違えているきらいはあるが、『殺人は無理でも、気絶させることはできる』という趣旨だと解釈した。
 しかしスタンガンとはこれまた物騒なアイテムである。近藤を死に追いやった拳銃を除くと、これが今までで一番強力かもしれない。いや、拳銃に弾丸は無いのだから実質最強だ。
 ――しかし相変わらず片言のおかしな日本語だ。英語教師ってのも怪しくなってきた。本当はツバキと同じ風俗関係かもしれない……なんて口にしたら、逆にツバキに失礼か。

 次なる矛先はサムエルに向いた。
 例のごとくキャサリンを介して武器を出すように説得してもらうが、彼は断固として譲らなかった。
 結局武器の正体すらも判らずじまい。もっとも彼の場合は素手でも人を(あや)められそうではあるが。

 最終的に賛成が三票、反対が三票、どちらでもないが一票となった。通常であれば、仮に来栖沢栄太が賛成だった場合、多数決で武器が金庫行きになるところだ。だが、今回の場合は話が違う。反対が一人でもいたら成り立たない。多数決ではなく全員一致でないと意味が無いのだ。つまり、東條の提案した議題は溝吉が拒否した時点で棄却されたこととなる。
 東條としてもこれは想定内であった。殺意の有無にかかわらず、自らの武器を封印するなど、相当の勇気を有するからだ。
 そこで東條はプランBを提示した。
「仕方ありません。では別の対策を立てましょう。真偽はともかく、現在殺人犯として一番怪しいのは大沼君です。私は彼の無実を信じますが、不安な方もいるでしょう。もうすぐ零時を回ります。そろそろ睡眠を取りませんか? 私も限界ですし、みんなもそうだと思います。女性である飯島さん、ツバキさん、キャサリンさんの三人はこの控え室で、残る男性陣は毛布を持ってロビーで休むことにしましょう。そして男性である私たち五人が順番にトイレに見張りを立てて、もし大沼君が出てくるようならば、大声を出してみんなに知らせてください。彼は丸腰だから危険も少ないし、それならば安心でしょう」
 東條の意見に対し、女性三人は賛同したのに対し、男性たちは首を捻る。見張りを立てることに躊躇しているようだった。
 明日香は、布団にくるまる歯科医師に顔を向けながら疑問を放つ。
「それはいいアイデアだと思うけど、来栖沢先生はどうするの? このまま寝かせておくつもり?」
 すると突然声が響いた。
「それには及ばんぞ!」
「先生! 起きてたんですか」
 来栖沢は布団から上半身を起こすと、目をこすりながら皆を見据えた。
「ああ、ちょっと前からな。心配せずともわしもロビーで寝る。といっても充分休んだから眠気はほとんどないがな。武器の件だがわしは賛成だ。こんな老いぼれには使いこなせんだろうし、家内がいなくなった今となっては、この世に未練はない」
 来栖沢は「好きにせい」と布団の中から警棒を転がした。伸縮自在に伸び縮みするタイプのやつで、警備員などがよく使う代物だ。
 東條は「それでは不公平です」と警棒を返そうとしたが、来栖沢は「あっても役に立たない」と突き返してきた。

 東條は金庫を開け、空の拳銃と血の付いたサバイバルナイフ、それに来栖沢の出した警棒を金庫に入れて鍵を掛けずに扉を閉めた。
 フライパンを腰のベルトに挟み、東條は押し入れから人数分の毛布を取り出してメンバーに配った。
 そして女性三人を残し、男性五人はロビーへと向かう。
 だが、控え室を出るなり、来栖沢は腰を押さえながら苦悶の表情を浮かべた。
「……やはりさっきの警棒は返してくれんかの。杖代わりとして使いたいんだ」
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