第5話

文字数 1,724文字

 その日、早起きした東條隆之(とうじょうたかゆき)は一年ぶりに実家のある千葉へと帰郷した。
 二年前に亡くなった父方の祖母の三回忌のためで、船橋市の中心部から車で三十分ほどの片田舎にある古ぼけた一軒家だ。
 列車が遅延し、予定より一時間ほど遅れたために、法事は既に始まっていて、大広間の襖を開くと、二十人弱の親戚たちがうつむきながら正座をしていた。
 気まずい思いで数珠を握り、母親に小さく声をかけ、後ろに並べてある座布団を取って腰を下ろした。
 だいぶ前に始まったということだが、それでも延々に続く住職の説教に辟易しながら、東條は足の痺れに耐える。

 足の痺れが限界に達したころ、ようやく法事が終わりを告げた。住職を見送るとやることが無く、手持ち無沙汰になった。夕方には高校時代の同級生である上原(うえはら)と会う約束をしていたが、それまでもまだ三時間ほど余裕があった。
 先に待ち合わせ場所である船橋の繁華街に向かおうかと、スマートフォンを取り出す。だが、運の悪いことに話好きの叔父に捕まってしまった。逃げようとしても無駄だ。叔父は一度捕らえたら、マシンガンのようにしゃべりまくり、しばらく放そうとはしない。
「おい、隆之。最近調子はどうだ? 今年でいくつになった?」
 いつもこの調子である。息子と同い年なのだから、いい加減に覚えてくれと、心の中で毒づいた。
「三十一になったばかりです」口を尖らせると、矢継ぎ早に次の質問を受けた。
「確かエンジニアだったな。どこの工場で働いているんだ?」
 またこれだ。何度も説明しているが、この男は未だに仕事の内容を憶えようとはしない。
「システムエンジニアです。簡単に言えばプログラマーのまとめ役のようなものです。この前も話したじゃないですか。車のエンジンじゃなくてWebデザインやPCソフトの開発を総括しているんですよ。これでも」
 このやり取りも数えきれないほど繰り返している。しかし、これくらいのことで滅入る東條ではない。この次の質問こそが、もっとも厄介であったからだ。
「へえ、凄いもんだな。ところでカミさんと子供たちは元気か? 今日は一緒じゃないみたいだが」
 一番触れられたくないところをズバッと切り込んでくる。これだから叔父は得意ではない。
「……前にも言いましたけど、二年前に離婚したんです。僕の口から言わせないで下さいよ」
 言われて思い出したのか、叔父はすまんと手を合わせながら頭を下げる。しかし、この次会ったとしても、また同じやり取りが繰り返されるのは目に見えていた。

 そんな空気の読めない叔父に連れられ、床の間に座り込む。
 幼少時代の話や、仕事の調子などを肴にビールや焼酎を交わした。一時間ほど相手をしたところで、叔父が酔いつぶれて床に入ると、ようやく逃げ出すことができた。

 予定より少し遅れ、上原と会うためにタクシーに乗って市内の中心部にある繁華街へと繰り出していく。既に日が傾いていたが、そんな事は一切構わない。むしろここからが本番だと、東條は意気込んでいた。

 国道沿いに南西方面へと進み、タクシーは渋滞を避けるように裏道を抜けながら街中に入っていく。昼夜を問わず賑わいを見せるこの街は、あちこちに商業施設の入ったテナントビルが立ち並び、窓から望む久しぶりの街並みに酔いしれた。
 駅から少し離れたアーケードの入り口付近でタクシーを停めた。料金をカードで支払い、車を降りると、そこには家路を急ぐサラリーマンや、楽しそうにはしゃぐ子供と、それを連れた三十代の夫婦、それに集団で騒ぐ若者たちなどが行き交っていた。
 少し歩くと、明らかに異国の者と思しき話し声が聞こえてきた。中国からの観光客と見える。彼らは携帯ショップの前で、やたらと大きな声を出しながら、周りを気にせず値切り交渉を行っている。かと思うと、今度はホームレスのようなみすぼらしい格好をした初老の男性が、下を向きながら空き缶の詰まったビニール袋をとぼとぼと運んでいた。

 やがて月の輪郭がはっきり認識できる頃になると、蝶ネクタイを締めた若いお兄さんの客引きの声が本格的になり、キャミソールと見まがう程、肌を露出した趣味の悪い服を着崩した夜の女たちも、甘い囁きを垂れ流している姿が目撃された。
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