第21話

文字数 2,583文字

「すみません、ちょっといいですか」
 東條は出来るだけ悪印象を与えないよう、微笑みながら声を掛けた。今はとにかく情報を集めなくてはならない。
 すると二人とも同時に顔が上がり、東條は男性の方と目が合った。男は「何ですか」と、眼鏡の奥の目を細める。
「自分は東條といいます。普段はエンジニアをしています。こちらは――友達の飯島さん」あわや恋人ですと言いかけたが、(すんで)のところで言葉を変えた。
「初めまして、飯島明日香と申します。派遣でOLをしています」
 明日香は会釈をしながら自己紹介をした。東條はポケットをまさぐりながらスマートフォンを取り出す。
「私たちはこのメールを受け取ってここにやってきたのですが、あなた方もそうではありませんか?」
 そういってメール画面を表示させながら、ここに来たいきさつを簡単に説明する。話を聞き終えると、二人も同じように携帯をかざした。そこには東條たちの受診したメールと同じ文面が画面に表示されていた。
「わしは来栖沢(するすざわ)だ。来栖沢栄太(えいた)。市川市内で歯科を開業しておる」来栖沢栄太は隣の女性を指して、「こっちは妻の光江(みつえ)。こいつも歯科衛生士の資格を持っておって、以前は助手をさせておったが、今は専業主婦だ。君たちと同様にメールを見て、夫婦共々のこのことやって来たというわけだ。家内は携帯を持っておらんから、わしの携帯に連名だったがな。もちろん賞金に目がくらんだわけじゃない。公表されて困るようなことなど何も無いからな……そう、いわば好奇心というやつだな。……まさかこんな事態に遭遇するとは思ってもみなかったが」
 つまり歯科医の先生とそのご夫人という訳だ。道理で高級そうな衣服を身に着けているのだと合点がいく。だが、ここに来た目的は好奇心だというが、果たして本当にそうなのだろうかという疑念が胸をかすめた。
 来栖沢医師は顔を歪めながら再び腰を押さえる。妻の光江は不安げにその腰を一心にさすり始めた。
「あなた、大丈夫ですか? やっぱり家で大人しくしておくべきだったのよ。預金も充分あるし、それなのに腰痛を推してまで外出するんて、年寄りの冷や水と言われても文句言えないわよ。……こんなおかしないたずらに巻き込まれるなんて、気味が悪くて仕方が無いわ」
 すると来栖沢が声を張り上げた。
「バカモン! これでもまだ五九だ。年寄り扱いしよってからに。まだまだ引導は渡さんぞ!」
 しかし光江は慣れっこなのか、飄々(ひょうひょう)とかわす。
「はいはい、失礼しました。腰がどうなっても知りませんからね。もう勝手にしなさい」
 そう言いつつ、光江は夫の腰をさすり続けている。仲の良い老夫婦のようで、東條は安堵を憶えた。ようやく明るい顔を見せた光江は、顔だけを東條たちの方に向ける。
「あなたたち――確か東條さんに飯島さんとおっしゃったかしら? お互い災難でしたわね。こちらも本当は自宅で安静にしておけばよかったのですが、主人がどうしてもと言ってきかないものでして。医者の不養生とはよく言ったものですわ。もちろん歯医者の不養生とは言わないかもしれませんけれど」
 自嘲気味に苦笑いを見せる。彼女なりのジョークなのかもしれないが、少しも面白いとは思えない。明日香を見るとやはり同じ模様で、腰に手を当てながら困惑している様子が見て取れた。物腰の柔らかい丁寧な口調の光江に、東條は大和なでしこの印象を持った。衣装が少し派手なのとケバ過ぎるメイクが、大和なでしことしては致命的だが。
「ところでアタッシュケースの中身は何でしたか? 自分は見ての通り……」東條はコツコツとフライパンを指で鳴らす。
 続けて明日香は、「私はアイスピックです。自分から使う事は無いでしょうけど、護身用には良いかもしれません」と、ハンドバッグの表面をポンと軽く叩いた。
「わたくしたちも似たようなものよ。……ええと何だったかしら?」
 光江はトートバッグを膝に乗せて中をまさぐる。
 彼女は何かを掴んだように腕を動かすが、それをバッグから抜き出そうとした時、背後から声が掛かった。
「すみません! ちょっといいですか?」
 振り返ると、そこにはさっきまでガラス戸を叩いていた青年が、両手を膝に付きながらハァハァと荒い息を吐いていた。きっと今まで映画館内を駆けずり回っていたのだろう。表情から察するに、何の成果も得られなかったように感じた。
 彼は深緑のキャップを後向きに被り、紫色のパーカーを着て腰から下は紺のジーンズを履いている。すっきりとしたシャープな顔立ちで細長の目が特徴的だ。一見華奢に映るが、意外と筋肉質で、いわゆる細マッチョタイプ。それなりに運動神経は良さそうだが、さすがの彼も出口探しに翻弄されたらしく、時々咳き込みながら息を整えていた。
「お二人もイノセント・ゲームの参加者ですよね? そちらの方は来栖沢先生でしたっけ。上映前にロビーで挨拶しましたけど、お二人とも僕のこと覚えていますか?」
 夫妻はゆっくりと頷いた。光江はアイテムを取り出そうとしていた右手を引っ込め、膝の上に置いた。
 青年はたくましい腕で額の汗を拭う。「やはりどこからも外には出られないようです。スクリーンの奥に搬入口があったんですが、鍵がかかっていて開きそうにないですし、他にも倉庫やら控え室やら、あと二階にある映写室にも行ってみましたが、出口どころか窓ひとつありませんでした。完全な孤立状態です。どうしましょうか?」
 どうしましょうかと言われても、何の情報も持たない東條には成す術がなかった。
 その旨を伝えると、青年は溜息をつきながら向かい側のベンチに腰を下ろし、俯き加減で指を組んだ。
 礼儀正しく好感が持てるが、その礼儀正しさが却って陰鬱めいて見えるのは、この状況のせいなのかもしれない。
 そんな東條の思惑を察したのか、青年は眉をピクリと動かし、「そういえば自己紹介がまだでしたね。僕は大沼和弘(おおぬまかずひろ)といいます。地元の大学の二回生で、専攻は文学部。といってもスポーツ推薦ですから、本はまるで読まないんですけどね」はにかみながら頭を掻いた。
 若者らしいはきはきとした物言いに、東條は好感を憶えた。その後の自己紹介にて、彼もまたメールによって導かれていたことが判明した。与えられた道具の件を訊いてみたが、すっかり忘れていたらしく、まだケースを開けていないとの答えが返って来た。
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