第38話

文字数 2,333文字

 突き当りを左に折れると、急に通路の幅が広がっていて、正面にドアが見えた。ちょうどロビーの真上にあたる場所だ。ここが映写室なのだろうか?

 扉の前で、キャサリンが早く来いとばかりに手招きをしている。
 東條が近づいてみると、色ヤケした焦げ茶色のドアの真ん中には、長方形が白く浮き出ていた。かつてプレートが貼ってあったと思われる。
 ここが最後の部屋であり、もしZが潜んでいるとすればここしか考えられない。東條は 胸騒ぎを憶え、フライパンを持つ手に力を込めた。
 ドアに手をかけノブを回すと、鍵はかかっていなかった。内開きになっているドアを押し開けると、途端に埃の匂いが鼻を突き、蛍光灯の明かりが網膜を指す。ドアの周辺を探してみたが、照明用のスイッチはここにも見当たらない。
 室内には様々な機材が所狭しと並んでおり、書類やフィルムが収められているであろうブリキの缶や大量の本、それにファイルなどがスチール製の棚やテーブルの上、床に至るまで散乱していた。部屋の散らかり具合は、まるで泥棒に入られたかのようだった。他がきれいに整頓されていただけに、違和感を憶えた。部屋の隅には丸い木製の棒が立てかけられていて、何に使うのであろうかと疑問を抱く。
 映写室の左側面には大きなガラス窓があり、その手前には窓に向けて映写機が設置してあった。窓を覗くと予想通り視線の先にスクリーンが見えた。
 映写機にはフィルムが掛けられていた。タイマーが十一時三十分に設定されている。ちょうど映画の上映が始まった時刻にあたる。
 映写機の反対側には大きなデスクに操作盤が備えられており、その壁の上にも時計があった。今の時刻は七時四十七分だから、上映開始から八時間あまり、経過したことになる。ゲームセットまであと四十時間弱。それまで生き延びることができるのだろうか。いや、絶対に生き延びなくてはと、東條は唇を強く噛みしめた。
 
 操作盤には様々なスイッチが並び、シアターホールの照明やフィルムの管理、音量や館内中の時計などの調整が出来る仕組みのようだった。ただし、ホール以外の照明を操作するスイッチは見当たらない。つまり、シアターホール以外の館内の照明を落とすことは出来ず、常に点灯したままの状態ということになる。電気代を気にするわけではないが、ここにもギフトマンの思惑が垣間見える気がしてならない。
 ここにもタイマーがセットされて、その時間は映写機と同じ十一時三十分。フィルムと連動して照明がフェイドアウトするようになっていた。
 ――これらをセットしたのはギフトマンに違いない。だとすれば彼がこの映画館内にいない可能性が強くなった。タイマーがセットしてあったということは、逆に言えば、リアルタイムでここにいる必要はなかったのだ。

 ――Zとギフトマンは別人なのだろうか?

 そこで恐ろしい考えが脳裏に浮かんだ。二人に話そうかどうか悩んだあげく、明日香にだけ打ち明けようと心に決め、そっと耳打ちしようと顔を向けた。
「明日香、ちょっといいかな」

 明日香が振り向こうとしたその時だった。

 ゴトッ!

 物音が聞こえた。一瞬にして空気が凍りつく。明日香とキャサリンも間髪入れずに音の方へ顔を向けた。それは部屋の奥に並ぶフィルム棚の向こうから聞こえてきたように思えた。
 全身に緊張が走る。
 東條は強張り固まる二人を入り口の扉付近へ戻し、「危険を感じたら、俺を待たずすぐに避難するんだ」と、抑え気味の声で指示を出した。
 気配を殺しながら、東條はゆっくりと音の方角へ足を進める。生唾を飲み込み、額から汗が噴き出すのを感じる。自分が次の犠牲者になるのではないかと、つい良からぬ想像をし、フライパンを持つ手が小刻みに震えるのを止められなかった。
 音の主がZだとすると、何らかの武器を所持している可能性だってある。むしろその方が自然だ。この小さなフライパンで、どこまで抵抗できるか、不安に押しつぶされそうになる
 がだ、それでも今は進むしかない。たとえ抵抗虚しくこの世を去ることになったとしても、せめて一矢報いたい。たとえそれが、わずかな傷だったとしても、いざとなればこの身を呈しても明日香たちを守らねばならなかった。それは男としてではなく、むしろ意地のようなものだ。それでもかまわない。格好つけるわけじゃないが、明日香のためなら――。
 万が一の場合は刺し違える覚悟を決めた東條は、奥に並んだフィルム棚の間に重い足を踏み入れた。
 そこで、ふと疑問が生じた。
 部屋を荒らしたのがZだとすれば、奴の目的は何なのだろうか? 探しものをしていたのかもしれないが、それは一体……。

 ゴトゴトッ。

 今度はさっきよりはっきりと聞こえた。
「誰だ!」反射的にフライパンの先を音の方向へと向ける。
 間違いなく誰かがいると確信し、破裂しそうな勢いで心臓が高鳴ると、さっきまでの勢いは一瞬に吹き飛び、急に喉の渇きを憶えた。やはり控え室でお茶をごちそうになればよかったと後悔しても後の祭りだ。煙草とまではいかないとしても、せめて景気づけにウイスキーをひと口といきたいところだが、その思いを懸命に押し殺す。目をこすり、深呼吸をして気持ちをなだめようとするが。鼓動は一向に早いままだった。
 東條は一歩ずつ慎重に足を踏み出し、音の鳴った場所へと着実に歩み寄る。まるで『遊星からの物体X』のカート・ラッセルになった気分だった。
 突き当りの棚の前に来ると、緊張はピークに達した。この先に誰かが潜んでいるのは間違いない。
 額の汗を左の手の甲で拭い、まばたきを繰り返して、一気に左の棚の間に躍り出る。
「動くな! 大人しくしろ!!」
 そこで東條は、腰を抜かすほどの衝撃を受けた……。
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