第108話 イノセント・ゲーム 完結

文字数 2,361文字

 ゆらりと席を立った東條は、小さな紙袋を持った明日香に腕を引っ張られ、ホールの隅に移動した。明日香は周りに誰もいないことを確認するように首を振ると、小悪魔的な笑みを見せながら小さく耳打ちした。
「……ここに入る時、映画館の横でファンと名乗る女性からお菓子を貰ったの。今から一緒に食べましょうよ」
 ――珍しいこともあるもんだ。未だかつて自分のファンだと自称する人物と遭遇した試しがない。
 これまで東條はいわゆる雑誌やテレビなどのメディアに出たことは一度もなく、大学時代から自主製作映画をコツコツと撮り貯めてはネットにあげて、三桁にも届かない閲覧数に納得のいかない毎日を送っていた。それだけに今回の映画にすべてをかけていた。たとえ地方のマイナーな映画祭とはいえ、もし決定すれば今回が初の劇場公開作品となるのだ。気合が入らないわけがない。
 もし、自分のファンがいるのは大変心強い。どんな人物なのかはわからないが、直接会ってみたいものだった。
「それって何のお菓子なのかな?」東條はファンから貰ったという小袋を指した。
「知らない。でも生菓子らしくて、できるだけ早く食べてくださいって」

 ふたりは座席に並んで腰を下ろし、袋を開けた。中には小ぶりの桜餅が二つだけ入っていた。桜餅といえば東條の大好物でもあった。最近はご無沙汰だが、かつて妻が作ってくれた記憶が頭を過ぎる。
 一抹の気まずさを感じながらもひょいとつまむと、東條はためらいなく口に放り込んだ。
「旨い!」心なしか妻の味と似ているような気がしたが、もちろん気のせいだろう。もしそうだとしても当然言葉にはしない。「これって手作りかな?」
「そうじゃない? 形は多少いびつだけど、味の方は悪くないわね」
 明日香は持参してきたペットボトルのウーロン茶を口にすると、少しむせたのちに飲みかけのそれを東條へ手渡す。
 ――それにしても奇妙な話だ。今日の試写会は内輪だけなので関係者以外は誰にも知らせていない。いくらファンとはいえ、なぜここが判ったのだろう?
 浮かんだ疑問を明日香にぶつけてみると――、
「たまたまじゃない? スタッフの誰かがSNSとかでうっかり呟いたとか」特に気にしている様子はない。
「それにしたって、こんな片田舎の映画館なんて、おいそれと来れるような場所じゃないだろ?」東條は釈然としなかった。
「この近くにも私たちのファンがいるってことよ。気にする必要なんてなくない?」
「だといいけど」それでも首を捻る心配性な東條と、あまり深く考えない楽天的な明日香。対照的な二人は映画とはまるで違う雰囲気だった。
 考えすぎだと思い込もうとしたが、それでも胸に不安がよぎる。この桜餅は妻のそれとあまりにも似過ぎていた。
「そのファンってどんな人だった?」悪寒が止まらない東條は、執拗に問い詰めた。
「さあ? あんまり覚えてないわ。年上なのは間違いないとは思うけど……。敢えていえば髪の長いとっても綺麗な人だったわ」
「……まさか顎にホクロなんて無かったよな」東條の背中に冷たいものが走った。
「さあ、そこまでは……。どうしてそう思うの? まさか知り合い?」
「いや、何となくそう思っただけだ。忘れてくれ」不安を打ち消すように、東條は空元気で答えた。

 桜餅を食べ終えると、明日香は東條の首に手を回し、甘い声を発した。
「今夜はどうするの? 私のマンションでいい?」
 そうしたいのはやまやまな東條だが、さっきから胸騒ぎが止まらない。
「……今日は止めておくよ。なんだか嫌な予感がするし、そろそろ居酒屋に行かないとな。主役の二人がいないと二次会が盛り上がらないだろうし」
 立ち上がろうとして腰を浮かす。が、急にあくびが出た。明日香も伝染したのか、彼女も眠気を訴える。
 二人は再び座席に腰を沈めると、自然とまぶたが下がり、ゆっくりと暗闇の世界に堕ちていった……。

 ガラガラガラガラ……!!!

 どこかで聞いたような騒音が耳をつんざき、東條は目覚めた。明日香も同じタイミングで起きたらしく、戦慄の表情で身を強張らせている。
 ――あれはシャッターが下りる音に間違いない。
 出口に向かおうと急いで席を立つ。しかし、足が何かに触れて危うく転倒しそうになった。視線を落とすと、互いの足元には見覚えのあるアタッシュケースがそれぞれ置かれていた。
 どうやら不吉な予感が的中したようだ。状況を察したのか、明日香も隣で身を震わせていた。

 アタッシュケースを手にしたところで照明が落ちる。と、正面のスクリーンに映像が流れだした。
 そこには後ろ姿の髪の長い女性が、背もたれのある椅子に腰かけながら背中を向けている。

 金縛りにあったように全身が硬直し、スクリーンに眼を奪われながら固唾を呑んでいると、しばらくして椅子を回転させ正面を向けた。
 女性はギフトマンと同じ仮面をつけていた。口元をニッコリ微笑ませ、仮面の隙間から覗く瞳は氷のまなざしで、シートに沈むふたりを見据えるよう、静かに語り出した。
「……お二人とも試写会お疲れ様でした。映画の完成を記念して、これからあなたたち二人だけのためにイノセント・ゲームを開催します。ただし、賞金はゼロで制限時間も無いわ。どちらか生き残った者だけが映画館から脱出できるというルールよ。二人とも相手がくたばるまで存分に戦ってちょうだい。応援するわ」
 映像がフェイドアウトして、シアターホールの照明が光を取り戻した。
 東條が震える手でアタッシュケースを開くと、中には映画で使用した小ぶりのフライパンがあり、明日香のそれにはアイスピックが収められていた。

 二人は武器を手にして席から離れると、互いに覚悟を決め、牽制しながらにらみ合った。


 新たなるイノセント・ゲームの火蓋が今、切って落とされたのであった……。
 
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