第48話

文字数 2,003文字

 映写室を出た東條隆之と飯島明日香は、足取り重く通路を引き返していた。
「……ねえ、やっぱり大沼君が殺したのかしら……?」明日香はぽつりと漏らす。
「判らない。だが、あの状況では疑われても仕方ないだろう。とにかく今はみんなに報告して来栖沢先生に検死してもらう他はない。自分の妻を検死しなければならないのは辛いだろうが、このままにしておくわけにもいかないよ。……心苦しいが俺から頼んでみるよ」
 東條の言葉に、自らを奮い立たせんばかりの勢いで、明日香は力強く足を踏み鳴らす。彼女自身も大学生の大沼和弘を信じようとする気持ちがあるように見えた。
「そうよね。まだ犯人が大沼君だと決まったわけじゃないんだから、可哀そうだけど先生にお願いして犯行時刻を割り出してもらわないと。……もしかすると大沼君の濡れ衣も晴らせるかもしれないしね」
「そういうことだ。まだ彼を疑う訳にはいかない」
 そう言いながらも、東條は大沼のことを完全には信じきれていない。彼が人殺しなどできる人間とは思えないが、それでも……。
 階段を降りながら、とにかく今は情報をと吐き捨てるように何度も呟いた。

 階段の踊り場に差し掛かると、膝を抱えながら座り込んでいる大沼の姿があった。沈み切った顔の彼は、東條を見上げて涙を流しながら嗚咽を繰り返し、東條が落ち着いてとなだめてから事情を訊ねてみた。

 暫く沈黙していたが、やがて失意の大学生はぽつりぽつりとかすれた声で話し始めた。
「……あの後、東條さんたちと別れてから、猫探しを手伝おうと二階に上がりました……映写室のドアを開けると、そこに人の姿はなく、目を凝らしながら奥の方に進みました。……あれはフィルムの並んだ棚の間に足を踏み入れようとした時だったと思います。背後に人の気配を感じたと思ったら、からいきなり棒のような物で殴られて気を失いました。……しばらくして目が覚めると、デスク前の椅子に来栖沢先生の奥さんが座っているのが見えました。まだズキズキする頭を手で押さえながら近づき、声をかけようとしたんです。すると奥さんの胸には血が広がっていて……。床には僕のナイフが落ちていたので思わず拾ってしまいました」
「それはこれのことですか?」明日香はバッグから映写室で拾ったサバイバルナイフを出した。
「……それだけです! 後は東條さんたちの見た通りなんです!!」大沼は興奮した様子で唾を飛ばした。
 とても嘘を言っているようには思えなかった。やはり大沼青年はシロなのかもしれない。
 その後電池が切れたようにぐったりとうなだれ、大沼は深いため息を吐く。東條はナイフを明日香から受け取り、彼の前に出した。
「大沼君。きみに与えられたアイテム……武器は、これだったんだね?」
 大沼は頷くとナイフのさやを出して、いつも腰のベルトに挟んでいたと告白した。
「他に誰か見なかったかい?」
「映写室までは誰ともすれ違わなかったし、中に入ってからも気づきませんでした」
「君を襲った者の正体は? せめて男か女かだけでも判らないかい」
「……すみません……」
 大沼は首を振った。痛みがぶり返したのか、彼は後頭部を押さえる。東條は彼を控え室へ連れて戻ることにした。

「ミャー」
 扉を開けた途端、三人を待っていたかのようにエメラが飛びついてきた。正確に言うと東條と大沼には目もくれず、明日香の方にだが。
 仕方なしに視線を奥に逸らすと、溝吉豊はまだテレビに身体を向けていた。が、よく見ると舟を漕いでいる。疲れが出たのか、うたた寝をしているようだった。歯科医の来栖沢栄太は、より本格的に布団を敷いて寝息を立てていた。
 心苦しさを感じたが、さすがに光江の事を報告しない訳にもいかない。検死をしてもらわないと大沼の無実は証明できないからだ。
 大沼のためにと、明日香は押し入れから布団を出して畳の上に敷いた。来栖沢と距離を置いたのは、彼女なりの配慮なのかもしれない。毛布に潜り込んだ大沼は、声を押し殺しながら嗚咽を漏らしていた。
 東條はその間に医師を優しく揺り動かして起床を促す。
「……先生、お休みのところを申し訳ございません。どうしても伝えなくてはならない事があります」
 何事かと目をこすり、来栖沢はゆっくりと上体を起こす。明らかに不機嫌そうだ。
「一体何事かね。急用でないなら後にしてもらえんか。わしも慣れん一日で……」
 光江が心配ではないのだろうか。彼は欠伸を噛み殺し、今にも横になりそうな雰囲気だった。
「それが急用なんです!」東條はきっぱりと言い放つ。「落ち着いて聞いてください。実は……」東條は努めて冷静に映写室での惨劇を説明した。大沼の件は触れずに。
「光江っ!!」来栖沢は話が終わらないうちに飛び起きると、腰の痛みも忘れたかのように靴も履かず一目散に部屋を出た。これが火事場の馬鹿力というものだろう。
 明日香からナイフを借り、東條は慌てて後を追いかけた。
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