第52話

文字数 1,765文字

 これからの動向について話し合った結果、全員で男子トイレに向かい、大沼和弘の説得に行くこととなった。興奮状態だったサムエルは何をしでかす予想できなかったので、控え室に残しておきたかった。のだが、当のサムエルは強引にでも付いていくときかない様子。
 結局、熟睡中の来栖沢だけを残し、六人は連れ立って控え室を出た。残しておくのが不安だとエメラは明日香が抱いている。
 時刻は十時四十五分。来栖沢でなくても眠くなる時間である。現にあくびを噛み殺すメンバーもチラホラ見え、それは東條も例外ではなかった。
 憂鬱な顔の中、ひとり元気なのが例によって溝吉だった。彼は両手を頭の後ろに組み、ガニ股でのうのうと歩いている。
 彼としてはここで大沼が罪を認めて、サムエルにボコボコにされる様を携帯に記録しておきたいのだろう。――などと考えるのは、少し穿り過ぎか。
「フギャー」エメラが急に暴れ出し、明日香が大人しくしなさいと背中を撫でてなだめすかした。
「やっぱり、控え室で待っていることにするわ。エメラがまた逃げ出すといけないから」
 未だ落ち着きのないエメラを押さえつつ、明日香は踵を返した。

 トイレに着くと、予想通り紅平が壁に背中をもたれていた。
 紅平は東條たちを見るなり、一番奥の個室を顎で指す。ついさっきエメラが潜んでいたのと同じ個室だった。扉は傷だらけになり、所々へこんでいる。おそらくサムエルの暴れた跡であろうと容易に推測できた。
 まずは東條がメンバー代表として話しかけることとなり、緊張の面持ちでドアを軽くノックする。
 と、大沼の震える声が返ってきた。
 『僕は何もしていません。何も知らないんです。僕のことは放っておいてください』
 だが、東條としても引くわけにはいかない。なんとしても真相を探らねばならない使命感に駆られた。
「大沼君、東條だ。君の気持ちは充分理解しているつもりだ。でもこのまま籠っていても容疑が晴れるわけじゃないだろ? よく思い出してくれ。あの時の様子を」
 『……あの時の様子?』大沼の力ない声が返ってきた。
「そうだ。もう一度訊くが、君が後ろから殴られた時にそれが何者だったのか……せめて男か女かだけでも心当たりはないか?」
 しばしの沈黙の後、大沼の静かな呟きが聞こえてきた。
 『……やはり思い出せません、あれが男か女かだったかも』そこで大沼の声のトーンが変わった。『……そういえばあれは金づちだったのかもしれません』
 ――金づち? 確か光江の武器は金づちだった。大沼を襲ったのはやはり彼女だったのだろうか。
「だとすれば君を殴りつけたのは、光江さんだったのかもしれない。仮の話だが、あの時、光江さんはエメラを探しつつ、Zの存在を思い出して、映写室のどこかに隠れていたのかもしれない。そこで映写室に入って来た君をZだと勘違いして、後ろから金づちで殴りかかった。光江さんは君が死んだと思い込んだのだろう。しかし程なくして意識を取り戻した君に対して、混乱してしまった光江さんは、冷静な判断を失ってしまい、再度襲い掛かった……そこで君が危険を感じ、思わずナイフを刺したのだとすれば――それは正当防衛であり、君は無罪だ。無実とまでは言えないにしても、君を責める権利など俺たちにはない」
 東條としては渾身の推理であり、これで大沼青年が納得してくれると信じてやまなかった。だが、その想いは届かなかったらしく、大沼は聞き入れようとはせず、嗚咽交じりの叫び声が響いた。
 『違う! 僕は刺してない。別の誰かが殺ったんだ!』
 その後も説得を続けたが、反目する大学生を降参させるまでには至らなかった。

 とにかくそこから出て話し合おうと説得し続けたが、大沼は折れることなく籠城をやめる気配は無かった。
 溝吉はというと、力づくで扉をぶち破ろうと、サムエルを何度もけしかけたが、さすがに冷静になったのか、その巨体は動かない。溝吉としては修羅場を期待していたのであろうが、結果的に肩透かしを食らった形になり、皆に聞こえる様な音で舌打ちをした。

 いくら説得してもらちが明かず、膠着状態がつづく。
 メンバーたちはしびれを切らしたのか、それで大沼の気が済むのならと、あきらめてトイレを退散することとなった。
 だが、もう少し話をしたいと皆を説得し、東條は残ることにした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み