第101話

文字数 2,344文字

 唐突に口を開き、ツバキが疑問を突いた。
「私はどうして選ばれたの? こういっちゃなんだけど、それほどお金に不自由していないし、公表されて困るような過去は一切ないわ。……まあ、違法なことはしょっちゅうだけど、それは覚悟の上。世間にバラされたところで痛くもかゆくもないわ。……今回参加したのはただの暇つぶし。特に理由なんてないわ。面白そうだったから単純に乗っかっただけ」
 彼女の言葉に嘘はないように思える。他のメンバーと違い、どこか達観したところがあった。これほど危険なゲームにもかかわらず、夜這いを仕掛けてくる余裕さえあったくらいだ。今回、ツバキが生き残ったのはむしろ当然と言えるかもしれない。
 だが、本当に秘密がないのだろうか。ただそう云い張っているだけなのではとの懸念もぬぐえない。
「ツバキさんがそうおっしゃるのであれば、敢えて理由は告げません」なんだか奥歯にものが挟まったような言い方だ。だが、東條は敢えて口を挟まず、明日香の説明を聞き続ける。「ですが、あなたの場合はそれ以外にも特別な選考基準がありました。それはいわゆる男性向けサービスの意味合いが大きかったのです。ツバキさん、あなたが常に男性を誘惑する性格だということは調査済みでした。私たちはそれを利用したのです。それでも一か八かの掛けでしたが、まさか二夜連続とは期待以上の活躍でした。あなたのラブシーンは相当な閲覧数を記録したらしいわ」
 聞きながら冷や汗が流れた。ツバキが官能的な目的で選ばれたのであれば、それはつまり、東條と明日香の例の絡みも例外ではないということになる。
「……ということは……まさか俺たちの……アレも……?」
 正直訊くのが怖かった。せめて控え室にカメラがなかったという奇跡を信じたい。
 しかし、現実は残酷だった。
「もちろんしっかりと発信されていたわよ。当然でしょ? むしろその為にすべての照明は消せないようになっていたのだから」
 ――やっぱり。
 恥ずかしさで体中が熱くなる。ツバキやキャサリンだけでなく、世界中の会員たちに明日香との情事を晒していたのである。しかもライブ中継で、だ。東條の足の震えは止まらなかった。
「でも喜んで。昨夜のアレは最高のアクセス数をはじき出したらしいわ。身体を張った甲斐があったわね」少しも臆することなく、明日香はまるで金メダルを獲得したオリンピックの選手のように誇らしげだった。
 落胆した東條は、崖に突き落とされた子犬のように震えていた。
「……君は閲覧数を伸ばすためだけに俺に抱かれたのか。こっちは真剣だったというのに」
「それが任務ですもの、当然でしょう? ……それにあなたは私を抱きながら、別の誰かさんの面影を重ねていたのよね」
 金属バットで頭を殴られたような衝撃を受けた。東條は否定できないでいる。本気だといいながらも、どこかで自分の居場所はここではないと感じていたし、心の隅に懐かしき妻の温もりを思い出していたことは間違いない。明日香はそれを敏感に読み取っていたのだ。
「……明日香の言う通りだ。俺はある意味で君を裏切っていたのかもしれない。未練を断ち切るために……。君を責める資格なんて、俺には一ミリも無い」
 気が付くと東條はまた涙を流していた。嗚咽が漏れ、体中の痺れを鎮めることはできなかった。
「……優しいのね。やはりあなたをパートナーとして選んで正解だったわ」
 胸の前で手を組み、柔らかな微笑みを浮かべる明日香は、愚者に手を差し伸べる聖女のように思えてならなかった。
「本当に俺がパートナーで良かったのか? こんな未練たらたらの最低な男で」
「……いくら覚悟を決めて参加したとはいえ、死体を目の当たりにするのは初めての経験よ。正直、足が震えたわ。でもエメラが亡くなって落ち込んでいた時、あなたの汚れない優しさがどれだけ私を勇気づけてくれたか。私一人ではきっと自暴自棄になって、とっくに殺されていたでしょう……」
 不意に左手の首輪を外し、それを無言で東條に握らせる。それは彼女なりの感謝の意思表示に思えた。
 それでも東條は受け取れないと拒んだ。俺みたいな者が持つ資格なんてないと。だが、要らないのであればここで捨てますと、明日香は頑として引かなかった。思い悩んだあげく首輪を受け取ると、「……もう会えないのかい?」と、すがるような目で訴えた。
 ――そうだ、もうこれきりだなんて言わせない。
 今の自分には彼女しかいないと、今はっきりと確信した。
 しかし無情にも明日香は首を横には振らなかった。それどころかギフトマンの傍らに立つと、決別を表すように彼の腕をそっと支える。
「あなたとは住む世界が違うの。この身体が動く限り、私はこのお方を全力でサポートし続けます。この方は私に生きる希望を与えてくれた、本当の意味でのギフトマンなのですから」
 明日香の目には涙があふれていた。東條も同じだ。

 しばしの間、互いに見つめ合うと、さよならも告げずに明日香は背を向け、そしてギフトマンに寄り添いながら外へゆっくり足を進めた。スーツの男たちも後に続く。
 茫然としながら、東條はフラフラとドアに近づく。追いかけたい気持ちと行ってはいけないという葛藤が揺れ動き、ドアを(また)げずにいた。
 どうすることもできずに頭を床に向けて片膝をつく。
 ガラス越しに外を見やると、ちょうど二人が黒塗りのリムジンに乗り込むところだった。
 明日香と目が合った。
 さきほどまでの険しい表情とは異なり、全てを包み込むような優しく清らかな印象だった。
 だが、彼女は東條を一瞥すると、名残惜しそうなそぶりを見せず中に消えた。

 身体中の細胞が壊れていく感覚を憶えながら、東條は小さくなりゆくリムジンをいつまでも見送り続けていた……。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み