第78話 第三節 作戦 ー会議ー
文字数 3,774文字
翌日、御山宗家に近づく頃ハンガンは冷や汗を搔いていた。
御山宗家の門前で門番に声をかけた。
「ハンガンと申します。以下五名、ご当主並びにりり様にお取次ぎ願いたく上がりました」
ハンガンの声は小さかった。
しばらくして「中へどうぞ」という門番の声とともに、りりの兄が奥の屋敷から姿を現わした。
手を上げてにこやかに手招きするその顔には、喜びが溢れている。
その表情を見て、ハンガンは引き返したい衝動に駆られ一歩に二歩と後ずさりした。
「ハンガン、後は僕が話す。ハンガンの役目は終わった。ありがとう。苦しかったよね」
アーサは言った。
奥に案内された五人は、整った美しい設えの部屋の隅に並んで膝を折って座った。
りりの兄は、五人の正面に座り
「嬉しいですね、訪ねてきてくださるとは。どんなにお会いしたかったか…」と感慨深げに一人一人の顔を見た。
「お仲間と会えたのですね」と言いながら初めて会うテナンとアーサに笑顔を向けた。
「テナンと申します」
「アーサと申します」
二人はそれぞれ名乗った。
「りり殿は、お元気ですか?」とヤシマが聞いた。
りりの兄は、ハンガンを見ながら答えた。
「いますよ、りりは。あまりに驚いて、どうしていいのかわからないようで出てきません。心が整うまでしばらくは来ないでしょう」と笑った。
笑みを浮かべた妻が満面笑顔の幼子の手を引いて入ってきた。
「まあ、大きくなって! 少し見ない間にこんなに大きくなるなんて!」
チマナは笑顔の子どもににじり寄りあやし始めた。
子どもの笑い声が心地よい。
この方々はこんなに幸せなのにまた波風を立てるのか…
ハンガンは俯いた。
ハンガンの曇った表情を見て、りりの兄は
「ハンガン殿、今日来られたのは、何か私たちに頼みがあるのではないですか?」と言って真っすぐにハンガンを見た。
「はい」ヤシマが応えた。
「お願いがあります。しかしご迷惑がかかるお願いです。ですので、少しでも迷われたら、この話は聞かなかったことにしてください。すぐに退出致します」
ヤシマは言った。
「私一人ができることですか?」
りりの兄は尋ねた。
「いえ、ご宗家の当主様やお付きの方々にもお願いしなければできないことです」
ヤシマは言った。
「私にとって皆さんは命の恩人です。ですから私一人ができることは、一も二もなく手伝いましょう。しかし私達はいま宗家に身を寄せ世話になっている身、当主にとなると断らねばならぬかもしれません。当主の考え次第です。よろしいですね」
りりの兄は穏やかな表情で言った。
「はい」
五人は頭を深々と下げた。
「まずは当主が宮中から戻ってから共に話を聞きましょう。それまで膳を用意させます」
「いえどうかお気遣いなく」
チマナが言い何度も辞したが、膳は出て五人は覚悟を決めてそれを平らげた。
しばらく五人はそのまま待たされた。
高いところにあった日が落ちて薄闇が広がり、やがてとっぷりと暗くなり明かりがともされた頃、五人は当主のいる部屋へと案内された。
長い渡り廊下を数度曲がり、部屋をいくつも通り過ぎて通された部屋は、煌々と明るく、設えは豪奢だった。
五人は椅子を勧められ、それぞれの椅子に腰を下ろした。
ハンガンは、通り過ぎた部屋のどこか一つに、りりがいるのだろうかと胸が騒ぎ苦しくなったが、落ち着こうと努めた。
その部屋には、りりの兄と、当主の嫡男でやがて宗家を継ぐ人物と思しき若者も同席した。
当主はでっぷりと太り顎鬚をたたえ五人を順番に観察するように見つめた。
「挨拶は抜きにしよう。何が望みかな。それをすぐに聞きたい」
当主が言った。
「はい。私から話します。アーサと申します。私たちを宮中にお連れいただきたいのです。 そこには、白蛇にとぐろを巻かれた我らの仲間シーナがいます。ここにいるチマナは、演舞会で舞を踊り、そのあとの騒動で青虎に変わって王を襲った者です。そしてここにいますのは、ヤシマといい、王を矢で射た者です。十五年前、赤子であった私たちは、『おそろしの森』で密かに育てられ今日まで生き永らえました」
「それは恐ろしき面々が揃ったものだ。天地を揺るがす騒動の中心の当事者たちに、従弟の子どもたちが助けられるとは奇遇だ。従弟一家が世話になった。礼を言う。まさかここに来て会うことになるとは…」
当主は驚きつつも冷静に言葉を選んだ。
「養い親は呪術師でした。呪術師はもとを辿れば青虎神と通じる者です。白蛇神は、今は奴婢となっているこの地にもともといた人々が信仰していた神です。 その力を宿す者が、白蛇に巻かれた我らの仲間のシーナではないかと思っています」アーサは説明した。
「サンコの連れる女子の仲間だったか。そなたたちが生き延びたのには何かの意図が隠されているようだな。そなたたちは宮中に入って何をするつもりなのだ」
「はい。シーナを取り戻します。この者は少しではありますが、呪術を使うことができます。その呪術によると、中浜宗家に居るシーナはどんどん疲弊しているようです。それは、この国にとって良いことになるとは思えません」
途中テナンを指して紹介しながら、アーサはそう言った。
「何、呪術を? そなたたちは恐ろしき者達だな…」
当主の顔に焦りが見えた。
「確かにサンコ殿が宮中に連れてくる女子はとても大事にされているようには思えん。いつも生気がなく目は虚ろで、見るたびやせ細っているように見える」
「それこそが捨ておけないのです。演舞会では白蛇神が現れたように白蛇神が怒ったとすれば、今度はこの国の存亡に関わるのではないかと思うのです」
アーサは言った。
「白蛇神が危ないとなれば、青虎も現れるでしょう。サンコ殿がシーナを大切にできないのは、国の安泰に考えが及ばぬ浅はかな人格ゆえです」
アーサの言葉に当主は顔を上げた。
「そこまで言うか…」
当主は腕を組みなおし、考え込んだ。
「確かにいま宮中を牛耳っているのは、シーナなる女子を連れた中浜宗家の嫡男だ。シーナを利用し、いつの間にか『王の頭』筆頭にのし上がっている。姫を娶って王家に深く入り王を動かす気でいる。誰もがそれに気づきながら、サンコがシーナを盾にしているためどうにもできないでいる。このままではサンコの子どもがやがて王になる」
当主は呟いた。
「シーナの歌は神に捧げる歌なのです。我らは、特別な力など持っていない普通の子どもでした。でも、シーナとともに育ちシーナが自然に口ずさんだ歌を聴いて育ちました。白蛇の守りも受けていたのです。」
テナンが言った。
「りり殿やご兄弟を救い出すことができたのも、我らのもともとの力では無理だったと思います」ヤシマが言った。
「だからこそ、シーナを邪な目的のために利用し、その命を脅かす愚かな人間から、シーナを取り戻さなければなりません。どうかお力添えをお願いいたします」
アーサが頭を下げると、他の四人もそれに倣った。そして、
「中に潜入させていただけたら、もうそれだけで十分です。どんな事態になろうと、皆さんを巻き込むようなことは決して致しません。素知らぬふりをしてください」ヤシマが言った。
当主がヤシマを見て、大きく頷いた。
「サンコ殿が易々とシーナを手放すとは思えん。シーナを引き寄せてもお前たちはサンコの動かす武人に囲まれるぞ。どうするつもりだ」
「そこは……戦います。六人で。六人一緒に果てるかもしれません。覚悟の上でとにかく私たちはシーナの傍に行きたいのです」
アーサが言った。その言葉とともに五人が深々と頭を下げた。
「わかった。今日は部屋を用意するので泊って行ってくれ。少し時間が欲しい」
当主は狼狽を隠さなかった。
五人は用意された部屋ではなく、外の庭の木々の根元で夜を明かした。
当主の部屋の明かりはなかなか消えなかった。
翌朝、五人は再び呼ばれた。
「そなたたち五人を供として宮中に連れていく。このまま中浜宗家の思う壺になるのは当家にとって更なる危険を感じる。故にそなたたちの思いを叶えよう」
五人は黙って深く礼をした。
その日から細かい打ち合わせが何日も続いた。
参内は貴族が乗る馬車と供の騎馬隊が二十人ほど続く。
『王の耳』の武人は、馬の数、供の数をしっかりと数える。
帰りには同数でなければ退出の許可は下りない。
供の者たちは宮廷の門まで従い、広々と広がる門前の広場で待機する。
ほんの数人のみ宮廷内まで随行でき中の庭園で待つ。
シーナは常にサンコと父に連れられ、他の供とは離れているらしい。
いつも中浜宗家は到着が早く、シーナとすれ違うこともない。
これらのことを頭に叩き込み、五人全員が宮中に入る。
シーナを奪還しサンコを捕らえる。
その後は、御山宗家の当主が、同じように密かに中浜宗家に反発している貴族を懐柔する流れになった。
今回は一番に宮中に乗り込む作戦だ。
御山宗家の供として選ばれた者たちも交え作戦は練られた。
中浜宗家の供たちが、日に日に高慢になっていき自分たちを見くびるようになっているのを忌々しく思っていた御山宗家の供たちは、目を輝かせ作戦会議に臨んだ。
五人が御山宗家にいる間、りりがハンガンの前に出てくることは一度としてなかった。
御山宗家の門前で門番に声をかけた。
「ハンガンと申します。以下五名、ご当主並びにりり様にお取次ぎ願いたく上がりました」
ハンガンの声は小さかった。
しばらくして「中へどうぞ」という門番の声とともに、りりの兄が奥の屋敷から姿を現わした。
手を上げてにこやかに手招きするその顔には、喜びが溢れている。
その表情を見て、ハンガンは引き返したい衝動に駆られ一歩に二歩と後ずさりした。
「ハンガン、後は僕が話す。ハンガンの役目は終わった。ありがとう。苦しかったよね」
アーサは言った。
奥に案内された五人は、整った美しい設えの部屋の隅に並んで膝を折って座った。
りりの兄は、五人の正面に座り
「嬉しいですね、訪ねてきてくださるとは。どんなにお会いしたかったか…」と感慨深げに一人一人の顔を見た。
「お仲間と会えたのですね」と言いながら初めて会うテナンとアーサに笑顔を向けた。
「テナンと申します」
「アーサと申します」
二人はそれぞれ名乗った。
「りり殿は、お元気ですか?」とヤシマが聞いた。
りりの兄は、ハンガンを見ながら答えた。
「いますよ、りりは。あまりに驚いて、どうしていいのかわからないようで出てきません。心が整うまでしばらくは来ないでしょう」と笑った。
笑みを浮かべた妻が満面笑顔の幼子の手を引いて入ってきた。
「まあ、大きくなって! 少し見ない間にこんなに大きくなるなんて!」
チマナは笑顔の子どもににじり寄りあやし始めた。
子どもの笑い声が心地よい。
この方々はこんなに幸せなのにまた波風を立てるのか…
ハンガンは俯いた。
ハンガンの曇った表情を見て、りりの兄は
「ハンガン殿、今日来られたのは、何か私たちに頼みがあるのではないですか?」と言って真っすぐにハンガンを見た。
「はい」ヤシマが応えた。
「お願いがあります。しかしご迷惑がかかるお願いです。ですので、少しでも迷われたら、この話は聞かなかったことにしてください。すぐに退出致します」
ヤシマは言った。
「私一人ができることですか?」
りりの兄は尋ねた。
「いえ、ご宗家の当主様やお付きの方々にもお願いしなければできないことです」
ヤシマは言った。
「私にとって皆さんは命の恩人です。ですから私一人ができることは、一も二もなく手伝いましょう。しかし私達はいま宗家に身を寄せ世話になっている身、当主にとなると断らねばならぬかもしれません。当主の考え次第です。よろしいですね」
りりの兄は穏やかな表情で言った。
「はい」
五人は頭を深々と下げた。
「まずは当主が宮中から戻ってから共に話を聞きましょう。それまで膳を用意させます」
「いえどうかお気遣いなく」
チマナが言い何度も辞したが、膳は出て五人は覚悟を決めてそれを平らげた。
しばらく五人はそのまま待たされた。
高いところにあった日が落ちて薄闇が広がり、やがてとっぷりと暗くなり明かりがともされた頃、五人は当主のいる部屋へと案内された。
長い渡り廊下を数度曲がり、部屋をいくつも通り過ぎて通された部屋は、煌々と明るく、設えは豪奢だった。
五人は椅子を勧められ、それぞれの椅子に腰を下ろした。
ハンガンは、通り過ぎた部屋のどこか一つに、りりがいるのだろうかと胸が騒ぎ苦しくなったが、落ち着こうと努めた。
その部屋には、りりの兄と、当主の嫡男でやがて宗家を継ぐ人物と思しき若者も同席した。
当主はでっぷりと太り顎鬚をたたえ五人を順番に観察するように見つめた。
「挨拶は抜きにしよう。何が望みかな。それをすぐに聞きたい」
当主が言った。
「はい。私から話します。アーサと申します。私たちを宮中にお連れいただきたいのです。 そこには、白蛇にとぐろを巻かれた我らの仲間シーナがいます。ここにいるチマナは、演舞会で舞を踊り、そのあとの騒動で青虎に変わって王を襲った者です。そしてここにいますのは、ヤシマといい、王を矢で射た者です。十五年前、赤子であった私たちは、『おそろしの森』で密かに育てられ今日まで生き永らえました」
「それは恐ろしき面々が揃ったものだ。天地を揺るがす騒動の中心の当事者たちに、従弟の子どもたちが助けられるとは奇遇だ。従弟一家が世話になった。礼を言う。まさかここに来て会うことになるとは…」
当主は驚きつつも冷静に言葉を選んだ。
「養い親は呪術師でした。呪術師はもとを辿れば青虎神と通じる者です。白蛇神は、今は奴婢となっているこの地にもともといた人々が信仰していた神です。 その力を宿す者が、白蛇に巻かれた我らの仲間のシーナではないかと思っています」アーサは説明した。
「サンコの連れる女子の仲間だったか。そなたたちが生き延びたのには何かの意図が隠されているようだな。そなたたちは宮中に入って何をするつもりなのだ」
「はい。シーナを取り戻します。この者は少しではありますが、呪術を使うことができます。その呪術によると、中浜宗家に居るシーナはどんどん疲弊しているようです。それは、この国にとって良いことになるとは思えません」
途中テナンを指して紹介しながら、アーサはそう言った。
「何、呪術を? そなたたちは恐ろしき者達だな…」
当主の顔に焦りが見えた。
「確かにサンコ殿が宮中に連れてくる女子はとても大事にされているようには思えん。いつも生気がなく目は虚ろで、見るたびやせ細っているように見える」
「それこそが捨ておけないのです。演舞会では白蛇神が現れたように白蛇神が怒ったとすれば、今度はこの国の存亡に関わるのではないかと思うのです」
アーサは言った。
「白蛇神が危ないとなれば、青虎も現れるでしょう。サンコ殿がシーナを大切にできないのは、国の安泰に考えが及ばぬ浅はかな人格ゆえです」
アーサの言葉に当主は顔を上げた。
「そこまで言うか…」
当主は腕を組みなおし、考え込んだ。
「確かにいま宮中を牛耳っているのは、シーナなる女子を連れた中浜宗家の嫡男だ。シーナを利用し、いつの間にか『王の頭』筆頭にのし上がっている。姫を娶って王家に深く入り王を動かす気でいる。誰もがそれに気づきながら、サンコがシーナを盾にしているためどうにもできないでいる。このままではサンコの子どもがやがて王になる」
当主は呟いた。
「シーナの歌は神に捧げる歌なのです。我らは、特別な力など持っていない普通の子どもでした。でも、シーナとともに育ちシーナが自然に口ずさんだ歌を聴いて育ちました。白蛇の守りも受けていたのです。」
テナンが言った。
「りり殿やご兄弟を救い出すことができたのも、我らのもともとの力では無理だったと思います」ヤシマが言った。
「だからこそ、シーナを邪な目的のために利用し、その命を脅かす愚かな人間から、シーナを取り戻さなければなりません。どうかお力添えをお願いいたします」
アーサが頭を下げると、他の四人もそれに倣った。そして、
「中に潜入させていただけたら、もうそれだけで十分です。どんな事態になろうと、皆さんを巻き込むようなことは決して致しません。素知らぬふりをしてください」ヤシマが言った。
当主がヤシマを見て、大きく頷いた。
「サンコ殿が易々とシーナを手放すとは思えん。シーナを引き寄せてもお前たちはサンコの動かす武人に囲まれるぞ。どうするつもりだ」
「そこは……戦います。六人で。六人一緒に果てるかもしれません。覚悟の上でとにかく私たちはシーナの傍に行きたいのです」
アーサが言った。その言葉とともに五人が深々と頭を下げた。
「わかった。今日は部屋を用意するので泊って行ってくれ。少し時間が欲しい」
当主は狼狽を隠さなかった。
五人は用意された部屋ではなく、外の庭の木々の根元で夜を明かした。
当主の部屋の明かりはなかなか消えなかった。
翌朝、五人は再び呼ばれた。
「そなたたち五人を供として宮中に連れていく。このまま中浜宗家の思う壺になるのは当家にとって更なる危険を感じる。故にそなたたちの思いを叶えよう」
五人は黙って深く礼をした。
その日から細かい打ち合わせが何日も続いた。
参内は貴族が乗る馬車と供の騎馬隊が二十人ほど続く。
『王の耳』の武人は、馬の数、供の数をしっかりと数える。
帰りには同数でなければ退出の許可は下りない。
供の者たちは宮廷の門まで従い、広々と広がる門前の広場で待機する。
ほんの数人のみ宮廷内まで随行でき中の庭園で待つ。
シーナは常にサンコと父に連れられ、他の供とは離れているらしい。
いつも中浜宗家は到着が早く、シーナとすれ違うこともない。
これらのことを頭に叩き込み、五人全員が宮中に入る。
シーナを奪還しサンコを捕らえる。
その後は、御山宗家の当主が、同じように密かに中浜宗家に反発している貴族を懐柔する流れになった。
今回は一番に宮中に乗り込む作戦だ。
御山宗家の供として選ばれた者たちも交え作戦は練られた。
中浜宗家の供たちが、日に日に高慢になっていき自分たちを見くびるようになっているのを忌々しく思っていた御山宗家の供たちは、目を輝かせ作戦会議に臨んだ。
五人が御山宗家にいる間、りりがハンガンの前に出てくることは一度としてなかった。