第88話 第二節 災禍 ー嵐の後ー

文字数 2,913文字

 地震発生から二十日ほど経ち、貴族や武人、商人の富裕層などへの襲撃が少し落ち着きをみせた頃、俄かに冷たい風が吹き黒い雲を連れてきて、その雲は国全体に厚みを増して上空に留まった。
 ドーンという大きな音とともに激しく大地を叩きつけ土を抉るかと思うほどの勢いで国中に豪雨をもたらした。
 田畑は水没し作物は水に浸った。
 小川は濁流と化し、大きな川も水位を増して町や村に溢れ出て、平野に住む人々の家々は床の上まで浸水し始めていた。
 道は泥を運ぶ濁水の通り道と化していた。
 息を潜め雨風の音に閉じ込められ、人々は不安の中で一昼夜を過ごした。

 五人は黒森の麓にいた。
 シーナは長老と黒森の頂上にあり、長老とともに祠の神前で必死に祈りを捧げていた。
 願うは人々の安全無事。 
 雨が上がった翌朝、人々が外に出てみるとその景色は一変していた。
 地震で半壊してかろうじて家の体裁を留めていた家は、全壊となってその残骸が散らばっていた。
 奴婢が造ってくれた家は、浸水は受けたもののしっかりと建っていた。
 奴婢から芋をもらっていた者は数日の食には困らない。
 いまは襲おうにもどこにも食料がない状態になり、盗賊の動きは止まった。

 テナンを助けた届け物屋の主人は、妻と息子、配下の五人の若者とともに大雨の中家の中で過ごし様々なことを話し合った。
 地震の後、奴婢から芋をもらって空腹を凌ぎ家も修復してもらった。
 その際は、総出で奴婢の指示を仰ぎながら家を直した。  
 不安の一昼夜に配下の者達と話したのは、奴婢の若者たちの礼儀正しさと有能な働きぶり優しさへの感嘆と感謝だった。
 もともと奴婢などという身分があっていい訳がないと考えていた主人は、生き残ったら必ず奴婢達に恩返しがしたいと思っていた。
 大雨が去って、何とか浸水だけで済んだが食料はなかった。
 「恩返しする前に、また奴婢の人達に世話になっちまいそうだな…」とぼやくと、テナンに付き添った若者が話し始めた。
 「妹が呪術のお陰で元気になって、そのとき呪術師のカンさんが言っていたんです。この国は、もともとは奴婢の人達の国で優れた民で戦いを好まなかったからこうなったって。いまだって奴婢の人々に守られて俺たちは生きているから、大事にしているって。奴婢の皆さんにも呪術をしてあげているそうです」
 「おい、お前、そういうこと何で早く教えてくれないんだよ」と主は言った。
 「だって、奴婢についてはこんな本音は言えないですよ」と若者は返した。
 そんなときだった。

 主人の頭に、テナンの声が頭に入ってきた。
『奴婢の皆さんが芋を備蓄しています。飢えている人がたくさん出ているので、配送を手伝ってください。奴婢村に荷車で近くの奴婢村に行き手伝うと言って…』
 「なんだ、こりゃ…」
 「親方、どうしたんです?」
 「いやぁ、テナンの声が聞こえたんだ。奴婢村に行って芋の配送を手伝えって。まさかなぁ?」と主は首を傾げた。
 「あーテナンはやったんだ。テナンは呪術を使って親方に話しかけたんですよ。親方もテナンの声を受け取れたんだ。すごい! すごいですよ、親方―」と興奮気味に褒めた。
 「そうか? そんなに俺すごいか? だよな! しかしたいしたもんだなぁ、テナンは。呪術? テナンは呪術師になったのか? すごいなぁ。それに受け取れた俺も…」
 「そうですそうです。カンさんは妹さんがテナンに呪術を伝えると言ってました」
 親方を煽おだてながら若者は得意そうにテナンの話をし「親方、さあ行きましょう」と声をかけた。

 土器づくりの親方は、地震後は暴徒と化した人々に襲撃され備蓄していた食料と金品一切を渡した。
 窯さえあればいつでも土器を作ることができる、窯を壊されないでいることが有難く他には何もいらなかった。
 家は倒壊したが、もともと大工の素地もあり廃材で小さな家を一人で造りかけたところで奴婢たちが来て手伝ってくれた。
 芋を数個渡され、その芋を口にすると不思議に力が湧き作業は進んだ。

 十五年前、妻は赤子を生んだ。
 自分は『王の矢』に引き渡す気でいた。いつまでもおけば情が湧き苦しくなる。
 妻を説得すると、妻は一日待ってくれと言った。
 その後妻は赤子をどこかに連れ出して消えた。
 「呪術師」という言葉を言いかけて止めたそのときの妻の声を覚えている。
 二日して妻は戻ったが、その手に赤子はいなかった。
 妻はその十年後病でこの世を去った。

 一人暮らしの自分に家は大きかった。
 奴婢の運んできたしなやかな木も加え、簡素だが快適な家ができた。
 過酷な奴婢の暮らしは聞き及んでいる。
 その中で人を助ける姿は誰よりも尊敬に値した。
 襲って来た者達の鬼畜の如き顔を思い出すと、神に見えるほどの違いだった。
 そこへ『親方、飢えている人が多いです。奴婢は備蓄していた芋を配ります。手伝ってやってください』と頭に送られてきた。
 「えっ? 何なんだ…」
 狐につままれたような気持になったが、荷車もある、体力もある、奴婢たちにお礼がしたい…
 迷いはなかった。
 親方は荷車を引き奴婢村へと向かった。

 奴婢村に移住したハンナ一家は、ルアンと両親を看ることができる簡素で便利な家を造ってもらい、奴婢達に助けられながら日々を送りだした。
 アーサは忙しいさなかハンナの様子を見に寄り、ルアンが芋を食べ始めてから元気になりつつあると聞いた。
 大雨が去ると、ルアンは身体を起こし歩く訓練を始めた。
 両親は失踪したサンコを想い、貴族の暮らしを懐かしみ心折れていまだ臥せっていた。
 そんな両親をハンナは怠け病と断じ放っておくと言った。
 ルアンは歩けるようになったら両親の面倒は自分が看ると姉に言った。
 「姉さんはアーサさんの手伝いをして。僕は大丈夫だから」
 奴婢村に来てから血色がよくなり、背も伸びてきているルアンの言葉はあながち絵空事ではない気がしていた。
 ルアンの目覚ましい回復ぶりには『白蛇の力宿す者』であるシーナに因るものも大きい気がしていた。
 ここだからこその回復、奴婢の人々の優しさ故の安心感がルアンを変えたような気がして仕方がなかった。
 私も何かしたい。
 シーナと繋がるアーサ、シーナの仲間、兄妹だと言ったアーサ。
 アーサの役に立ちたいとハンナは秘かに思っていた。
 その姉のためにできることをしたいとルアンは切望していた。

 ヤシマの父は、家族と秘かに匿っている王族の娘たち四人を連れて奴婢村にきていた。
 ヤシマの強い勧めによるものだった。王族の男子は盗賊に殺められていた。
治安の悪い状況下で家族他十人を守るのは至難の技だ。
 奴婢村に着くと、十分暮らせる広さの家屋を造ってくれた。
 ヤシマの父も参加したが、奴婢たちの働きぶりには感心させられた。
 穏やかな暮らしが始まり、大雨が降っても武人屋敷にいたときより安心して過ごすことができた。
 ヤシマの父は、奴婢村を回り皆に挨拶し奴婢が襲われそうな気配を感じると守りに着いた。
 芋の配給にも付き添って配布を手伝った。
 息子のヤシマは人助けに奔走していて、顔を合わせる間もなかった。
 心から息子を誇りに思う父だった。
 

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