第87話 第二節 災禍 ー未曽有ー

文字数 3,304文字

 この国にかつてない出来事が起きた。
 数日後の、肌寒い明け方のことだった。
 カタカタカタカタいう音がしたと思うと、グラグラと起き抜けの足もとが大きく揺れた。
 立っていられないほどの揺れが次第に大きくなりしばらく続くと、 建物が潰れる音や物が壊れる大きな音がここかしこから聞こえ半狂乱の叫び声が上がり、国中が恐怖の坩堝と化した。
 揺れが収まり人々が外に出ると、散乱した家具が飛び出していたり、半壊している家があった。
 庭や通りにひびが入っている。地割れだった。
 そこに荷車や瓦礫が挟まっていた。
 人々はそれぞれ家族を探す者、泣きわめく者、怒る者、落ち込む者とどこもかしこも悲痛な声で溢れた。
 さらに、片付けや怪我の手当てに奔走するうちに、炊事場から火の手が上がった。
 家が密集している地域では、町ごと村ごとの火災に発展した。
 
 人を使い自らは何も動かずに生きてきた貴族は、右往左往するばかりでどうしていいのかの判断すらできなかった。
 人を何度も呼ぶが、応答する者は少なく応答した家人さえどうすることもできずにいて、燃え上がった火を消すのさえ貴族は手を貸すこともなく呆然と眺め「早く消しなさい」と言うばかりだった。
 下人は火傷を負いながら必死で消しているというのに、こんなときでさえ動かない主に怒り「もうご自分でおやりください!」と消すのをやめる始末だった。
 経験のない惨事に、人々は皆自分を守ること家族のもとに一心に駆けつけることで精一杯だった。
 各地で争いが起きた。食べる物が不足してきたのだ。
 食べ物を求め奪うために半壊した貴族の屋敷に、商人職人の町から続々と人々が入り込んできた。
 倉庫をこじ開け食べ物が盗まれた。
 その食べ物を家族の待つ場所に運ぶ間に他の者に襲われ奪われるなど、治安が乱れ殺人や窃盗の加害被害が頻繁に起き始めていた。
豊かさの象徴であった貴族、武人の家は狙われた。
 あっという間に、多くの民が疑心暗鬼になり隣人さえも信用しない世相になり果てた。
 
 王宮ももはや安全な場所ではなくなっていた。
 武人達はいまや家族のもとに戻り、自宅にある食料や家屋を守ることに専念せざるを得なくなっていた。
 数日のうちに王宮まで賊は押しかけて来た。
 徒党を組んだ暴徒がいつ生まれ、どこに現れるか分からない抜き差しならない状況になった。
  
 一方奴婢村の人々は、粛々と近隣同士が助け合い、近くの森で得た木の実や伝来の土地になっている芋や作物を分け合っていた。
 そして収穫したものを小作人に届けた。
 小作人達は、それを分け合うこともせず、家にため込んで隠すことに汲々とし始めた。
 
 長老を含めて黒森にいた七人は、この国を救えるのは奴婢たちの知恵と協力体制であることを確認し、それぞれが行く先々で説得を試みることにした。
 シーナは『白蛇様の力宿す者』としていまこそ人々を助けると決意していた。
 シーナは、シーナ芋の畑に行き人知れず豊作祈願の儀式をした。
 多くの人々の飢えを凌ぐのに、季節問わず収穫できる奴婢村秘伝のシーナ芋が不可欠だと考えた。
 そして家々を修復するのも奴婢村の簡素ながらしなやかで強い木を使った家造りが役に立つと感じていた。
 人々を救う道を開く手始めは食と住に着手すると決めたのだ。
 まずは、長老が村の若者に声をかけ各村に召集をかけた。
 地下道を解放したことによって、『白蛇様の力宿す者』に会いたいことも手伝って各村伝達係をする若者が瞬く間に集まった。
 シーナは呼びかけた。
 「その昔侵略の民に支配され奴婢に落とされて以降、私達は先祖代々の土地と穏やかな暮らしを奪われ、奴婢として過酷な日々を生きてきました。しかしこの地に伝わる良き伝統は、秘かに脈々と受け継がれ様々な苦難を乗り越え、想い合うことを忘れずいまに至っています。いま苦しむ人々を捨て置けば、私達は平和の民ではなくなります。黙って力を貸し助けてこそ私達は蘇ることができます。土地は再び私達に戻り、助けた人々とともに歩む新たな道が開かれます。私達は平和の民として誇りを持って目の前に苦しむ人々とともに歩みましょう」
 シーナの想いは集まった若者達に沁み入り村々に広がった。
 そばで聞いていた五人はその言葉を胸に、ヤシマはまず家族が住む武人の屋敷に、アーサも家族の住む貴族屋敷に、そしてすでにサンコが行方不明になっていると聞く中浜宗家に、そしてハンガンは御山宗家に安否の確認に向かった。
 地下道を通って目的地へと急ぎヤシマは家族の無事を確かめた。
 ヤシマの父は秘かに王宮から王家の人々を自分の屋敷に引き取っていた。
 盗賊は徐々に大胆になり貴族から武人にさらに王宮へとその手を伸ばし、もはや誰も警護をしなくなった王宮では命の危険が日に日に増していた。
 ヤシマの父は王宮の近くに住まいがあったこともあり、夜陰に乗じて王族を連れ出しその命を守っていた。
 ヤシマは安全な奴婢村への移住を父に勧め、全員を地下道に案内した。
 その後ヤシマは町に行き人を襲う輩を撃退し、疲弊が激しい順に手持ちの芋を渡していった。
 アーサも家族の安全を確かめると、すぐに中浜宗家に向かった。
 半壊し盗賊に襲われた中浜宗家は、両親が力を落とし伏していて病を抱え寝たきりの弟を抱えたハンナが一人奮闘していた。
 すでに食料が尽きて一日経っていた。
 アーサは芋を人数分渡すと、必ず助けに来るので待っていてとハンナに告げてすぐに森に引き返した。
 奴婢村の若者たちと荷車を引いて再訪し、三人を荷車に乗せてハンナとともに安全な奴婢村に移動した。
 ハンガンは御山宗家に駆けつけた。 御山宗家は全壊し盗賊に襲われていた。
 当主とその長男が手ひどく傷つけられ、大怪我を負っていた。
 ハンガン達が助けた兄弟達は、赤子を抱えた兄の妻や長女そしてりりを屋敷裏に隠して盗賊達と戦って軽傷を負っていた。
 森で過ごした日々に兄弟達は武術の手ほどきを受けていて、盗賊に抵抗したため相手も腰が引け深手には至らなかったのだ。
 食料は全て持っていかれたが、妻子や妹達に危害が及ばずほっとしているところだった。
 ハンガンは芋を配ると、まず兄弟姉妹、妻子を安全な奴婢村へと案内し保護した。
 その中にりりもいた。二人は互いの無事を確かめると心の底から安堵したが、言葉を交わすことなく行動していた。
 その後ハンガンは、怪我をしている当主とその長男を運ぶため、奴婢村の若者達と戻ってきた。
 付き添っていたりりの兄とともに伏している二人を荷車に乗せて奴婢村に移動した。
 
 五人は、それぞれ組んで混乱する町や村に出て、人々の生活の立て直しに奔走した。
 奴婢村では各村でシーナ芋が不思議なほどに次々とよく成り、若者達が荷車で町に運び人々への分配が始まった。
 奴婢村に点在する森には細いがしなやかで強い木々があり、それを伐採すると町に運び全壊家庭に奴婢たちが簡易的に家を造った。
 日頃は奴婢同士でしか話をしない者達が懸命に「芋をどうぞ。この芋を食べれば十日は体力が保てます」と伝え「私たちが簡単な家を造ります」と声をかけた。
 奴婢たちの協力体制は見事なまでに統制が取れ、黙々と連携し無駄な動き一つなく家一つを半日で造り上げていった。
 怪我人や罹患した者は次々奴婢村に運ばれ、手厚い看護を受けた。
 貴族も武人も、こうして奴婢村に移動する者、世話を受ける者、助けられた者などが増えていき、人々はこれで寒暑風雨を防げると感謝した。
 中には奴婢の世話にはならないという人々もいた。
 分配された芋を捨てる人間もいたが、その芋はさっと拾われ他の者が食べた。
 見栄えは悪く美味しそうには見えないが、味もよく腹持ちが効き何より元気になった。
 何日も食べずに過ごしいた人々は奴婢に感謝する者が増え、ひたひたとその輪が広がり始めていた。
 シーナは森で修業を続けながら、怪我人や病に侵された人々を救うために白蛇様に薬草が繁茂するよう祈願した。
 薬草は奴婢のシーナと若者たちによって採集されて町に届けられ、驚くほどの回復を体験し人々は感涙した。
 

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