第13話 第六節 見出された少女 ー歌ー
文字数 3,505文字
日が傾いて、シ―ナは押し寄せてくる気持ちを断ち切るように歌い始めた。
ゆったりとした高く透き通るような声が、周辺の空気を震わせていた。
シ―ナは知らなかった。
その美しい旋律が木々の間を抜けて大通りにまで届き、道行く人々の顔を空に向けさせていたことを。
「もし」
シ―ナは、柔らかい声に呼びかけられ、歌を止めた。
「はい」
振り向いた先に、小太りの中年の女性が立っていた。
シ―ナを上から下まで見たその目には困惑が見て取れた。
「お嬢様がお話したいことがあるそうです。こちらへ」
つき従ったその先に、馬が引いている豪華な黒塗りの乗り物があった。
外からは見えないが、誰か人がいるようである。
すると小窓からひょこっと少女の顔が現れ笑みを浮かべた。
扉が開き、赤地に金の模様が施された華やかな衣装が目に入ってきた。
金糸が陽に映えきらっと光る。ゆっくり顔を見た。
衣装に負けない華やかな顔立ちに、シ―ナは消えてしまいたいような恥ずかしさを覚えた。
「な、なんでしょうか。私なにか…」
言葉がうまく出てこない。
人への話しかけ方、受け答えの仕方を練習してきたはずなのに。
自分以外の五人は難なく習得したが、自分はなかなかできなかった。
そういう場面を想像するだけで胸がざわつき、頭が混乱するからだ。
またできなかった、こういうときは最初に挨拶しなきゃいけなかったのに…
「あなたみたいな小さな女の子がたった一人、こんなところにいて攫(さら)われてしまうわよ。あなたはなぜこんなところに一人でいるの?」
「わ、わ、私は…」
言葉に詰まってしまった。
このような身分の高い方にどう話すべきなのかわからなかったし、まして何を言ってよいのかすらもわからない。
「まあ、いいわ。あなた美しい声を持っているのね。私があなたを攫っていいかしら。あなたを私のところに連れて行ったら、どなたか困る人がいる?」
「い、いえ…」
しどろもどろに答えた。
「私 あなたにお願いがあるのよ。それは中で話すわ。さあお乗りなさい。名前は?」
少女がシ―ナの腕を取った。シ―ナは恥ずかしさで顔が真っ赤になった。
「いけませんお嬢様。お館さまに相談もなく勝手にお決めになって。どんな素性かも分からない子どもをお連れになるなんて。しかもお車に乗せるなんてとんでもありません」
「帰ってから父には話すわよ。車は大丈夫よ、二人乗ったところで壊れないわ」
「いえ、そういうことではなく。歩かせましょう。そこは私譲れません」
「私この子に話があるのよ。その話は中でしたいの。屋敷についたら箏の練習に貴族学にと、この子とお話する時間などなくなってしまう」
「もう言いだしたら聞かないんですから」
「あ、この子に合う服を取り揃えて。大至急よ。できるだけ可愛いのをお願い。先ほど通ったにぎやかな通りに一軒、服を売る店があったわ」
「かしこまりました」
中年のお付きの者は、ひざを折り馬車の脇に控えていた供の者の一人に声をかけた。
声をかけられた若者は、シ―ナの背丈を計るように眺めると走り出した。
シ―ナは引きずり込まれるように中に入った。
「名前は何というの?」と少女は聞いてきた。
「シ―ナと言い…あ、申します」こういうときは『申します』と言うんだった。
「シ―ナ。家はどこなの? どうしてひとりなの? どうしてあんなところに一人でいたの? あ、本当に聞きたいことは一つよ。あなたに本当に連れはいないのね、どう? これだけはとても大切な事なのよ」矢次早に訊いてくる。
「いえ本当に、いないです。それにどこに行けばいいのか私にはわかりませんでした」
それを聞くと少女は怪訝な顔をしてシーナをじっと見つめた。
「そう、ところであなたはいくつなの?」
シーナは少女の問いに恐怖を覚えた。
「わ、私は、わ、私は…」
十三歳と言えばいい。頭ではわかっていた。
「十三歳です」やっと声をふり絞った。
おやじ様に言われた通り嘘を付いた。
口がさけても自分の年齢は言ってはいけないと言われていたからだ。
幸いシーナは身体が小さいから、三、四歳小さく見えるため年齢を偽りやすかった。
年齢を隠すことは私たちが生き延びるために、最も重要なことなのだ。
この国には十五歳は存在していないのだから…
「私は十六歳よ。ハンナというの」ハンナは言った。
「あのハンナ様、私、なんとお礼をいっていいか…その…ありがとうございます」
シーナは少し落ち着き、やっとお礼が言えた。
「いいのよ、私があなたに来てほしかっただけだから。これから私の身辺の世話をしてもらうことになるわ。あなたを父に雇ってもらうように相談するわ」明るい声だった。
「でも、ハンナさまの身の回りの世話を私なんかができるでしょうか?」
「できないわね、あなたには。だってあなたに来てもらうのは、そんなことのためじゃないもの」
「え?」シーナは混乱した。
「私には弟がいるの。十歳になる子よ。生まれつき心の臓が悪くて、少し動くだけで息が上がってしまうし、病気に罹りやすくて、今は風邪がもとで寝たきりになっているの。その子は音楽が好きでね。でも最近は心が沈んでしまっているの」
ハンナはシーナの顔を見つめて続けた。
「あなたの歌を聴かせてあげたいの。毎日、あの子が聴きたいといったら、そのときには何をしていても歌ってあげてほしいの」
ハンナは一気にそう説明した。
「歌? ですか?」小さい声でシーナは尋ねた。
「さっき歌っていたでしょ。美しい声で」
「あ、さっきの。あんなのでいいのですか?」とシーナが重ねると、ハンナは何かを思い出すようにしながら、
「あなたの声と旋律には何か心を震わせるものがある。だって私自身がそうなったんだから。
誰かの歌を聴いてあんな気持ちになったのは初めてだわ。それで確信したの。あなたの歌になら、弟もきっと心惹かれるはずだと」と続けた。
思わぬことが起こったものだ。
森ではいつも迷ったときに迎えに来てもらうまで歌っていた。不安を紛らわしていたのだ。
六人で出かけても必ず一人残ってしまう。皆足が速くてついていけなかったから。
こんなことが自分の寝場所を得る助けになったのだ。
「分かりました。私の歌でよければ、弟様のために精一杯歌います。ありがとうございます。ハンナ様」
シーナは心から礼を言った。
少女の衣服を買うために商店街に引き返すことを命じられた勘のいい若者は、茂みに人の気配を感じた。
通り過ぎたときも、誰かの視線が馬車に向けられている気がした。
少女は誰かに跡を尾けられているのではないだろうか…
しかし馬車に衣服を届けるときには、その気配も姿もなかった。
一行は、しばらくにぎわう街中を行き、やがて静かな通りへと進んでいった。
大きな門を通り抜けると、『王の頭』の領内に帰ってきたのだ。
シ―ナは緊張のために景色を眺めることもままならなかったが、漏れ聞こえてくる人の声で外の様子の変化を感じとっていた。
おやじ様が教えてくれた国の様子…
この日に備えて、おやじ様は、私たちが物心ついて以降、時間をかけてこと細かく国の仕組みや様子を教えてくれていた。
「よいか。お前たちは十五の歳にこの森を出て、国の中で生きねばならぬ。どう生きろとはいわぬ。ただ生きよ。なんとしても生きるのだ。それだけでよい。寝る場所を得、食べ、働き、寝る、それだけでよいのだ。なんとしてもお前たちは生きねばならぬ。お前たちが全員寿命尽きるまで生きることこそがお前たちの役割なのだ。国は…」
おやじ様が言っていることはよくわからなかった。
いつまでも森で暮らしたかった。
ハンナ様は、おやじさまが教えてくれた貴族という位の方だ。だからこんなにお供の人達がいるのだ。
りっぱな馬車、美しい服。貴族の方々は、『王の頭』と言われている。
宮殿で国の政ごとを扱う方々。
大きなお屋敷を持ち、お屋敷内に控える武人に守られ日々を送っている…そういう方々だ。
いまからそこへ行くのだ。私もそこで暮らすようになるのだろうか。
いつまで? そこで下働きさせていただけるというが、本当に私に務まるのだろうか。
ハンナ様はああ言ったけれど、まさか歌だけ歌っていればよいということではないだろう。
今日の寝場所ができたことで一安心だけれど、明日のことはわからない。
不安は次々押し寄せてくる。
そのうち、あまりの静けさと馬車の心地よい揺れでいつの間にか眠っていた。
ゆったりとした高く透き通るような声が、周辺の空気を震わせていた。
シ―ナは知らなかった。
その美しい旋律が木々の間を抜けて大通りにまで届き、道行く人々の顔を空に向けさせていたことを。
「もし」
シ―ナは、柔らかい声に呼びかけられ、歌を止めた。
「はい」
振り向いた先に、小太りの中年の女性が立っていた。
シ―ナを上から下まで見たその目には困惑が見て取れた。
「お嬢様がお話したいことがあるそうです。こちらへ」
つき従ったその先に、馬が引いている豪華な黒塗りの乗り物があった。
外からは見えないが、誰か人がいるようである。
すると小窓からひょこっと少女の顔が現れ笑みを浮かべた。
扉が開き、赤地に金の模様が施された華やかな衣装が目に入ってきた。
金糸が陽に映えきらっと光る。ゆっくり顔を見た。
衣装に負けない華やかな顔立ちに、シ―ナは消えてしまいたいような恥ずかしさを覚えた。
「な、なんでしょうか。私なにか…」
言葉がうまく出てこない。
人への話しかけ方、受け答えの仕方を練習してきたはずなのに。
自分以外の五人は難なく習得したが、自分はなかなかできなかった。
そういう場面を想像するだけで胸がざわつき、頭が混乱するからだ。
またできなかった、こういうときは最初に挨拶しなきゃいけなかったのに…
「あなたみたいな小さな女の子がたった一人、こんなところにいて攫(さら)われてしまうわよ。あなたはなぜこんなところに一人でいるの?」
「わ、わ、私は…」
言葉に詰まってしまった。
このような身分の高い方にどう話すべきなのかわからなかったし、まして何を言ってよいのかすらもわからない。
「まあ、いいわ。あなた美しい声を持っているのね。私があなたを攫っていいかしら。あなたを私のところに連れて行ったら、どなたか困る人がいる?」
「い、いえ…」
しどろもどろに答えた。
「私 あなたにお願いがあるのよ。それは中で話すわ。さあお乗りなさい。名前は?」
少女がシ―ナの腕を取った。シ―ナは恥ずかしさで顔が真っ赤になった。
「いけませんお嬢様。お館さまに相談もなく勝手にお決めになって。どんな素性かも分からない子どもをお連れになるなんて。しかもお車に乗せるなんてとんでもありません」
「帰ってから父には話すわよ。車は大丈夫よ、二人乗ったところで壊れないわ」
「いえ、そういうことではなく。歩かせましょう。そこは私譲れません」
「私この子に話があるのよ。その話は中でしたいの。屋敷についたら箏の練習に貴族学にと、この子とお話する時間などなくなってしまう」
「もう言いだしたら聞かないんですから」
「あ、この子に合う服を取り揃えて。大至急よ。できるだけ可愛いのをお願い。先ほど通ったにぎやかな通りに一軒、服を売る店があったわ」
「かしこまりました」
中年のお付きの者は、ひざを折り馬車の脇に控えていた供の者の一人に声をかけた。
声をかけられた若者は、シ―ナの背丈を計るように眺めると走り出した。
シ―ナは引きずり込まれるように中に入った。
「名前は何というの?」と少女は聞いてきた。
「シ―ナと言い…あ、申します」こういうときは『申します』と言うんだった。
「シ―ナ。家はどこなの? どうしてひとりなの? どうしてあんなところに一人でいたの? あ、本当に聞きたいことは一つよ。あなたに本当に連れはいないのね、どう? これだけはとても大切な事なのよ」矢次早に訊いてくる。
「いえ本当に、いないです。それにどこに行けばいいのか私にはわかりませんでした」
それを聞くと少女は怪訝な顔をしてシーナをじっと見つめた。
「そう、ところであなたはいくつなの?」
シーナは少女の問いに恐怖を覚えた。
「わ、私は、わ、私は…」
十三歳と言えばいい。頭ではわかっていた。
「十三歳です」やっと声をふり絞った。
おやじ様に言われた通り嘘を付いた。
口がさけても自分の年齢は言ってはいけないと言われていたからだ。
幸いシーナは身体が小さいから、三、四歳小さく見えるため年齢を偽りやすかった。
年齢を隠すことは私たちが生き延びるために、最も重要なことなのだ。
この国には十五歳は存在していないのだから…
「私は十六歳よ。ハンナというの」ハンナは言った。
「あのハンナ様、私、なんとお礼をいっていいか…その…ありがとうございます」
シーナは少し落ち着き、やっとお礼が言えた。
「いいのよ、私があなたに来てほしかっただけだから。これから私の身辺の世話をしてもらうことになるわ。あなたを父に雇ってもらうように相談するわ」明るい声だった。
「でも、ハンナさまの身の回りの世話を私なんかができるでしょうか?」
「できないわね、あなたには。だってあなたに来てもらうのは、そんなことのためじゃないもの」
「え?」シーナは混乱した。
「私には弟がいるの。十歳になる子よ。生まれつき心の臓が悪くて、少し動くだけで息が上がってしまうし、病気に罹りやすくて、今は風邪がもとで寝たきりになっているの。その子は音楽が好きでね。でも最近は心が沈んでしまっているの」
ハンナはシーナの顔を見つめて続けた。
「あなたの歌を聴かせてあげたいの。毎日、あの子が聴きたいといったら、そのときには何をしていても歌ってあげてほしいの」
ハンナは一気にそう説明した。
「歌? ですか?」小さい声でシーナは尋ねた。
「さっき歌っていたでしょ。美しい声で」
「あ、さっきの。あんなのでいいのですか?」とシーナが重ねると、ハンナは何かを思い出すようにしながら、
「あなたの声と旋律には何か心を震わせるものがある。だって私自身がそうなったんだから。
誰かの歌を聴いてあんな気持ちになったのは初めてだわ。それで確信したの。あなたの歌になら、弟もきっと心惹かれるはずだと」と続けた。
思わぬことが起こったものだ。
森ではいつも迷ったときに迎えに来てもらうまで歌っていた。不安を紛らわしていたのだ。
六人で出かけても必ず一人残ってしまう。皆足が速くてついていけなかったから。
こんなことが自分の寝場所を得る助けになったのだ。
「分かりました。私の歌でよければ、弟様のために精一杯歌います。ありがとうございます。ハンナ様」
シーナは心から礼を言った。
少女の衣服を買うために商店街に引き返すことを命じられた勘のいい若者は、茂みに人の気配を感じた。
通り過ぎたときも、誰かの視線が馬車に向けられている気がした。
少女は誰かに跡を尾けられているのではないだろうか…
しかし馬車に衣服を届けるときには、その気配も姿もなかった。
一行は、しばらくにぎわう街中を行き、やがて静かな通りへと進んでいった。
大きな門を通り抜けると、『王の頭』の領内に帰ってきたのだ。
シ―ナは緊張のために景色を眺めることもままならなかったが、漏れ聞こえてくる人の声で外の様子の変化を感じとっていた。
おやじ様が教えてくれた国の様子…
この日に備えて、おやじ様は、私たちが物心ついて以降、時間をかけてこと細かく国の仕組みや様子を教えてくれていた。
「よいか。お前たちは十五の歳にこの森を出て、国の中で生きねばならぬ。どう生きろとはいわぬ。ただ生きよ。なんとしても生きるのだ。それだけでよい。寝る場所を得、食べ、働き、寝る、それだけでよいのだ。なんとしてもお前たちは生きねばならぬ。お前たちが全員寿命尽きるまで生きることこそがお前たちの役割なのだ。国は…」
おやじ様が言っていることはよくわからなかった。
いつまでも森で暮らしたかった。
ハンナ様は、おやじさまが教えてくれた貴族という位の方だ。だからこんなにお供の人達がいるのだ。
りっぱな馬車、美しい服。貴族の方々は、『王の頭』と言われている。
宮殿で国の政ごとを扱う方々。
大きなお屋敷を持ち、お屋敷内に控える武人に守られ日々を送っている…そういう方々だ。
いまからそこへ行くのだ。私もそこで暮らすようになるのだろうか。
いつまで? そこで下働きさせていただけるというが、本当に私に務まるのだろうか。
ハンナ様はああ言ったけれど、まさか歌だけ歌っていればよいということではないだろう。
今日の寝場所ができたことで一安心だけれど、明日のことはわからない。
不安は次々押し寄せてくる。
そのうち、あまりの静けさと馬車の心地よい揺れでいつの間にか眠っていた。