第64話 第三節 回復 ー目覚めー

文字数 3,432文字

 ふと気が付くと寝台の上にいた。急いで起きようとしたが、力が入らない。
 「やっと目を覚ました。よかった。だめよ起きては… ああよかったよかった」
 見知らぬ女性が顔を覗き込むようにしてそう言った。
 「なぜここに?」
 テナンの声はかすれて弱々しい。
 「何にも覚えていない? あなたは武人の馬に蹴られはねられ次々踏みつけられたのよ」
 「武人の馬に?」何も思い出せない。
 「そう何頭もの馬に」女性はテナンを優しく見つめた。
 「あなたずいぶん長い間寝ていたのよ。目覚めたばかりなんだから無理しないで…」
 「長いこと看病していただきありがとうございます。あの自分に何が起こったのか聞かせていただけますか?」
 声は小さいがはっきりとそう言った。
 「もうだいぶ前になるけれど、あなたは私たちの息子を助けてくれたの。私達はここ『西林の道』で届け物屋をしているの。私達が荷の仕分けの仕事をしているとき、三歳になったばかりの息子が道に出てしまって、そこに逃げた囚われ人を追っていた武人の部隊がすごい勢いでやってきたの」
 女性は遠くを見るようなまなざしで話し始めた。
 「私達が息子を見つけたとき、もうたくさんの馬が息子に迫ってきてもうだめかと思ったの。見ていられなくて馬が通り過ぎた後目を開けたら、あなたが息子を抱えて丸くなって息子を庇ってくれていたの」
 「それで息子さんは?」
 「かすり傷一つありません。本当にありがとう、ありがとうございます」
 「いえ、よかったそれなら。全然覚えてないなぁ俺。どうしたんだろう」
 「一団が去ってあなたに走り寄ったときには、体のいろいろなところが折れていて体じゅう血だらけだったの。熱もすごくて何度も呼び掛けたけど、返事もなくてもうだめかと…」と女性は声を詰まらせた。
 「あなたがうちの子を離さず抱きかかえてくれたお陰でうちの子は無傷だった。私たちには長い間子どもができなくてやっと授かった子どもがあの子でね。大事に大事に育てていたの。あなたはうちの子の代わりにこんな目にあってしまったの。だからうちの人が、あなたを何としてでも助けたいって背負ってここに運んできて寝かせたのよ」
 長い間寝ていたというのは本当らしい。
 起き上がろうと思うが、なかなか身体が言うことをきかない。
 起きることもできないのか…
 テナンは愕然とした。
 「ゆっくりでいいから手の指から少しずつ動かす練習をしましょう。お腹はすいてない? 何も食べずにずっと眠り続けていたのよあなた。そうだ、あなた名前は?」
 「テナンといいます」
 「どこから来たの?」と問われテナンは戸惑った。
 やっと「よく覚えていません」と返した。
 「そう。名前だけでも覚えていて良かったわねぇ」
 「歳はどう? 覚えてる?」
 今度はすぐに「はあ、それも…」と返した。
 「そう。そのうち思い出すでしょう。あのときのことはいまでも忘れられない。どんなに感謝してもし足りない…」と頭を深く下げた。
 「とりあえず少し起きてみます」
 どれくらい寝ていたのだろう。とにかく起き上がらねば…
 時間をかけてどうにかテナンは体を起こした。
 これはしばらく時間がかかりそうだ。テナンは苦笑いした。

 数日を経てだいぶ体を動かせるようになり、それと共に食事も普通にとれるようになった。
 女性の作ったスープには芋がいくつも浮かび、青菜もぎっしり入っていていつも温かかった。
 一口食べ始めるとその美味しさに引き込まれ、あっという間にスープを飲み干した。
 「まあ、気持ちよく食べてもらえて嬉しいなぁ。おかわりは?」
 「え、いいんですか。旦那さんのは?」
 「夫が言ったのよ、食べられるようになったらとにかくたっぷり食べさせろって」
 「じゃもう少し」
 「少しでいいのね」といたずらっぽく女性が言うと「いっぱいお願いします」
 それを聞いた女性はにこにこ笑って所へ消えていった。
 それもあっという間に食べ終わると、テナンはしっかりと礼を言った。
 早く元の身体を取り戻さなければ… 早く成し遂げなければ…
 そんな思いは自分の中に突き上げてくるのだが、それが何だったのか思い出せないでいた。
 忘れてはいけないものだということだけはわかる。いまは世話になるしか道はない。
 しかしずいぶんたくさんの月日を失ってしまい、もしかしたら取り返しがつかない事態になっているのではないかという考えが頭を過り胸が押しつぶされるように感じ、日に日にテナンの心は暗くなっていった。
 数日したある日、夫らしき人物が入ってきた。
 起き上がっているテナンを見て驚いたようで
「良かった。もうだめなんじゃないかと思っていたんだ。良かったぁ」と泣きそうな声で言った。
 「お世話になりました。こんなことまでしていただいて本当にありがとうございます」
 テナンは深く頭を下げた。
 「それをいうならこっちだ。あんたがいなかったら、うちの坊主は間違いなくあの世だった。あんたはうちの子と俺ら夫婦の恩人だ」夫は言った。
 「ありがとうございます。こちらこそ長い間看病していただき本当に感謝しています。いまの自分には何のお礼もできません。元気になってきたし、これ以上ご厚意に甘えるわけにはいかないので自分はそろそろ…」とテナンは寝台から降りて立ち上がろうとした。
 「ちょっと待て。もうすぐ若い衆が戻ってくる。それであんたの探している人がわかるかも知れんのだ。何の事情があってなのかは知らんが、あんたは恩人だ。あんたが寝言でしきりに言っていたお人の所へ、動けないあんたの代わりに俺たちが訪ねて話を聞いているよ」
 その瞬間、思い出せずにいた記憶がテナンのもとへ帰ってきた。
 そうだった! 俺は呪術師を探していたんだ! 
 西魚の道 籠職人のゴンザの妻ハル! この人物を探していたのだ! 
 母さんを見つけるために! 
 テナンは言葉を失った。
 大きな喜びが胸いっぱいに込み上げてきた。
 思わず立ち上がり「ありがとうございます」と深々と頭を下げた。
 「あんたはしきりにうわ言で言っていたからな。『呪術師、西魚の道、籠職人ゴンザ、奥さんのハル』って。それはここに運び込んで一日か二日の頃だったがな、よっぽど大事な用事があるんだと思ったんだ。うちは届け物屋で、足自慢の若い衆を使って国中どこへでも行くんだ。だから意味はよくわからなかったが、とにかく西に行く衆に、ついでにゴンザの妻ハルを探し出してこの若者の話をして話を聞いてこい、って言いつけたんだよ」
 「はい」
 テナンは返事をしながらこの夫の次の言葉を聞き逃すまいと意識を集中させた。
 「そしたらな、ハルさんも呪術師のことは他の人に聞いたっていうんだよ。そんなことが続いてそれを順に辿って最終的に『西山の道』筋って場所にいるってことがわかった。それで何人かしてそこへ行くことになったんだ」
 テナンはそこまでしてくれた夫と部下の人々に心から感謝し頷きながら経緯を聞いた。
 「それでな、いろんな人に呪術師について噂を聞くうちに、うちの若い衆もその呪術師とやらを見つけたくなっちまったんだ。何せ聞く話聞く話信じられねえような不思議な話ばかりで、病気が治っただの、いなくなった子どもが見つかっただの、大怪我を治しただのな、面白かったんだろうな。めったに行くことがない『西山の道』筋への仕事がほどなく入ってな。ちょうどよい機会だったんで、重たい荷物だったから四人で行かせたんだが、積み荷を届け先に届けた後どうも呪術師ではないかと思われる家の目星がついて、一人がそこに足延ばしてるんだよ。だがなその家はちょっと訳ありみたいで…」
 そこまで聞いてテナンは急に震えがきた。外目からでもわかる激しいものだった。
 「おい、どうした? 大丈夫かい? 横になりな。まだ無理は禁物だぞ」
 テナンは思い出していた。
 サナの声が聞こえたときがあった。
 いまはっきりと思い出した。
 自分が死にかけているそのとき、あの優しいサナの声が聞こえたのだ。

『テナン、こちらに来るのです・・・』
 
 テナンは話の先を聞くことが怖くなってきた。
 もしサナが亡くなっていたら自分は耐えられるだろうか…
 聞きたいが聞きたくない。
 聞きたくないが聞かなければならない。
 本当にそこにサナがいるかどうかなどわかりもしないのに、怖くて仕方がない。
 ずっと生きていると信じてきた。
 会えることだけを信じて待ち続け探してきたのだ。

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