第16話 第六節 見出された少女 ー目論みー
文字数 2,955文字
ルアンの部屋に入ると、ルアンは目を開けていた。
そこには、どことなく不機嫌な様子のハンナと並んで兄のサンコが立っていた。
毎日同じ顔を見て暮らしていた森での生活は、生まれたときから一緒にいたため恥ずかしいなどという感情は持たずにすんだ。
何をするのもシ―ナが一番できが悪いが、それは当り前のことであったから恥ずかしいも悔しいもなかった。
しかし、この方々の前に出ると違うのだ。
ここからすぐに消えたいと思うほどの恥ずかしさを感じる。
でも私は歌わねばならない。それがここに置いてもらえるたった一つの理由なのだから。
シーナは、サンコに向けて深く頭を下げ、続いてハンナにベッドに伏せているルアンに頭を下げた。
そしてサンコに向かって小さな声で「私はシーナと申します」と言って俯いた。
「昨日歌を歌ったと思うが、それを私の前で歌ってくれ。最後まで行ったら最初からくり返すのだ。その時に私が笛を吹くかも知れんが、気にするな。では歌え」とサンコが命じた。
「はい、わかりました。あの申し訳ありません、私は皆さまが見ていると歌えません。どうか私を見ないでくださいませ」と小さな声で頼んだ。
「なに恥ずかしいのか? おかしな奴だなあ、あれだけ朗々とした声が出るのにか? まあ良い。好きにするがよい」
シ―ナは、昨日と同じように部屋の隅に行った。
心を落ち着かせるため窓辺から空を見上げると、木々の枝葉が風に揺れている。
ふと枝先を見ると小鳥が目に入った。そして目を閉じた。
『ルルルルーーーールルルルル――……』高く透き通った声が空気を震わせていた。
ルアンは、ふと気が付くと自分の目頭が熱くなり濡れているのを感じた。
昨日は驚いて歌を止めてしまったけれど、今日はもっと聴きたい。
心を震わせる響きにルアンは身を任せた。ハンナも聴き入っていた。
声が伝わる屋敷中の者たちの手は止まり、皆いつのまにか歌を聴くことに集中した。
やがて、その歌に笛の響きが加わった。
歌のそれとは違う音の流れは歌と美しく調和し、心を蕩けさすような快感を呼んだ。
シ―ナは、笛が加わり一瞬驚いたがそのまま歌うことができた。
笛の響きがあまりに優しく歌に寄り添うので、シ―ナの中から新たな感情が次々湧きあがり、その想いは身体の中から音となって溢れ出た。
笛と合わせることで歌声に張りと艶が生まれていたのだった。
「なんという美しさだ。このような美しい音曲を聴いたことがない」
奥座敷に夫人を訪ねていた『中浜宗家』の主は、喜びの声を上げた。
「あの歌はいったい何なのだ?」当主が問うと
「ハンナが連れてきた少女のようですが、サンコの笛も見事ですね。一層磨きがかかっているようでございます」と妻は説明した。
「笛はもとから良いのはわかっていたが、歌と合わせるとあのように美しくなるとは。これはこの家だけで聴くのはもったいない」主は笑みを漏らした。
「まあ、何をお考えですか。どこの者ともわからぬものを園遊会に出すわけにはまいりませんよ」
妻は笑いながらも心配そうに言った。
「まあそうだが…」と当主は笑みを浮かべた。
ルアンは、笛と歌が同時に終わるまで聴いていた。
音が消えると一瞬の静寂の後、屋敷中から拍手が起こった。
ルアンは満足した様子で気持ちよさそうにまた眠りに入った。
「お兄様、素晴らしかったです! まさかこのようになるとは思いませんでした!」
ハンナは上気していた。
「私には手厳しい妹から手放しのおほめの言葉を得ようとは。シ―ナとやら、見事であったぞ。これほどうまく合わせられるとは思わなかった。私が思っていた以上だ」
サンコは小さな少女シ―ナに向かってつかつかと歩み寄ったが、シ―ナはサンコを目の前にすると驚いてその場にしゃがみこんだ。
「緊張したのだな、かわいそうに」
サンコはシ―ナの肩に手を置き立ち上がらせた。
シ―ナはぶるぶると震えていた。
「よいか。シ―ナ。これから毎日練習をする。この部屋でだ。私がいて弟が起きているときに限るがな。近々大切な集まりがあるのだが、そこでお前の歌に私の笛を付けたこの曲を披露する。高貴の者たちが集まる宴席だ」
サンコは真っ直ぐにシ―ナを見て話した。
シ―ナは困り果てハンナを見た。
しかしハンナは眠っているルアンから目を離すことなく黙していた。
「わ、私には無理でございます。できません。そ、そんなたくさんの方々の前で歌うなど無理でございます。お願いします。それだけはご勘弁ください。お願いします」
この度ばかりはしっかりとお断りしなければならない。
そんな重要な宴席でもし失敗でもしようものならどうなるのか、私には無理だ、絶対無理だ、逃げ出したい。
ルアンさまをお慰めするために部屋で歌うのは慣れることができそうだ。それでもう精いっぱいなのだ。
「心配せずともよい。お前にたくさんの人々の前で歌えとは言わん。まして相手は『王の頭』の面々だ。お前のような氏素性の分からぬ者を御前に出すわけにはいかぬ」
サンコはシーナに向かって言った。
「ではどうするおつもりですの?」
ハンナが兄をにらみながら強い口調で言った。
「シ―ナも多くの者たちの前ではいまのようには歌えんだろう。屏風を用意させるゆえシ―ナはその裏で歌うのだ。歌い終わったなら間をおかず戸口から去ればよい」
「そのような姑息なことをしてまで、他家にシ―ナの歌を聴かせる必要があるのでしょうか」
「ああ、大いにある」
そう答えて遠くを見るサンコの目は、見る者をぞくりとさせるものがあった。
「ハンナ、お前の意には沿わぬかもしれぬが、ここは我が一族のためにシーナには働いてもらわねばならぬ」
サンコは厳しい口調で言った。
「我が一族のため?」
ハンナは聞き返した。
「もう何も言うな。すべては私の胸の中にあること。これ以上の反対は許さぬ」
サンコは実の妹に対して強く冷たい視線を送った。
兄のいつにない厳しさを感じ取ったハンナは、日々の言葉での反抗ができず小さな声で
「いつもそうです。何でも勝手に決めてしまわれる。仕方がありません」とつぶやくしかなかった。
そう言う妹を見る目は、柔和なものへと変わっていた。
シ―ナはどうしていいのかわからなかったが、断る選択肢などあろうはずもなかった。
そのようにして翌日から、シ―ナとサンコの歌と笛合わせは中浜宗家家中に美しく響き渡った。
シーナが少しずつ練習に慣れてきた頃、
「嵐が来そうだぞ。お屋敷がご無事なように急いで準備するぞ!」と外にいる家人たちが忙しく動き始めた。
ルアンの部屋で練習を終えたシーナは「お手伝いすることはございませんか」とハンナに尋ねた。
「あなたが外へ出ても邪魔になるだけ。気にしないでいいから、練習のことだけ考えて。あなたの仕事はそれだけよ」
ハンナは静かに言った。
シーナは暗くなり始めた空を眺めた。
そこには黒い雲が広がっていた。
まるでこの世界全体を呑み込んでしまいそうなほどの黒い雲に、この先の自分の行く末が重なった。
シーナの心に漠然とした不安が込み上げてくる。
そして、雲の動きから目を逸らすことができなくなっていた。
そこには、どことなく不機嫌な様子のハンナと並んで兄のサンコが立っていた。
毎日同じ顔を見て暮らしていた森での生活は、生まれたときから一緒にいたため恥ずかしいなどという感情は持たずにすんだ。
何をするのもシ―ナが一番できが悪いが、それは当り前のことであったから恥ずかしいも悔しいもなかった。
しかし、この方々の前に出ると違うのだ。
ここからすぐに消えたいと思うほどの恥ずかしさを感じる。
でも私は歌わねばならない。それがここに置いてもらえるたった一つの理由なのだから。
シーナは、サンコに向けて深く頭を下げ、続いてハンナにベッドに伏せているルアンに頭を下げた。
そしてサンコに向かって小さな声で「私はシーナと申します」と言って俯いた。
「昨日歌を歌ったと思うが、それを私の前で歌ってくれ。最後まで行ったら最初からくり返すのだ。その時に私が笛を吹くかも知れんが、気にするな。では歌え」とサンコが命じた。
「はい、わかりました。あの申し訳ありません、私は皆さまが見ていると歌えません。どうか私を見ないでくださいませ」と小さな声で頼んだ。
「なに恥ずかしいのか? おかしな奴だなあ、あれだけ朗々とした声が出るのにか? まあ良い。好きにするがよい」
シ―ナは、昨日と同じように部屋の隅に行った。
心を落ち着かせるため窓辺から空を見上げると、木々の枝葉が風に揺れている。
ふと枝先を見ると小鳥が目に入った。そして目を閉じた。
『ルルルルーーーールルルルル――……』高く透き通った声が空気を震わせていた。
ルアンは、ふと気が付くと自分の目頭が熱くなり濡れているのを感じた。
昨日は驚いて歌を止めてしまったけれど、今日はもっと聴きたい。
心を震わせる響きにルアンは身を任せた。ハンナも聴き入っていた。
声が伝わる屋敷中の者たちの手は止まり、皆いつのまにか歌を聴くことに集中した。
やがて、その歌に笛の響きが加わった。
歌のそれとは違う音の流れは歌と美しく調和し、心を蕩けさすような快感を呼んだ。
シ―ナは、笛が加わり一瞬驚いたがそのまま歌うことができた。
笛の響きがあまりに優しく歌に寄り添うので、シ―ナの中から新たな感情が次々湧きあがり、その想いは身体の中から音となって溢れ出た。
笛と合わせることで歌声に張りと艶が生まれていたのだった。
「なんという美しさだ。このような美しい音曲を聴いたことがない」
奥座敷に夫人を訪ねていた『中浜宗家』の主は、喜びの声を上げた。
「あの歌はいったい何なのだ?」当主が問うと
「ハンナが連れてきた少女のようですが、サンコの笛も見事ですね。一層磨きがかかっているようでございます」と妻は説明した。
「笛はもとから良いのはわかっていたが、歌と合わせるとあのように美しくなるとは。これはこの家だけで聴くのはもったいない」主は笑みを漏らした。
「まあ、何をお考えですか。どこの者ともわからぬものを園遊会に出すわけにはまいりませんよ」
妻は笑いながらも心配そうに言った。
「まあそうだが…」と当主は笑みを浮かべた。
ルアンは、笛と歌が同時に終わるまで聴いていた。
音が消えると一瞬の静寂の後、屋敷中から拍手が起こった。
ルアンは満足した様子で気持ちよさそうにまた眠りに入った。
「お兄様、素晴らしかったです! まさかこのようになるとは思いませんでした!」
ハンナは上気していた。
「私には手厳しい妹から手放しのおほめの言葉を得ようとは。シ―ナとやら、見事であったぞ。これほどうまく合わせられるとは思わなかった。私が思っていた以上だ」
サンコは小さな少女シ―ナに向かってつかつかと歩み寄ったが、シ―ナはサンコを目の前にすると驚いてその場にしゃがみこんだ。
「緊張したのだな、かわいそうに」
サンコはシ―ナの肩に手を置き立ち上がらせた。
シ―ナはぶるぶると震えていた。
「よいか。シ―ナ。これから毎日練習をする。この部屋でだ。私がいて弟が起きているときに限るがな。近々大切な集まりがあるのだが、そこでお前の歌に私の笛を付けたこの曲を披露する。高貴の者たちが集まる宴席だ」
サンコは真っ直ぐにシ―ナを見て話した。
シ―ナは困り果てハンナを見た。
しかしハンナは眠っているルアンから目を離すことなく黙していた。
「わ、私には無理でございます。できません。そ、そんなたくさんの方々の前で歌うなど無理でございます。お願いします。それだけはご勘弁ください。お願いします」
この度ばかりはしっかりとお断りしなければならない。
そんな重要な宴席でもし失敗でもしようものならどうなるのか、私には無理だ、絶対無理だ、逃げ出したい。
ルアンさまをお慰めするために部屋で歌うのは慣れることができそうだ。それでもう精いっぱいなのだ。
「心配せずともよい。お前にたくさんの人々の前で歌えとは言わん。まして相手は『王の頭』の面々だ。お前のような氏素性の分からぬ者を御前に出すわけにはいかぬ」
サンコはシーナに向かって言った。
「ではどうするおつもりですの?」
ハンナが兄をにらみながら強い口調で言った。
「シ―ナも多くの者たちの前ではいまのようには歌えんだろう。屏風を用意させるゆえシ―ナはその裏で歌うのだ。歌い終わったなら間をおかず戸口から去ればよい」
「そのような姑息なことをしてまで、他家にシ―ナの歌を聴かせる必要があるのでしょうか」
「ああ、大いにある」
そう答えて遠くを見るサンコの目は、見る者をぞくりとさせるものがあった。
「ハンナ、お前の意には沿わぬかもしれぬが、ここは我が一族のためにシーナには働いてもらわねばならぬ」
サンコは厳しい口調で言った。
「我が一族のため?」
ハンナは聞き返した。
「もう何も言うな。すべては私の胸の中にあること。これ以上の反対は許さぬ」
サンコは実の妹に対して強く冷たい視線を送った。
兄のいつにない厳しさを感じ取ったハンナは、日々の言葉での反抗ができず小さな声で
「いつもそうです。何でも勝手に決めてしまわれる。仕方がありません」とつぶやくしかなかった。
そう言う妹を見る目は、柔和なものへと変わっていた。
シ―ナはどうしていいのかわからなかったが、断る選択肢などあろうはずもなかった。
そのようにして翌日から、シ―ナとサンコの歌と笛合わせは中浜宗家家中に美しく響き渡った。
シーナが少しずつ練習に慣れてきた頃、
「嵐が来そうだぞ。お屋敷がご無事なように急いで準備するぞ!」と外にいる家人たちが忙しく動き始めた。
ルアンの部屋で練習を終えたシーナは「お手伝いすることはございませんか」とハンナに尋ねた。
「あなたが外へ出ても邪魔になるだけ。気にしないでいいから、練習のことだけ考えて。あなたの仕事はそれだけよ」
ハンナは静かに言った。
シーナは暗くなり始めた空を眺めた。
そこには黒い雲が広がっていた。
まるでこの世界全体を呑み込んでしまいそうなほどの黒い雲に、この先の自分の行く末が重なった。
シーナの心に漠然とした不安が込み上げてくる。
そして、雲の動きから目を逸らすことができなくなっていた。