第66話 第一節 『おそろしの森で』 ー転回ー
文字数 3,421文字
小屋に戻ると、りりは満面の笑顔で迎えた。
ハンガンは照れて喜びに顔を赤らめた。
小さな丸太小屋に、いまはたくさんの人間がいる。
話には聞いていたものの貴族たちの姿をみて、チマナは驚いた。
赤子をあやす長男の妻を除いてぐるりと輪になり、事の顛末をハンガン、ヤシマ、チマナが代わる代わる話し、全員がそれを静かに聞き入った。
その話を聞いた後、貴族の長男が学舎で得た白蛇に関する知識を伝えた。
「私は貴族が学び舎で知ったのですが、この国の奴婢は、もともとはこの地に生まれた者達なのだそうです。つまりこの地の祖ということです。古くから白蛇を祀って信仰していたのですが、我らの祖先はこの地に攻め入り支配するようになって、白蛇信仰を悉く潰そうとしたそうです。 白蛇を祀った社は全て壊し、王を崇めるよう徹底して管理したが、どんなに弾圧してもこの地の者たちは、王を崇めることをせず白蛇を家内に祀ったそうで、それを見つけ出しては、ずいぶん酷い仕置きをしたようです」
「ということは、奴婢は、襲われて国を奪われた人々なのですね」
りりが呟いた。
「奴婢を助ける白蛇の化身は奴婢の中に生まれ、様々な呪術を使い怪我や病気を治したり苦しみを軽くしたりできると言います。おそらくシ―ナという人はそれなのでしょう」
気弱で何もできないシ―ナがその化身として生を受けていた。
ハンガンはシ―ナの小さい頃の様子を想い浮かべていた。
「ハンガン、シーナはその中浜宗家の当主の跡継ぎに引き取ってもらうということだが、信頼できるんだろうな?」
バンナイが尋ねた。
「ええ、意志の強さを感じました。後、これまで無事にいたし、俺らはこれから追われる身になるから、貴族の家にいた方が安全だと思いました」
ハンガンは答えた。
「わかった。お前がそう言うならそれを信じよう。ご苦労だったな、ハンガン」
バンナイはそう声をかけ、今度はヤシマに向かい「ヤシマ、王を討ちとったいまお前はこれからどうする?」と尋ねた。
皆の視線がヤシマに集まった。
ヤシマは黙っていた。
「俺と一緒にこのまま森で暮らさないか。チマナも…おやじ殿、いいですよね」
ハンガンが言った。
「俺は奴婢が気になるんだ」
ポツリとヤシマはつぶやいた。
「私は残してきたあの子たちが気になってる」
チマナも言った。
「戻るつもりなのかチマナ。さっきも話したが、王が亡くなったいま俺たちはもう…」
ハンガンは心配そうに言った。
重い空気がその場に満ちそれからしばらく口を開く者はいなかった。
沈黙を破ったのはバンナイだった。
「ところでシーナの生まれがわかりここに三人戻ってきた。王を討ったいまこの先どうなるかわからない。だからいままで話さなかった皆の生まれのことを話そうと思う。ア―サとテナンのことだ。ア―サだがな。ア―サは『王の頭』の出だ」
りりが驚きではっと目を開きバンナイを見つめた。
「私と同じなのですね。私は家で匿われて育ったけれど、その貴族の方は皆さんと一緒に育てられた」
「そうですよ、りりさん。ただどこの貴族かは私にもわかりません。ア―サの服と籠に入っていたものがそれを語っていました。ア―サは、親は探さないと俺にきっぱりと言いました。預けた理由もわかっているのに、いまさら聞くこともないと。ア―サは勉強熱心でね。この子たちを送り出すに必要なことは俺の知る限り伝えたつもりだったが、あいつにはあれこれ聞かれて困ったんだ。そのたび世に出たら自ら調べろと言ってごまかしたがね。ここを出るとき、自分は学べる場所を探すと言っていた」
「あいつは人付き合いで無器用なところがあるから心配だが、頭は切れるから大丈夫だろう」
ヤシマは言った。
「え?」チマナが思わず声に出した。
「何だ?」とヤシマ。
「いえ何も」チマナは笑いを堪えている。
バンナイは笑みを浮かべながらも話を戻した。
「ア―サが一番興味を持ったのが奴婢だったんだ。奴婢たちはなぜ人扱いされないのかって。貴族から出された自分がいまさら貴族に戻れるわけじゃない。だから奴婢のことを調べて奴婢の力になりたいとあいつは言っていた。お前達もさっきそう言ってたな。この国で酷い扱いを受けている者達のことを考えられるようになったんだな。りっぱに育ったものだと俺は思っている」
「それはおやじ様と母さんがそう育ててくれたからです」
チマナが言って皆はうなずいた。
それからバンナイは他の五人の生まれについて話して聞かせた。
「テナンはどうしているのでしょうか」
ヤシマが聞いた。
「テナンは…サナを探すと…」
バンナイは言葉を継げなかった。
しばらく後に
「あいつは一番サナに甘えていたからな。三歳になってサナが抱かないと決めてからも、何かあるとサナのところに行っていた。でもサナはじっとテナンを見つめて手を出さなかった。テナンの目に涙が溢れてくるのを悲しそうに見つめてサナも涙をこらえていた。サナがいなくなって、テナンは毎日夜中に泣いていたよ。明るく振舞ってはいたがずっと我慢していたんだ。世に出たらサナを探す。そう思っていたそうだ。どんなことをしてでも何十年かかっても探し出すと。サナは絶対に生きているからと言っていた」
皆は静まり返った。
「王が亡くなったことでこの国がどうなっていくのか、もう俺には全く分からない。りり様達の救出にヤシマとハンガンは手を貸した。ヤシマは王を討とうとしハンガンはそれに手を貸した。チマナはシーナを助けにいきそれからヤシマをも助けにいった。お前たちは助け合うことになっているんだ。このうちの誰かが、どんな使命を負い目的を持ってもだ」
そして、バンナイは意を決して言葉を発した。
「だからお前達はもう俺の手を離れた。何があってもお互い助け合って生きていける。
自分達のことは自分で決めて生きていける。お前達がこの森から出て今日までいろいろななことがあったが、それを乗り越えてここまできた。これからもそれができる。王は死んでお前達を縛るものはなくなった。だから俺も自分のやりたかったことをやろうと思う」
皆がバンナイを見つめている。
「俺はサナを探しに行く。鷹が教えてくれていたんだ。まだ生きていること」
「…おやじ殿、わかっていました。おやじ殿がいつも母さんのことを思っていたこと。いままで俺たちのために我慢してくれてありがとうございました。必ず母さんを見つけてください。後は俺がやります。皆さんをお守りします。ただ一つ教えてほしいことがあるんです」
ハンガンが言った。
「何をだ。お前達はもう何も教えることはないはずだ」
「…鷹使いを教えてほしいです。森で暮らすのは何でもないことですが、外の様子も知りたいし、森でできることが増えるかもしれない。後、おやじ殿と繋がっていたいんだ。書簡もかわせる」
「俺も」
「私も」
ヤシマとチマナも目を輝かせた。
「んーむ。鷹使いは秘伝中の秘伝だぞ。いやだと言ったらどうする?」
三人は同時に肩を落とした。
「ははははっ。嘘だ、わかった。教えよう。練習は厳しいぞ」
三人の顔が、あまりに明るく輝いたのでその場は大笑いになった。
小屋の傍の木に止まっていた鳥たちがびっくりして何羽か飛び去った。
その日からハンガン、ヤシマ、チマナは鷹使いの練習を始めた。
鷹はバンナイを通して子ども達を覚えていたために、子ども達も森での生活で鷹の習性を身体で理解していた。
鷹使いの技の習得に不可欠な鷹の理解は物心ついたころからすでに備わっていた。
後は技術的なことを伝えるだけだった。
もうこの森に帰ってくることはないと考え、伝えなかった技を思いがけなく伝えることになった。
それはバンナイにとっても願ってもないことだった。
練習が始まると、三人は鷹に攻撃されることはなかったものの、使い手として鷹を腕に呼ぶまでに鷹に拒否され続けて苦労していた。
止まるようになっても厚布で覆った腕は、鷹に試されるかのように傷つけられ血だらけになりその痛みにも耐えねばならなかった。
長く止まってくれるようになったとき、三人は子どものように喜び、鷹を愛おしんでやまなかった。
呪術師としてサナの父から伝授された鷹使いの技を、こうして子どもたちに繋ぐことになるとは…
サナがいたらなんと言うだろう。
バンナイは、空を見上げてそう思った。
ハンガンは照れて喜びに顔を赤らめた。
小さな丸太小屋に、いまはたくさんの人間がいる。
話には聞いていたものの貴族たちの姿をみて、チマナは驚いた。
赤子をあやす長男の妻を除いてぐるりと輪になり、事の顛末をハンガン、ヤシマ、チマナが代わる代わる話し、全員がそれを静かに聞き入った。
その話を聞いた後、貴族の長男が学舎で得た白蛇に関する知識を伝えた。
「私は貴族が学び舎で知ったのですが、この国の奴婢は、もともとはこの地に生まれた者達なのだそうです。つまりこの地の祖ということです。古くから白蛇を祀って信仰していたのですが、我らの祖先はこの地に攻め入り支配するようになって、白蛇信仰を悉く潰そうとしたそうです。 白蛇を祀った社は全て壊し、王を崇めるよう徹底して管理したが、どんなに弾圧してもこの地の者たちは、王を崇めることをせず白蛇を家内に祀ったそうで、それを見つけ出しては、ずいぶん酷い仕置きをしたようです」
「ということは、奴婢は、襲われて国を奪われた人々なのですね」
りりが呟いた。
「奴婢を助ける白蛇の化身は奴婢の中に生まれ、様々な呪術を使い怪我や病気を治したり苦しみを軽くしたりできると言います。おそらくシ―ナという人はそれなのでしょう」
気弱で何もできないシ―ナがその化身として生を受けていた。
ハンガンはシ―ナの小さい頃の様子を想い浮かべていた。
「ハンガン、シーナはその中浜宗家の当主の跡継ぎに引き取ってもらうということだが、信頼できるんだろうな?」
バンナイが尋ねた。
「ええ、意志の強さを感じました。後、これまで無事にいたし、俺らはこれから追われる身になるから、貴族の家にいた方が安全だと思いました」
ハンガンは答えた。
「わかった。お前がそう言うならそれを信じよう。ご苦労だったな、ハンガン」
バンナイはそう声をかけ、今度はヤシマに向かい「ヤシマ、王を討ちとったいまお前はこれからどうする?」と尋ねた。
皆の視線がヤシマに集まった。
ヤシマは黙っていた。
「俺と一緒にこのまま森で暮らさないか。チマナも…おやじ殿、いいですよね」
ハンガンが言った。
「俺は奴婢が気になるんだ」
ポツリとヤシマはつぶやいた。
「私は残してきたあの子たちが気になってる」
チマナも言った。
「戻るつもりなのかチマナ。さっきも話したが、王が亡くなったいま俺たちはもう…」
ハンガンは心配そうに言った。
重い空気がその場に満ちそれからしばらく口を開く者はいなかった。
沈黙を破ったのはバンナイだった。
「ところでシーナの生まれがわかりここに三人戻ってきた。王を討ったいまこの先どうなるかわからない。だからいままで話さなかった皆の生まれのことを話そうと思う。ア―サとテナンのことだ。ア―サだがな。ア―サは『王の頭』の出だ」
りりが驚きではっと目を開きバンナイを見つめた。
「私と同じなのですね。私は家で匿われて育ったけれど、その貴族の方は皆さんと一緒に育てられた」
「そうですよ、りりさん。ただどこの貴族かは私にもわかりません。ア―サの服と籠に入っていたものがそれを語っていました。ア―サは、親は探さないと俺にきっぱりと言いました。預けた理由もわかっているのに、いまさら聞くこともないと。ア―サは勉強熱心でね。この子たちを送り出すに必要なことは俺の知る限り伝えたつもりだったが、あいつにはあれこれ聞かれて困ったんだ。そのたび世に出たら自ら調べろと言ってごまかしたがね。ここを出るとき、自分は学べる場所を探すと言っていた」
「あいつは人付き合いで無器用なところがあるから心配だが、頭は切れるから大丈夫だろう」
ヤシマは言った。
「え?」チマナが思わず声に出した。
「何だ?」とヤシマ。
「いえ何も」チマナは笑いを堪えている。
バンナイは笑みを浮かべながらも話を戻した。
「ア―サが一番興味を持ったのが奴婢だったんだ。奴婢たちはなぜ人扱いされないのかって。貴族から出された自分がいまさら貴族に戻れるわけじゃない。だから奴婢のことを調べて奴婢の力になりたいとあいつは言っていた。お前達もさっきそう言ってたな。この国で酷い扱いを受けている者達のことを考えられるようになったんだな。りっぱに育ったものだと俺は思っている」
「それはおやじ様と母さんがそう育ててくれたからです」
チマナが言って皆はうなずいた。
それからバンナイは他の五人の生まれについて話して聞かせた。
「テナンはどうしているのでしょうか」
ヤシマが聞いた。
「テナンは…サナを探すと…」
バンナイは言葉を継げなかった。
しばらく後に
「あいつは一番サナに甘えていたからな。三歳になってサナが抱かないと決めてからも、何かあるとサナのところに行っていた。でもサナはじっとテナンを見つめて手を出さなかった。テナンの目に涙が溢れてくるのを悲しそうに見つめてサナも涙をこらえていた。サナがいなくなって、テナンは毎日夜中に泣いていたよ。明るく振舞ってはいたがずっと我慢していたんだ。世に出たらサナを探す。そう思っていたそうだ。どんなことをしてでも何十年かかっても探し出すと。サナは絶対に生きているからと言っていた」
皆は静まり返った。
「王が亡くなったことでこの国がどうなっていくのか、もう俺には全く分からない。りり様達の救出にヤシマとハンガンは手を貸した。ヤシマは王を討とうとしハンガンはそれに手を貸した。チマナはシーナを助けにいきそれからヤシマをも助けにいった。お前たちは助け合うことになっているんだ。このうちの誰かが、どんな使命を負い目的を持ってもだ」
そして、バンナイは意を決して言葉を発した。
「だからお前達はもう俺の手を離れた。何があってもお互い助け合って生きていける。
自分達のことは自分で決めて生きていける。お前達がこの森から出て今日までいろいろななことがあったが、それを乗り越えてここまできた。これからもそれができる。王は死んでお前達を縛るものはなくなった。だから俺も自分のやりたかったことをやろうと思う」
皆がバンナイを見つめている。
「俺はサナを探しに行く。鷹が教えてくれていたんだ。まだ生きていること」
「…おやじ殿、わかっていました。おやじ殿がいつも母さんのことを思っていたこと。いままで俺たちのために我慢してくれてありがとうございました。必ず母さんを見つけてください。後は俺がやります。皆さんをお守りします。ただ一つ教えてほしいことがあるんです」
ハンガンが言った。
「何をだ。お前達はもう何も教えることはないはずだ」
「…鷹使いを教えてほしいです。森で暮らすのは何でもないことですが、外の様子も知りたいし、森でできることが増えるかもしれない。後、おやじ殿と繋がっていたいんだ。書簡もかわせる」
「俺も」
「私も」
ヤシマとチマナも目を輝かせた。
「んーむ。鷹使いは秘伝中の秘伝だぞ。いやだと言ったらどうする?」
三人は同時に肩を落とした。
「ははははっ。嘘だ、わかった。教えよう。練習は厳しいぞ」
三人の顔が、あまりに明るく輝いたのでその場は大笑いになった。
小屋の傍の木に止まっていた鳥たちがびっくりして何羽か飛び去った。
その日からハンガン、ヤシマ、チマナは鷹使いの練習を始めた。
鷹はバンナイを通して子ども達を覚えていたために、子ども達も森での生活で鷹の習性を身体で理解していた。
鷹使いの技の習得に不可欠な鷹の理解は物心ついたころからすでに備わっていた。
後は技術的なことを伝えるだけだった。
もうこの森に帰ってくることはないと考え、伝えなかった技を思いがけなく伝えることになった。
それはバンナイにとっても願ってもないことだった。
練習が始まると、三人は鷹に攻撃されることはなかったものの、使い手として鷹を腕に呼ぶまでに鷹に拒否され続けて苦労していた。
止まるようになっても厚布で覆った腕は、鷹に試されるかのように傷つけられ血だらけになりその痛みにも耐えねばならなかった。
長く止まってくれるようになったとき、三人は子どものように喜び、鷹を愛おしんでやまなかった。
呪術師としてサナの父から伝授された鷹使いの技を、こうして子どもたちに繋ぐことになるとは…
サナがいたらなんと言うだろう。
バンナイは、空を見上げてそう思った。