第11話 第五節 売られた少女 ー危機ー

文字数 3,649文字

 チマナは、にぎやかな街並みに出てきた。
 おやじ様は、シーナとともに来てチマナとどこで別れるかを推し量っているようだった。
 三人は『東林の道』に来ていた。
 
 『おそろしの森』をバンナイと六人の子どもたちが抜け大通りに出たところでおやじ様は言った。
 「アーサ、テナン、ハンガン、ヤシマ、お前たちとはここで別れだ。それぞれ一人になって生きていけ。何も言うな。黙ってそれぞれ歩き出せ」
 森を出るまでの鬱蒼とした獣道を歩く間、男の子たちは、まるでいつもの散策のように思い思いに歩きながらもおやじ様を見失うことなく迫る別れを感じさせない明るい会話をしていた。
 おやじ様の言葉を聞くとすぐに走り出したのはヤシマだった。振り返らなかった。
 あっという間に小さくなり遠い先の曲がり角にヤシマは消えた。
 続くテナンは、一人ひとりを見渡して笑顔を見せるとゆっくり歩き出し、ヤシマより手前の角で曲がり姿を消した。
 アーサが「じゃあ」と小さく手を上げ二人を追うように歩き出したが、二人とは反対の角を曲がった。
 三人の出発を見届けると、ハンガンが「おやじ殿、チマナ、シーナ、元気で」とゆっくり一人ひとりに顔を向けた。
 すでに泣きじゃくっているシーナの頭に手をやってなだめるように優しく前後に揺すると、ハンガンは三人とは逆の方向に走り出した。
 散り散りにならなければならないことを四人はよく理解し、初めから別方向を目指したのだ。
 「よし、行こう」とおやじ様は二人を連れて歩き出した。
 道行く人々は、チマナの美しさに目を奪われるようにじっと見てきたり振り返ったりした。
 『東林の道』と『中魚の道』は、治安がいいと聞いていた養い親のバンナイは、チマナとシーナをそれぞれそこに置くことに決めた。
 チマナは、自分はどこででも働けるだろうし要領もいいので何とかなると思っていた。
 心配なのはシーナだ。おやじ様は本当にシーナを一人にしてしまうのだろうか。
 『東林の道』から商店街に入っていくと、たくさんの店が並んでいた。
 チマナは、おやじ様に「このお店に聞いてみます」と可愛い服や飾りが並ぶ店の奥に入っていった。
 バンナイが付いていこうとすると、チマナは「ここからは自分の力でやってみる」と笑ってバンナイを制した。
 チマナがさっぱりした顔で戻ってきた。
 「いらない、と言われちゃった。客だと思ったらとんだ奴が来た、だって」とおどけて悔しい表情を作って見せた。
 団子屋、八百屋、魚屋、料理屋…と聞いたが、皆同じ返答だった。
 靴屋に入り「ここで働かせてもらえませんか」と聞いた。
 返事は同じだったが、チマナは決意していた。
 「おやじ様、この店に決まったの。私は大丈夫!」
 チマナは元気いっぱいそう報告して「もう行って」と二人に手を振った。
 シーナが怪訝そうな顔をしている。
 「シーナ、元気で頑張るんだよ。私はいつでもどこにいてもシーナを思ってる」
 そう言ってチマナはシーナの背中を押した。
 バンナイは、シーナとともに歩き出した。
 後ろ髪を引かれる思いだったが、どこかで断ち切るしかないということを十二分にわかっていた。
 二人はシーナを手放すはずの『中魚の道』に向かった。
 二人の背中が小さくなって見えなくなった頃、「さぁ、早く働き口を探さないと」と通りを渡り角を曲がったところで、数人の男たちが突然チマナの前を塞ぐように飛び出してきた。
 「仕事探してるなら、楽して稼げるところがあるよ。お嬢ちゃん俺たちのところに来なよ」
 「そうだよ。さっきから何軒も断られて大変だったろう。一緒においでよ」と包囲し、その輪を詰めてきた。
 「こういう輩は危ない」とチマナは直感し輪の緩そうなところを目がけて、するりと通り抜けると大通りに出て走り出した。
 深い森の山坂の獣道で鍛えた足は速いのだ。
 脱兎のごとく走るチマナに誰一人男たちは追いつけず、あっという間にチマナの姿を見失っていた。
 消えゆくチマナの背中に男たちは「逃げられると思うなよ!」と怒鳴りつけた。  
 相当走ってからほっと一息ついたが警戒を解かず、男たちに見つからないように建物と建物の狭い隙間に身を潜ませた。
 しばらく時間が経った頃、どこからか美しい音色が聴こえてきた。
 しかし、同時に響く男の怒鳴り声がその音色をかき消した。
 さらにそこに、ビシッという音も加わった。
 考えるより先に身体が動いていた。
 音がする方へ吸い寄せられるように向かっていくと、広い空き地の先の古い大きな建物に行き着いた。ここが音の出どころらしい。
 小さな窓から中を覗くと、十数人の少女がいた。
  皆若く自分と同じか、もっと小さい子までいるようだった。
 中央にいる七、八人の子たちは、悲しそうな目で音楽に合わせ身体を動かしていた。
 周りで見ている小さい子たちは、身を震わせてその踊りと怒鳴り散らしている男を交互に見ていた。
 男は
「間違えるな、何度言ったらわかるんだ」
「そこは回るんだ」
「そこで笑うんだ」と怒鳴りつけながら踊り手の手や足、腰や背中を容赦なく棒で打ちつけていた。
 少女たちは一様に恐怖に顔を引きつらせ涙を浮かべている。
 なんてひどい光景だろう。
 この子たちは、美しい音楽に合わせて踊っているのに全く楽しそうではない。
 悲しくつらく苦しいのだ。
 一方で、チマナは音楽に合わせ自然に手足を動かしている自身にふと気がついた。
 男のふるまいに怒りが湧き上がるのだが、もう一角にいる少女たちが奏でる音楽は、チマナの心を育った森へと運び、時を忘れて蕩けるような喜びを感じさせていた。
 すると突然首に太いものが巻かれ、自分の身体が宙に浮いたのを感じた。
 そして息ができない苦しさが突然やってくると、 目の前が真っ暗になりそのあと地に投げられ踏みつけられ、今度はお腹に激しい痛みを感じた。強い力で蹴られたのだ。
 「いたぞ! 手こずらせやがって」
 先ほど巻いたはずの男達が追いついて、自分を探し当てたことを悟った。
 「もうおしまいだ…おやじ様ぁ、みんな…」
 チマナは痛みと情けなさとこの先に待ち受けるであろうことへの恐怖で涙が出た。
 そして残っていた力の全てを使って「ギャー」と大きな声を出した。
 男たちは一瞬たじろいで、チマナを踏みつけていた足や押さえていた手を放してしまった。
 そのほんのわずかな隙に、チマナはすかさず反射的に身を起こし立ち上がった。
 「なんて奴だ、この小娘!」  
 そこへ建物の中から、娘たちを怒鳴りつけていた人物が出てきた。
 ふらつく状態のチマナを一瞥し、男達の前に立った。
 「穏やかじゃありませんねぇ、娘一人を相手に。どういうことです?」と男達に聞いた。
 「この娘は俺たちが買ったんだ。だから俺たちのもんだ」と一人が言った。
 チマナは
「嘘をつくな。私はあんたたちに買われた覚えはない!」と怒りに身を震わせながら男たちをにらんだ。
 「お前さんたち、たちの悪いことはするな。目を付けた女の子を理不尽に売り飛ばしている輩が最近こっちに流れてきたと聞いてるぞ。それはお前さんたちじゃねぇのかい」
 男は静かに諭すように男たちに言った。
「うるせぇな。さっさとその子をこっちに渡してもらおうか」
 若い男の一人がいきり立って男に詰め寄った。
 すると「俺がこの子を買おう。どうだい。この子を買うために一銭も払っていないだろう。ここで金が入るなら、お前さんたちにとって損な話じゃないはずだ。その代わりもうこの子のことは追うな、この娘はもうここの舞人だ」と腰につけてあった袋から金を出すと、男たちの一人に渡した。

 顔を見合わせた男たちはうなずきあって
「舞人か。親方、その子は相当高く売れる子だった。こんな額じゃ全然足りねえけど、あんたに免じてそいつは渡すよ」と言って全員が踵を返した。
 「やめてください。私は売られてもいませんし買われるのも嫌です」とチマナは言った。
 親方はチマナに
「威勢がいいなあ。あんた、いつまでもあいつらに追われ続けたいのか。一人になったら、あいつらはどんなことをしてでもあんたを捕まえて売るよ。普通の道理など通用しないたちの悪い連中だ。あいつらに会ってしまったのが運の尽きだ。そういう連中には金で話をつけるしかないんだ。そうでなければ大怪我を負わされるか、殺されるかしかない。ここでは舞を覚えて踊る。それだけだ。あんたずっと稽古を見ていただろう。稽古は厳しいが、舞は人を喜ばせることができる仕事だ。それにあんたが食うに困らず安全に寝泊まりできる場所は他にないと思うが」
 この男は私に気が付いていたのだ…
 チマナは盗み見ていたときにほんの一瞬だが、やってみたいと感じた瞬間を思い出していた。

 チマナは、ときをおかず、舞をすべて覚え初舞台に立つと、やがて『天女如心』の完璧な舞手となっていった。
 各地の大小様々な舞台に立つようになったのだ。
 チマナが舞人となり数日ののち、かの大きな嵐はやってきた。
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