第14話 第六節 見出された少女 ー姉弟ー

文字数 2,388文字

 大きな門をくぐり抜けしばらく行くと、玄関前に停まった。
 多くの下人が「お帰りなさいませ」と口々に挨拶した。
 「さあ ついていらっしゃい」
 ハンナがシ―ナに声をかけシ―ナは従った。  
 黒地に金の縁取りの施された重厚な扉が開き中に入ると、美しい扉が並ぶ廊下があり奥へと続いていた。
 シーナは初めて見る貴族の屋敷の豪華さに目が釘付けになった。
 この国に住む庶民を見ても別世界に感じたのに、その庶民でさえ貴族の生活とは程遠い。
 貴族の屋敷の中など一生目にできない者がほとんどだろう。
 まして森でしか生活してこなかったシーナにとって、そこは現実ではないものに感じられ圧倒された。
 ハンナは長い廊下をしばらく行くと、その一つの扉の前に立った。
 「ここが弟の部屋よ」ハンナは扉を開けた。
 すると、部屋の奥にある寝台に横たわる者が視界に入ってきた。      
 まだ十歳くらいだろうか。
 真っ白な顔の、伏せた瞼の線は長く大きな目であることがわかる。
 少しはみ出した腕や手先が細く女の子のように見える。この方がハンナ様の弟。
 「かわいい。おきれいですね、弟様」シーナは小さな声で呟いた。
 「ルアンというのよ。可愛いでしょ。とってもいい子なの」
 そう言いながら、ハンナはルアンの髪の毛をそっとなでた。
 「ルアンが起きたら、歌を歌ってあげてちょうだい」ハンナは言った。
 「はい。ハンナ様、私、他にやることはありませんか。やれることは何でも致します」
 ハンナが鋭い視線でシ―ナを見た。シ―ナはたじろいだ。
 「それは結構よ。人出が足りなくてあなたを雇うわけではないのよ。あなたがこの家の何をやっても、邪魔にしかならないはずよ」
 ハンナは静かに言いシ―ナは俯いた。
 この方は何もかも見通している。きっと私が不器用で何をやってもうまくできないことも。
 「あなたは歌ってくれればいいのよ」
 「えっ、は、はい」
 それだけで私はここにいていいのだろうか…… 
 「あ、あの、いつまでいて良いのでしょうか?」
 「ずっと居てほしいと思っているわ。弟が聴きたいと言ったときには必ず弟のそばで歌ってほしいの。だから弟があなたを必要とする限りずっと」
 「では、もしルアンさまが私の歌を気に入らないとおっしゃったときは…」
 「それはないわ。それだけは断言できる。あなたの歌をあの子は気にいるはずよ」
 「わかりました…」
 シーナは、なぜハンナがそこまで断言するのか皆目見当がつかなかったが、ハンナの言葉の勢いに押され小さく返事をした。
 とそのときルアンの瞼がゆっくりと開いた。
 そして漆黒のつぶらな瞳が真っ直ぐにシ―ナを捉えた。
 「だれ?」小さな声が漏れた。
 「あ、あ、あ、あの私は、私は、シ―ナと言います」
 「シ―ナ?」
 寝台の声の主ルアンが問い返し「どうしてここに?」と続けた。
 「あの、あの…」
 シ―ナは恥ずかしさで真っ赤になっていた。
 「お顔赤い…」
 ルアンがフフッと笑った。
 シ―ナはますます赤くなり、どうしていいのかわからなくなった。
 なんて可愛らしい方なんだろう…
 この二人の前では自分が取るに足らない小さなもののように思えた。
 「ふふっルアン。起きたのね。ちょうど良かった。この子はね歌がとても上手なの。あなたに聴かせたくて連れてきちゃったのよ」
 「連れてきちゃったの? 心配する人はいないの? 大丈夫なの?」とハンナとシーナを代わる代わる見てルアンは言った。
 「大丈夫よ。それは確認したもの。さあ、シ―ナ。早速歌ってみて」
 ハンナは得意そうにシーナを急かした。
 「あ、あの…さっきのでいいのですか?」
 ハンナに出会ったときに歌ったものは、心細い思いを紛らわそうと適当に節をつけたもので、歌と呼べるものなのかも定かではなかった。
 シ―ナは、ハンナとルアンのいるところから離れて部屋の隅へと歩いていき目を閉じた。
 バクンバクンと心臓の脈打つ音が部屋中に響き渡るような気がした。
 自分が絨毯の上に真っすぐ立っていられるかもわからない。
 これ程まで緊張したことはいままでになかった。
 できることなら逃げ出したいと思った。ここには助けてくれる仲間はいない。 
 しかし、シーナは意を決して歌い出した。
『ルルルルールーーールルルーーーー……』
 歌うことに集中し、しばらくするとシーナの目の前に育った森の景色が広がってきた。
 そして、天から降ってくるような高い声が美しい旋律に乗って、ルアンの部屋いっぱいに響き渡った。
 その声は、廊下や窓を伝い屋敷の各所に散らばった家人や守りの武人の耳にも届き、皆一様に作業の手を止め聴き入った。
 ルアンは歌うシ―ナをじっと見つめていた。
 その目からすーっと一筋流れるものがあった。
 「もういいよ。やめて」
 ルアンがいきなり小さく声をかけた。
 うっとりと聴き入っていたハンナは驚き「どうしたの?まだ途中なのに…」と言った。
 「ごめんなさい。お気に召さなかったでしょうか。本当にごめんなさい。申し訳ありません」
 もう駄目だ、ここにいられない、早くここを出て寝場所を探さねば…
 シ―ナは覚悟した。
 「違うんだ。そうじゃないの。また明日聴かせて。涙が出てきちゃったの。悲しいわけじゃないのに。ここが震えて何かでいっぱいになっちゃったの」
 ルアンは胸を指し、ぽつりぽつりとそう説明した。
 シ―ナは予想もしていなかったルアンの言葉を理解するのにしばらく時間がかかった。
 ハンナは、我慢強くめったに泣くことなどない弟の涙に驚いた。
 しかし知らないうちに涙が出てきてしまうような心動かされるものを、ハンナ自身も感じ取っていた。
 それはただ美しい歌というのではない「何か」なのだ。
 一方家人たちは、突然歌が止むと空疎な気持ちになり、物足りない気持ちを抱えて作業に戻った。
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