第60話 第二節 追想 ー謀反ー
文字数 2,025文字
その日は来た。
母に勧めた飲み物には毒を仕込ませてあった。
母はもがき苦しんだ。
床を転げ回って息子の身代わりを見た。悲しげなまなざしだった。
「…どうして」
その目には涙が浮かんでいた。
王ではないが実の息子である自分の命を軽んじるのに、あなたはそうまでして生きたいのか…
そんな嘲(あざけ)りの感情しかなかった。
母の遺体を自分に信頼を寄せる武人らに整えさせ病死とした。
次は兄だった。
王の寝込みを武人が取り囲んだ。
「王への謀反の疑いによって処刑致します」
「何を言うか。私が本物の王だ。見間違えるな。私こそが真の王だ」
「いえ私こそが真の王だ。身代わりが戯けたことを申すな。身代わりの身でありながら真の王を騙るとは許し難き振る舞い、覚悟せよ」
「お前は何と言うことを」
「あなたは私を弟として見ることは一度としてなかった。もし一度でも弟として扱ってくださったなら今日という日は来ませんでした。あなたにとって私は身代わりでしかなかった。母上もです」
「では、お前が母上を…」
恐怖でひきつった兄の顔を見た高揚感は今でも忘れない。
放っておけばあの顔は自分だった。
身代わりの用が済んだとき、赤子のときに捨てられたようにまた捨てられるのだ。
表向きは、身代わりが恨みのために母の命を奪いその身代わりを王が成敗したということにして事を収めた。
王妃は元々王との仲が冷えていたことから実家に帰し、他家の貴族筋から新王妃を迎えた。
その後、王の部屋から母が自分に当てた手紙が見つかった。
なぜ兄の元にあったのかは容易に察しがついた。
我が息子へ
あなたが 文字が読めるようになったと聞きました。
熱心に勉強をして兄君を支えようとするあなたの姿を見るのが私は嬉しくてたまりません。双子として生まれたあなたたちの姿を一日たりとも忘れることはありませんでした。
本当に愛らしくて、向かい合って互いの顔を見て笑う二人はまさに天の使いでした。
一人を乳母に預けなければならないと知った時は、苦しくて苦しくてどんなに泣いたことでしょう。しかし乳母が大事に育ててくれていると聞き、幸せを祈らぬ日はありませんでした。再び相見(まみ)えることができたこと、あなたを見ながら暮らせる今を幸せに思う毎日です。
そこには母の真実の想いが綴られていた。
その手紙を読むと、平衡感覚を失い地に足が着かない浮遊感に襲われた。
求めて止まないものにやっと出会えた大きな喜びは、生まれて初めて愛情を向けてくれた相手を自らの手で殺害してしまった深い後悔で打ち消された。
母は自分を愛してくれていた。
なんてことをしてしまったのか…
もっと早く知っていたら、母を襲うことなどなかった。
兄はなぜこの手紙を隠したのだ。
いまにも切れそうな細く頼りない母との絆を断ち切ったのは、他ならぬ兄の冷たい仕打ち。
これが実の兄のすることなのか。
兄への憎しみは、優しさというものをこの弟から根こそぎ奪っていった。
このときから急激にさらに心は冷えていった。
弟は兄に完全になり変わった。
兄の名であるガトマをそのまま名乗った。
この国は王の名前がそのまま国の名前になる。
王の権威を内外に示すため、王が代わるたびに国の名も変わるのだ。
ガトマ国。
兄の名前のままの国名は忌々しくはあったが、そこは目を瞑るしかなかった。
そのときから弟は自分の真の名前を失った。
側近の武人や自分につき従う貴族は厚遇し、意見をさしはさむ者は遠ざけ冷遇した。
しだいに有力貴族はなりを潜め、武人らが貴族になり変わって王とともに政治に関わるようになった。
そして、周辺諸国を攻め入り支配した暁はそれらの国を自由に治めよと武人らの戦闘士気を鼓舞した。
兄はこの国はこのままあればよいと言って、民の暮らしを顧みることもなく何にも関心を持たぬ野心のない人間だった。
弟に嫉妬し手紙を隠す姑息な人間が王だと?
王とは絶対なる権力であり恐怖なのだ。
こうして王となった男は、赤子さえも殺める情け容赦ない冷酷な支配者となっていった。
青虎から王を守ろうとした武人は王の死を見守ると、自らの剣で王の跡を追った。
かつて若き日のこの男の初の任務が農家に王の弟を迎えに行くことだった。
王の弟は、ぎらぎらした目の痩せこけた少年だった。
自分とそう齢が変わらない少年のその視線の放つものは周囲の者への憎しみだった。
兄に身代わりとしてしか扱われない弟。
その少年の母と兄を見る目が憧れから諦めに、そして憎しみに代わる様を若き日のこの男は痛い思いで見つめ同情を寄せた。
王の弟は身代わりとして血の滲む努力をしていた。
それを見てきた男は、兄である凡庸な王より弟に魅力を感じその後の全ての謀(はかりごと)に衷心した。
王となって君臨して以後の冷酷で残虐ともいえる所業にも心を鬼にして従った。
誰よりも寂しさ故の非道と知っていた男だった。
母に勧めた飲み物には毒を仕込ませてあった。
母はもがき苦しんだ。
床を転げ回って息子の身代わりを見た。悲しげなまなざしだった。
「…どうして」
その目には涙が浮かんでいた。
王ではないが実の息子である自分の命を軽んじるのに、あなたはそうまでして生きたいのか…
そんな嘲(あざけ)りの感情しかなかった。
母の遺体を自分に信頼を寄せる武人らに整えさせ病死とした。
次は兄だった。
王の寝込みを武人が取り囲んだ。
「王への謀反の疑いによって処刑致します」
「何を言うか。私が本物の王だ。見間違えるな。私こそが真の王だ」
「いえ私こそが真の王だ。身代わりが戯けたことを申すな。身代わりの身でありながら真の王を騙るとは許し難き振る舞い、覚悟せよ」
「お前は何と言うことを」
「あなたは私を弟として見ることは一度としてなかった。もし一度でも弟として扱ってくださったなら今日という日は来ませんでした。あなたにとって私は身代わりでしかなかった。母上もです」
「では、お前が母上を…」
恐怖でひきつった兄の顔を見た高揚感は今でも忘れない。
放っておけばあの顔は自分だった。
身代わりの用が済んだとき、赤子のときに捨てられたようにまた捨てられるのだ。
表向きは、身代わりが恨みのために母の命を奪いその身代わりを王が成敗したということにして事を収めた。
王妃は元々王との仲が冷えていたことから実家に帰し、他家の貴族筋から新王妃を迎えた。
その後、王の部屋から母が自分に当てた手紙が見つかった。
なぜ兄の元にあったのかは容易に察しがついた。
我が息子へ
あなたが 文字が読めるようになったと聞きました。
熱心に勉強をして兄君を支えようとするあなたの姿を見るのが私は嬉しくてたまりません。双子として生まれたあなたたちの姿を一日たりとも忘れることはありませんでした。
本当に愛らしくて、向かい合って互いの顔を見て笑う二人はまさに天の使いでした。
一人を乳母に預けなければならないと知った時は、苦しくて苦しくてどんなに泣いたことでしょう。しかし乳母が大事に育ててくれていると聞き、幸せを祈らぬ日はありませんでした。再び相見(まみ)えることができたこと、あなたを見ながら暮らせる今を幸せに思う毎日です。
そこには母の真実の想いが綴られていた。
その手紙を読むと、平衡感覚を失い地に足が着かない浮遊感に襲われた。
求めて止まないものにやっと出会えた大きな喜びは、生まれて初めて愛情を向けてくれた相手を自らの手で殺害してしまった深い後悔で打ち消された。
母は自分を愛してくれていた。
なんてことをしてしまったのか…
もっと早く知っていたら、母を襲うことなどなかった。
兄はなぜこの手紙を隠したのだ。
いまにも切れそうな細く頼りない母との絆を断ち切ったのは、他ならぬ兄の冷たい仕打ち。
これが実の兄のすることなのか。
兄への憎しみは、優しさというものをこの弟から根こそぎ奪っていった。
このときから急激にさらに心は冷えていった。
弟は兄に完全になり変わった。
兄の名であるガトマをそのまま名乗った。
この国は王の名前がそのまま国の名前になる。
王の権威を内外に示すため、王が代わるたびに国の名も変わるのだ。
ガトマ国。
兄の名前のままの国名は忌々しくはあったが、そこは目を瞑るしかなかった。
そのときから弟は自分の真の名前を失った。
側近の武人や自分につき従う貴族は厚遇し、意見をさしはさむ者は遠ざけ冷遇した。
しだいに有力貴族はなりを潜め、武人らが貴族になり変わって王とともに政治に関わるようになった。
そして、周辺諸国を攻め入り支配した暁はそれらの国を自由に治めよと武人らの戦闘士気を鼓舞した。
兄はこの国はこのままあればよいと言って、民の暮らしを顧みることもなく何にも関心を持たぬ野心のない人間だった。
弟に嫉妬し手紙を隠す姑息な人間が王だと?
王とは絶対なる権力であり恐怖なのだ。
こうして王となった男は、赤子さえも殺める情け容赦ない冷酷な支配者となっていった。
青虎から王を守ろうとした武人は王の死を見守ると、自らの剣で王の跡を追った。
かつて若き日のこの男の初の任務が農家に王の弟を迎えに行くことだった。
王の弟は、ぎらぎらした目の痩せこけた少年だった。
自分とそう齢が変わらない少年のその視線の放つものは周囲の者への憎しみだった。
兄に身代わりとしてしか扱われない弟。
その少年の母と兄を見る目が憧れから諦めに、そして憎しみに代わる様を若き日のこの男は痛い思いで見つめ同情を寄せた。
王の弟は身代わりとして血の滲む努力をしていた。
それを見てきた男は、兄である凡庸な王より弟に魅力を感じその後の全ての謀(はかりごと)に衷心した。
王となって君臨して以後の冷酷で残虐ともいえる所業にも心を鬼にして従った。
誰よりも寂しさ故の非道と知っていた男だった。