第29話 第九節 計画 ー再会ー

文字数 3,232文字

 ヤシマの突然の呼びかけに、振りむいた青年の目には涙が光っていた。
 驚きで大きく見開かれた目が宙を泳いだ。
 「ヤシマ、どうしてここに…」
 「お前こそどうして…」
 それ以上はお互いに声にならなかった。
 ヤシマの胸に押し寄せてきたものは懐かしさと嬉しさだった。
 そのことにヤシマはとまどった。
 しかしその感情はあっという間に去り、ハンガンの抜き差しならない状況を察した。
 ふと処刑場の中央を見ると、少女と思しき人物がハンガンを見つめていた。
 ハンガンも少女に真っ直ぐに目を向けた。
 月明かりの中、鉄柵を境にして見つめ合う二人。
 少女はやにわに床を下りて、こちらに向かってくる。
 足取りは歩き慣れていないのか、たどたどしい様子が見られた。
 「やめるんだ。来ちゃいけない」
 ハンガンの声が漏れた。
 二人の警備の武人は丸太で組んだ警備小屋から出てくる気配はない。
 家族は一瞬驚いたようだったが、止めようとはしなかった。
 止めれば騒動になり、武人に気付かれてしまうだろう。
 ヤシマはすーっとハンガンから離れた。
 少女の姿が鮮明に見えるくらい近くなり、蒼白いその顔に嬉しそうな微笑みが浮かぶのをヤシマは見た。
 その背丈はシ―ナくらいだろうか。
 強い意志を表すはっきりした眉とその下の奥二重で切れ長の目が、笑うとその顔を華やかにした。
 「ごめんなさい」
 ハンガンはそう言って 鉄柵にかかった少女の手をハンガンは自分の手でくるんだ。
 もう一方の手で少女の肩を包んだ。
 「俺があなたをこんな目に…」
 「違います。何度も言いますが、あなたのせいじゃない。父母兄弟姉妹を巻き込んでこんなことにしてしまったけれど、私はあなたに会えてよかった…私は生まれてはいけない人間でした。それを育ててくれた父母は、私が生まれたそのときから覚悟ができていた、と言ってくださいました」
 ハンガンは鉄柵越しに大きな手で少女の肩を引き寄せるようにした。
 「泣かないで。あのまま暗い部屋に閉じこもって暮らすのはもうできなかったの。いずれ私は見つかりました。あなたと会えて初めて生きていて良かったと思いました。ありがとう」
 小さな声だがはっきりと少女は言った。
 そしてハンガンの手をそっと自分の肩から外すと、振りむくこともなく真っ直ぐに戻っていった。
 ハンガンは力なくその場にしゃがみこんだ。
 ハンガンの目がヤシマをみつけると、ふらふらと歩み寄ってきた。
 そんなハンガンは初めてだった。
 「あの方々を死に追いやってしまったのは俺だ。だから…」
 「だから何だ?」
 「御山宗家の家人達も囚われているんだ。命は取られないまでも奴婢の身に落とされてただ家族とも引き離される。俺はあの方に一目会いたくて、謝りたくて…あの方が処刑されるなら俺もすぐ近くで…」
 「お前も死ぬと言うのか、何もしないで。責任だけを感じてあの方々に謝りながら後を追うのか」
 ハンガンは黙って聞いているばかりだった。
 「お前のこんな姿初めて見た。お前は死にたいのか。おやじ殿との約束を守らないのか」
 沈黙のあと
 「俺に生きる資格はない。あの方々だけではない。家人達も仕置きを受ける。俺のせいで…俺に生きる資格はない」とポツリと言った。
 「お前が何をした」ヤシマは言った。
 「あの方を好きになった。いけないことなのに…」
 「あの人を救い出さないのか」
 「何度も考えた。一人なら救い出せるのでは、とずうっと思っていた。でもあの方は、赤子まで命を奪われるのに自分だけ助かることはできないと言った。あの方々全てを助け出すなどできるわけがない。ここを出たとしてもあの方々は王家に一生追われることになる。安住などできるわけもない」
 「本当は俺はここにはいない。俺は、俺は…みんなが囚われるのを横目で見ながら、隙をみて一番高い木に登って枝葉に隠れたんだ。深夜になって屋敷を抜け出て、噂を頼りにここまで来た…他の家人達は『他に家人はいないのか?』と武人に訊かれて、どの家人も『もういない』と答えてた。俺を見逃してくれた。俺だけ生き延びるなんて許されるわけがない」
 「お前、助けられているじゃないか。それならなおさら何もせずにいるより何かしてみようとは思わないのか。お前らしくもない。このままでいれば磔になる人々を目の前にしてお前がするのは後を追うことなのか」
 ヤシマは怒りに任せて、ハンガンの両肩を掴み激しく揺さぶった。
 「ヤシマ」
 ハンガンに、森にいた頃の精悍な表情がほんの少し戻ったように思われた。
 濃く太い眉、大きな目と大きく高い鼻は如実にハンガンの心の動きを表し、喜怒哀楽がこれほど正直に顔に現れるやつはいないとヤシマは思った。
 「俺は、王の命を狙っている」
 ヤシマは言った。
 ハンガンはヤシマをじっと見つめた。
 「ヤシマ。お前こそ、ただ生きろというおやじ殿の言葉を守る気などないではないか」
 「ハンガン、手伝わせてくれ」
 「ヤシマ、本気なのか」
 「お前は必ずそうする奴だ。自分を責めても何の力にもならない。一人ではできないことも二人ならできる」
 ヤシマは言った。
 「お前がそんなことを言うなんて」
 「いつもそう言うのはお前の方だったな」
 ヤシマがそう言うとハンガンは少し笑った。
 引きしまった表情ながら、森で見せていたあの笑顔だった。

 「二人ではないぞ」
 不意に後ろから声をかけられた。
 何の足音も気配もなく降ってきた声に二人は心底驚いた。
 「おやじ殿!」二人は同時にそう言った。
 「静かに!」叱責されてふいに懐かしさと大きな安心感が二人を包み込んだ。
 「三人だ」バンナイは声を落として二人にそう告げた。
 「おやじ殿!」ハンガンがそう言うと
 「声を落とせ。気付かれるぞ。これに目をつむるほどの図太さはお前たちにはない。聞きつければ黙ってはいないだろうと思ってきてみれば案の定だ。ハンガンが関わっているとは思わなかったが…」とバンナイは
 「すみません」ハンガンはうなだれた。
 「ハンガン、お前にとって自分の命よりも大切な人ができたということだな。俺が思っていたよりもずっと早かった。お前は優しいからな。ヤシマの理由はわかっているつもりだが。幸いここは森に近い。森に入れてしまえば簡単には追手は森に入れんから生きる道はできる。しかし彼らは我らとは違うのだ。森が彼らを死に招くかもしれん」
 「磔よりはましではないでしょうか」ヤシマは言った。
 「そうとも限らん。森に入って間もないうちに狂い死にする者もいるのだ。森が受け入れるかどうかもあるのだ」
 「そんなことがあるのですか。おやじ殿。では我らは…」
 ハンガンが言った。
 「そうだ。森に受け入れてもらった、そう思っている。助け出した後どうやって森の入り口まで連れていくか、全てはそれにかかっている。追っ手はすぐ出る。その追手を振り払えるほどの速さで逃げるには馬しかない。馬など簡単には手に入らん」
 「おやじ殿。俺はもうこの世界で生きることはできません。もし助けていただけるなら、森で生きます。赤子は助けたい。そして助けることができた方達と共に赤子を育てます」
 ハンガンは言った。
 「そうだな。そうするしかない。赤子は何としても助ける。長い間暗闇の中にいたお前の想い人も」バンナイは言った。
 「あの方は自分が助かろうと思っていません。自分以外の者たちを助けてほしいと言うはずです」
 「助けようぜ、あのお人を。ハンガン。あのお人は俺たちと同じだ。生きることを許されていない人間だ。だからこそ生きなければいけないんだ。相手がどう思おうと無理やりにでも生きさせるんだ」とヤシマは言った。
 「ありがとう、ヤシマ」
 「お前のためじゃない。王の思う通りにはもうさせない。俺のためだ」
 「お前の目的とやらを助けたい…」とハンガン。
 「お断りだ。邪魔でしかない、足手まといだ」とヤシマは応じた。
 それから、三人は、入念に策を練った。


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