第68話 第二節 サナとの再会 -伝達ー

文字数 1,846文字

 サナは病床に臥して起き上がることもできず寝たきりだった。
 サナと兄のカンが暮らしていたのは、人々が密集する掘立て小屋の連なりの一軒だった。
 その集落には大勢の奴婢がいて、さらにこの地まで逃れて来た者も暮らしていた。
 兄のカンは、行く宛のない者は誰でも受け入れていた。
 月光が入る小窓のかすかな明かりで、家の扉から丸見えの寝台にサナは眠っていた。
 「よいか。何を見ても大きな声を出すな。騒いだりするならすぐに帰ってもらう」
 カンの低く抑えた声がした。
 「心根の優しい民だから悪いことにはならんが、彼らには深い眠りが必要なのだ。毎日が過酷だからな」
 「わかりました」
 静かに寝台に近づくと目を閉じたサナの顔がそこにあった。
 やつれて小さくなったサナだった。
 その姿を目にしてテナンは泣き出していた。
 泣き声が響かぬように顔を寝台のかけ布団に押し付けながら。
 布団がわずかに動き、やせたサナの手がもぞっと出てきてテナンの髪の毛に触れた。
 「母さん…」

 「テナン、俺はこの若者と出かける。しばらく戻らん。サナを預けた。良いな」
 呪術師カンが言った。
 「はい。ありがとうございます」
 小さな声のぼそぼそとした会話だった。
 カンと、ここまで同行してくれた若者の気配はすぐに消えた。
 「母さん良かった、生きていてくれた。母さん」
 サナはテナンの方を見て一言も発さず頭をポンポンと小さく打ったが、力はとても弱いものだった。
 『母さん、どうしてこんな目に…』
 それは心の中でサナに呼びかけた言葉だった。
 『テナン、あなたもそうだったように私もずっと眠りの世界にいたの』
 「え?」
 テナンは驚き思わず声を上げた。
 カンが言うにはサナは大きな声で話すことはできないはず。
 でもいまその声はテナンの耳に届けられている。
 『テナン、私は待っていたのよ、あなたを。あなたは必ず私を探し出してくれるはず。それまでは死ねないと思って私は自分に術をかけた。もうだめかという時に自分を深く眠らせたの。あなたたちが放たれるまで。あなたは少し前に私がいた世界に行っていた。だから呼んだの。テナン・・私の元に来るのです…って。それからあなたがここに近づいてくるのがわかって私も目覚めた』
 『聞きました、かあさん。聞きました!』
 『あなたに会って直接会うまでは私はこの世を去れない。だからあなたを呼んだの』
 『だめ、母さん。そんなこと言っちゃあ。これから母さんは俺が見るから、母さんには長生きしてもらうんだ』
 『テナン、ありがとう。でも私は、いま生きてあなたと会っていることは奇跡といっていいほどいつ亡くなってもおかしくないの。ごめんね、だから私のこれから伝えることを聞いて覚えて』
『なんで? 俺アーサじゃないんだよ。覚えるなんて誰に言ってんの。無理だよ。俺は母さんのそばにいられればそれでいいんだ』
 『テナン、あなたなのよこの役目は。あなたでなければだめなの』
 目の前の母は声を発していない。
 でもその意志の固さは感じられた。
 ありありとサナはテナンを諭していた。
 『テナン、よく聞いて。いま私は術を使っていない。あなたがあなたの中の力を使っているの。わかるわね。私の心の中を読んでいるのよ。これはあなたの力なの』
 『どうして?どうしてそんな力が…』
 『私を思ってくれているからよテナン。私の心の中を読みたいという…それで私は残り少ない呪術の力を使わないで済んでいる』
 『テナン、私の命はもう残り少ない。だからあなたたち六人の役目を私は伝えなければならないの。それが私の置き土産』
 『母さん、だめだそんなこと言っちゃぁ。おやじさまがどんなに母さんに会いたがっているかわかるでしょ。おやじさまは、母さんがいなくなってすぐにでも探しに行きたかったんだ。 でも俺たちのために我慢して我慢して、俺たちを十五の年まで育ててくれたんだ。母さん、おやじ殿は…』
 『わかってるわ。テナン。だから最後の呪術はバンナイさんに伝わるように鷹を呼びます。だからそのうちバンナイさんも来れる。でもねテナン。そのとき私は、この話をバンナイさんに伝えることはできない。だからテナンあなたが聞くのよ』
 『母さん・・・』
 『泣かないで、泣いてる暇はない。しっかり覚悟を決めなさい』
 『久しぶりに母さんに怒られた』
 「ふふふっ」
 自分の外側からサナの笑い声がかすかに聞こえた気がした。
 驚いて顔を上げるとサナが目を開いてじっとテナンを見ている。
 その口元は笑っていた。

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