第40話 第五節 別れ ー過去ー

文字数 3,045文字

 奴婢村の老夫婦に救われ妻の黄泉への旅立ちを見送り数日後、アーサは、ずっと気になっていたことを夫に尋ねた。
 「『白蛇様』と呼び掛けておられましたが、白蛇様とは何なのでしょうか?」
 しばらく沈黙が続いたのち
「私もそう長くはない。あんたがどこのどなたか知らんが、うちにあったことを誰にも語らずに死にゆくのは少し寂しゅうてな。ここにあんたが来てくれたのも何かの知らせ、話を聞いてくれるかの?」と夫は消え入りそうな声で言った。
 「はい、ぜひお聞かせください」
 アーサは決意を込めてそれでいて小さな声で言った。
 夫はゆっくりと噛みしめるように話し始めた。
 「うちはなあ、息子が四人いたんだがなあ、そのうち三人を殺されてしまったんだ。税を納めに行くときに盗賊にやれちまった…」
 子どもを盗賊に殺されるというそんな悲しみがこの夫妻にあったのか、とアーサは暗澹たる思いになった。
 「長男には嫁もいたのにな。その嫁はずいぶん前になるがなぁ、優しい嫁で明るくて長男も喜んでいたんだがなぁ…」
 思い出を手繰るようにしばらく沈黙し、意を決したように、
 「あの年だった」低くうなるように夫は声を絞り出した。
 しばらく黙してからぽつんと夫はつぶやいた。
 「もういいな、話したって。罰は当たらねぇよな」涙声だった。
 ずっと心の奥底に封印して声に出すことのなかった想いが口もとから溢れ出ようとしている。
 それを出してもいいものか葛藤の末、ついに夫は自分に許可を出した。
 「あの年ですか?」
 「知らないのか?」
 「いえ、たぶん、あの年…聞いています」
 「嫁は畑で出産したんだ」声にならない声だった。
 アーサは目を閉じた。俺たちと同じ生まれてはいけない子ども・・・
 「その赤子はどうしたのですか?」アーサは優しく尋ねた。
 「わからねぇ。奴婢の女は子ができようができまいが働き手だからなぁ。よく働いていたよ嫁は。その年は子を産んだら差し出さなければならない。嫁は隠していたんだ。腹もそれほど大きくならなかったしなぁ。おらたちも気が付かんかった」
 アーサは黙って聞いていた。
 「あんたは不思議だなぁ、あの世までもっていく気でいた話をなんだかあんたには話したくなる。俺がおかしいのかな。もしかしたら、おっかぁも逝っちまったし俺も白蛇様のお迎えが近いのかなぁ」涙声だった。
 「あ、あんたが知りたいのは白蛇様だったな」
 「いえ、続きを聞きたいです」アーサは静かにそう答えた。
 「白蛇様は俺たちの守り神様だ。俺たちはずっとずっと昔からこの地に住んでいたこの地の祖と聞いて育った。詳しいことは俺にはわからんね。でもな、俺たちにはときどき白蛇様の力を持つ者が生まれるんだ。それはどこの家と決まってはいない。もうそろそろ子が生まれるという頃、その家の周りに小さな白蛇が出るんだ。その家の者は見ることはない。周りの家の者が見てその家の者に教えてくれるんだ。それが知らせだ」
 アーサはなぜか胸の鼓動が激しくなってきた。
 「そうだよ、近隣の者が『白蛇が何匹もいた』って教えてくれたんだ。でもあの年だったんだよ。ほんとなら救われるって奴婢達みんなが喜ぶことなのに…
 嫁は頑として子などできていない。何かの間違いだと言い張った。赤子を差し出す年に子が生まれるなんて口が裂けったって言えなかったんだ。白蛇様の力を宿した子が生まれることも俺たち奴婢の間の秘中の秘だから、これまでも奴婢以外には当然伝わってはいねぇはずだ」
 夫は淡々と言った。
 「そんなことが王家に漏れたら村全体が危なかったですね」アーサは言った。
 「きっと嫁は生まれる気配を感じて一人夜中に出たんだよ。一人真っ暗闇の畑に…誰の力も借りずに産んだんだろうなぁ。一人で産んでそのあと力尽きて死んじまったんだ」
 「赤子は?」の問いに夫はしばらく沈黙した。
 「いなかったんだ。朝、嫁がいないので息子が探しに出て畑で見つけたんだ。生んだ後はあったが赤子はいなかった。嫁が近くに埋めた様子も見当たらなんだ。そのあと何が起きたのかは考えるだけで不憫で辛いだけだ。考えても仕方がねぇ。ただ嫁が死んじまって長男も俺たちもただ悲しい、それだけだ。四人の子どもはみんなよく働いたよ。長男は特にな。
長男は嫁を失って生きる希望も失くしちまったのかもしれねぇな、盗賊が出るという税納めの運び人をいつも自分からかって出ていた。近隣の者たちはそれでずいぶん助かって感謝もされたよ。毎回運び人をやっていてあるときやられちまった。そしたら次男が今度は行くと言って…続いて三男も行って盗賊にやられちまった。
ついこの間税納めに行ったが、最近強いお人が守り人になって四男は有難いことに助けてもらえたんだ。この四男だけは無事に帰って来れたよ。だけんど、山に橋を架ける工事にすぐに駆り出されていま『西山の道』の山間に行ってるんだ…」
 なんと悲惨な運命だろう。
 アーサはただ聞くしかできなかった。
 しかしどうしても気になることがある。
 「あの…」
 すぐには言葉が続けられなかったが、意を決して「赤子の消息は全くわからないのですか?」と尋ねた。
 「あんなところで生まれた赤子が生きられるわけもねえし、赤子はみんな死んじまう年だから生きていられるわけもねえ。鳥にでも攫われたかなぁ?」と夫は言った。
 アーサの胸にはバンナイとサナの面影がふと過った。何か一つかちりと嵌ったような気がした。
 そこまで言うと夫は何か吐き出したようなすっきりとした表情になった。
 アーサはこの夫妻の深い悲しみに触れた。どんなに理不尽であっても運命を受け入れなければならない奴婢の暮らしを肌で感じた。
 「白蛇様がうちの長男と嫁を選んで力宿す者をお与えくださったと思うと、あの年でなければいま頃その孫はみんなの役に立っていたんだろうがなぁ」
 アーサは「そうですねぇ…」と心からそう思った。
 「白蛇様は俺らの大事な神様なんだ。みんなが帰っていける所にいらして俺らを待って迎えてくださるありがたい神様」
 老人は目を閉じ皺だらけのその手をすり合わせた。
 「僕は白蛇様の力宿すお孫さんが生きて育っているような気がします。そういうお孫さんなら、きっと白蛇様の力が働いていると感じます」
 しばらく続いた沈黙を破ってアーサはそう言った。
 「そんな嬉しいことがあるかなぁ。赤子だよ、いったいどうやって…」
 老人の目に光が差した。
 「きっと何かの計らいで赤子を助けた人がいるかもしれません」
 「あんた嬉しいことを…不思議なお人だねえ。あんたが言うとそう思えてくるよ」
 アーサは意を決して話し出した。
 「私も…私も…あの年に生まれた者です。これ以上はお話できませんが、私のように生きている者もいるのです。まだ他にも…ですから…」
 「そうかそうか。そうだったか。もう言わんでよいよ、あんたが困ることはせんでいい。それだけで十分だ。ありがたいありがたい。こんな俺如きによくぞ打ち明けてくださった。そうかぁ。あんたは…じゃあ孫ももしかしたら生きているかもしれねえなぁ。これからの毎日は孫が生きていると信じて生きていく。そうしよう。残り少ない日々をそうやって生きていくさ。ありがたいなぁあんたは。心配せんでいい。俺はあんたのことは誰にも言わんから」
 老人はアーサに向かって何度も何度も頭を下げ手を擦り合わせた。
 「ありがとうございます。大切なお話を聞かせていただいて…」
 アーサも深く頭を下げた。

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