第70話 第二節 サナとの再会 ー謂れー
文字数 4,848文字
テナンの前にはサナが静かに眠っている。
母さんはおやじ殿に鷹を送るための力を残すために眠りに入ったんだ。
いつも気が付くとサナの手は自分の手に重ねられている。
氷のように冷たい手を今日もテナンは両手で包み込んだ。
あの話は本当に眠りの世界でサナから聞いたのだろうか、それとも自分が勝手にそう思い込んでいるだけなのだろうか……
サナのやせた横顔を見つめて過ごして数日後、呪術師カンが戻ってきた。
サナの顔色を見ると、
「お前が来る前とは全然違う。明るい寝顔だ。安心したのだな。お前に伝えることができたのだな」と言った。
「聞きたいことが山ほどあるんです。教えてください。俺、心の中で母さんと話したような気がするんですが、それが本当に起こったことなのかどうかわからないんだ。そんなことできるんですか。それに呪術師とはいったいどういう人たちなんですか。不思議な力で、病を治したり予言をしたりって何者なんですか。母さんはどういう人なんですか。それに母さんに一体何が起こったんです。どうしてこんな身体に…」
「あわてるな。声が大きい」カンが諭した。
「俺はここで知ったことを、森で共に育った仲間に伝えなければなりません。だからわからないことがないようにしたいんです。全て知りたい」
「…覚悟ができたんだな」
「はい。もうそうするしかないです。 そうするしかないんです。母さんの願いだから」
「お前はもう呪術師のようなものだ。お前は人のできないことをやっている」
「そうは思えませんが、でもとにかく教えてください、大もとのところを。呪術師とは何です?」
「わかった。それではまず私とサナの父のことから話そう。ここからは話が長くなる。そうだな、心の内で会話しよう。なるべく周囲に声を響かせたくないし、お前の練習にもなる」
カンはそう言い、二人は心の内側に入っていった。
『サナと私の父は、呪術師だった。名前はコウハだ。呪術の力は一子相伝だ。だから力が強いのだ。父の呪術はすごかった。雨乞いをするとすぐに効果があった。父の類まれなる呪術の力は、兄である私でなく妹のサナに伝わった。サナは呪術師になるつもりはなかったのだがな。あるとき父は、とあるところで雨乞いの術を成しているとき、忘我の様となり不意に訪れた予言を知らぬ間に口にしてしまったのだ。今日より一年の間に生まれる子が長じて十五の年を迎えたとき、青虎となって横暴なる王を食らうと。
父は、自分では何を語ったのかわからなかったが、そこにいた者たちから聞いて、驚き苦しんだ。王のこれから成すであろうことがわかったから。これより生まれる赤子たちは王によって悉く命を奪われる。父の苦しみは計り知れないものだった。父はサナに、夫のバンナイとともに頼ってきた者の赤子を預かり育てるように、と言った。そして呪術師が一子相伝で伝えていた秘事を伝え、伝説の隠された続きも伝えた。
地に生まれ 森に集いし 六芒星
大地に広がり 縮み縮みしとき
地は源に還る』
『それは母さんから聞きました』
カンは話を続けた。
『預かった子はちょうど六人だった。頼まれれば何人も育てるつもりでいたようだがな。
〈地を源に還す六芒星〉だ。父は処刑される前に獄舎から鷹を使って育て方まで細かく指示していた。サナは父の言いつけを真面目に守った。 『王の耳』は、それから以後もずっと呪術師の娘であるサナを探していた。そしてサナがバンナイとともに六人の子どもを育てるのに必要な物は、サナが私に依頼しそれを私が用意していた。 私には鷹は使えない。だからこの年のこの時期の満月のときこの場所で受け渡すと決めて会うようにしていた。私もお前たちが育つのに力を貸していたのだぞ』
『そうだったのですね、ありがとうございます』
『しかし、ある時サナは自身が『王の耳』に捕らえられることを予知してしまった。ともに行動していたバンナイも森に残されたお前達六人も処刑されることを。これを防ぐためには自分から森を離れるほかないと感じ取り、サナは森を去ったのだ』
『そんな…』
テナンは心臓を掴まれるかと思うほどの悲しみを感じた。
母さんはあのとき俺たちを守るために一人で出ていったんだ。
本当はそんなことしたくなかったはずなのに…
『森を去って程なくのときだった。予言通りサナは『王の耳』に見つかってしまった。サナは応戦したが、特命を受けていた数人に囲まれ何か所も斬られたのだ。私も駆け付け何とか彼らを討ち取ったが、サナは瀕死の状態だった。息も絶え絶えのサナは何と言ったと思う。呪術を兄さんに伝えると言った。少しだけ気力が残っているからと。一人にしか伝えられないからと。痛みに耐えながら呪文を唱え続け術を私にかけ、サナは目を閉じた。それからずっと目が覚めなかった。でもな、呼吸だけはしていたんだ。だから傷口や床ずれに薬草をつけ煎じて飲ませて、とにかく生かすに専心してきた。それがここ最近まで続いていた。そしてようやく目を覚ましたんだ。お前が近くに来たからだな。どうしてもお前に伝えなければならないことがあるからだ』
『そうだったんですか。ありがとうございます。母さんを生かしてくれて。本当にありがとうございます』
テナンは涙を流し頭を下げた。
『それにしても母さんはすごい人ですね』
『そうだ。父親もすごかったがサナもすごい。私はそのあと、呪術の力が開いて呪術師として少しは働けるようになった。だがサナがいるので遠くへはいけなかった。サナの世話が一番大切な仕事だったからな。だから俺は、サナが命を懸けてやり遂げたかったことをさせたいと思っている』
『カンさんもすごいです。武人を相手に母さんを守ってくれた…』
『父は俺には武術をしっかり仕込んでくれたのだ。それが役に立った』
『だいぶわかってきました。では、そもそもなぜ一子相伝の呪術師なる家が生まれたのですか』
『生まれは、この地を侵略した王家が連れてきた移民だ。もともとこの地の主は奴婢たちでその主たちは平和を尊ぶ愛の民だ。 奴婢を守るは白蛇神。 その白蛇神に助けられて、その身を青く変化(へんげ)したのが青虎神。虎が荒ぶるものとしてあったとき、かの地の民、それはこの地を侵略した民なんだが、その民が苦しむのを見かねて、虎の代々の御霊を祀り慰めてきたのが呪術師の家系だ。 だからもともとは市井に入って人々に直接関わり救う役割はなかったのだ。荒ぶるものを鎮めるためには、荒行が必要で日々の荒行から呪術は生まれている。しかし伝説にもあったが、白蛇に病を治してもらった虎がその身を青くしたとき青虎神となって、以降呪術によって荒ぶる虎を鎮める必要がなくなった。こうして呪術は虎の気を鎮めるものから人々を救う術となったのだ』
『では、白蛇神に青虎神は仕えているのですか』
『そうではない。白蛇神と青虎神に上も下もない。あるとすれば恩だろう』
『恩…ですか』
呪術に神々…
少し前の自分なら絶対に信じやしないだろう。
でも実際に心の内で話ができたりしているし、いま世の中で起こっていることを考えれば信じずにはいられない。
『まだあるのか? 聞きたいことは』
『俺はいま言葉を声にしていません。それで話ができています。これは呪術ですよね。これは、呪術師の母さんとあなたが相手だからできたんですよね』
『それはわからん。お前がやってみることだ。お前がいまできているのはなぜか、お前はサナから聞いているのではないか? 試してみることだ。恐れずやってだめでも、何度でも何度でもやってみることだ。呪術は一子相伝の秘儀のはずだったが、俺だけでなくお前も呪術の力が開いたとなると、サナは、呪術師の伝統も変えたのだな…』
そう言ってカンは笑顔でテナンを見た。
サナはその後も眠り続けていた。
呪術師カンの指示に従いながら昼は外に出ずサナに付き添い、夜になると、カンに言われたように仲間の一人に心で呼び掛けてみた。
まずはアーサを選びアーサにサナのことを伝えた。だが何の応答もない。
やはり呪術師としか心の内で会話できないのか。
そもそもそれができること自体驚くべきことなのだ。
でも何度でも試してみる、いまの自分ができることといったらこれしか思い浮かばない。
次はチマナだ。うまくいかないかもしれないという思いと戦いながらも、軽く呼びかけてみる。
『チマナ。俺だ、テナンだ。答えてくれ』
すると、なんと翌日チマナから反応があったのだ!
『いま行く』という感じだった。
はっきりと言葉にはなっていないが、会えるという気がした。
同時にバンナイの気配も感じた。まさか本当にうまくいくとは!
いやまだ分からない。思い過ごしかもしれない。しかしテナンはここ最近なかった心の高揚が身の内に湧き上がってくるのを感じた。それは初めて持った使命感だった。
翌日の夜、バンナイとチマナは現れた。
サナが死力を振り絞って呼んだ鷹がバンナイを案内したのだ。
二人の姿を見てテナンは思わず涙を浮かべた。
もう何年も会っていなかったような気がした。
「もう相変わらずお子ちゃまなんだから」
「チマナだって泣いてるだろ」
「泣いてないわよ!」
チマナの張り手さえ懐かしく感じた。
バンナイは、テナンを黙って強く抱きしめ「ありがとう、テナン」と言いテナンの頭を何度も撫でた。テナンの髪の毛はぐしゃぐしゃになった。
そしてバンナイはサナに駆け寄ると、黙ってサナをかけ物ごと抱きしめて長い間ずっとそうしていた。
こんなおやじ殿は見たことがなかった。
いつも冷静で感情に流されることもなく自分の責任を果たしてきた屈強な男が…
バンナイは声を押し殺して泣いていた。
流れる涙をぬぐおうともしなかった。
チマナも流れる涙をそのままに黙ってそばにいて、ただサナとバンナイに寄り添った。
しばらくして「ふっ」という小さな声が漏れた。
バンナイに強く抱きしめられていたサナが、かすかに目を開け微笑んだように思われた。
それを見て安心したチマナは、テナンの頭に手を伸ばし髪の毛をさらにくしゃくしゃに
してほほ笑んだ。
テナン、呪術師カン、チマナの三人は、サナとバンナイを残して外に出た。
やがて、バンナイが出てきた。
サナにはカンが付き添い、バンナイ、テナン、チマナは人家を離れて畑の方に歩いて行った。
「テナン、チマナ。お前たちはここから出て、他の四人と会って共に行動しなさい」
テナンもチマナもしばらく黙っていた。
そう言われるのはわかっていたように思える。
「どうやって?」チマナが口を開いた。
「俺にはわからんよ。俺ができるのは鷹を使うことと武術だけだ。これはコウハ様が教えてくれたよ。だからサナのような特別な力はない。だがな、これだけはわかる。お前達はもうできるのだ、全て自分達で。お前達の中にその力は備わっている。お前達が求めれば互いに会える。ただ決意すればよいだけだ。互いに引き寄せ合っているからな」
「俺の役割はもう終わった。俺はずっとサナのそばにいたい。サナだけを見て暮らしたい。これからサナがどれだけ生きられるかわからない。でも、たとえそれが三日であったとしてもずっとそばにいる三日にしたい。どうやらお前達には六人でなければ成し得ない大きな役目があるようだな。俺はもうお前達にしてあげられることはない。もう立派に成長した。役目を成し遂げるために他の四人とまず会うことだ。だからもう行け。サナは大丈夫だ、俺がいる」
二人は黙って聞いていた。
「わかったわ。おやじ様。母さんとずっと一緒にいてあげて。ここまで私たちを育ててくれてありがとうございました」
チマナはそう言い深く頭を下げた。
テナンも続けてお礼を言った。
二人の目には光るものがあった。
それを見るバンナイの表情は穏やかだった。
二人はバンナイに背中を向けて歩き出した。
母さんはおやじ殿に鷹を送るための力を残すために眠りに入ったんだ。
いつも気が付くとサナの手は自分の手に重ねられている。
氷のように冷たい手を今日もテナンは両手で包み込んだ。
あの話は本当に眠りの世界でサナから聞いたのだろうか、それとも自分が勝手にそう思い込んでいるだけなのだろうか……
サナのやせた横顔を見つめて過ごして数日後、呪術師カンが戻ってきた。
サナの顔色を見ると、
「お前が来る前とは全然違う。明るい寝顔だ。安心したのだな。お前に伝えることができたのだな」と言った。
「聞きたいことが山ほどあるんです。教えてください。俺、心の中で母さんと話したような気がするんですが、それが本当に起こったことなのかどうかわからないんだ。そんなことできるんですか。それに呪術師とはいったいどういう人たちなんですか。不思議な力で、病を治したり予言をしたりって何者なんですか。母さんはどういう人なんですか。それに母さんに一体何が起こったんです。どうしてこんな身体に…」
「あわてるな。声が大きい」カンが諭した。
「俺はここで知ったことを、森で共に育った仲間に伝えなければなりません。だからわからないことがないようにしたいんです。全て知りたい」
「…覚悟ができたんだな」
「はい。もうそうするしかないです。 そうするしかないんです。母さんの願いだから」
「お前はもう呪術師のようなものだ。お前は人のできないことをやっている」
「そうは思えませんが、でもとにかく教えてください、大もとのところを。呪術師とは何です?」
「わかった。それではまず私とサナの父のことから話そう。ここからは話が長くなる。そうだな、心の内で会話しよう。なるべく周囲に声を響かせたくないし、お前の練習にもなる」
カンはそう言い、二人は心の内側に入っていった。
『サナと私の父は、呪術師だった。名前はコウハだ。呪術の力は一子相伝だ。だから力が強いのだ。父の呪術はすごかった。雨乞いをするとすぐに効果があった。父の類まれなる呪術の力は、兄である私でなく妹のサナに伝わった。サナは呪術師になるつもりはなかったのだがな。あるとき父は、とあるところで雨乞いの術を成しているとき、忘我の様となり不意に訪れた予言を知らぬ間に口にしてしまったのだ。今日より一年の間に生まれる子が長じて十五の年を迎えたとき、青虎となって横暴なる王を食らうと。
父は、自分では何を語ったのかわからなかったが、そこにいた者たちから聞いて、驚き苦しんだ。王のこれから成すであろうことがわかったから。これより生まれる赤子たちは王によって悉く命を奪われる。父の苦しみは計り知れないものだった。父はサナに、夫のバンナイとともに頼ってきた者の赤子を預かり育てるように、と言った。そして呪術師が一子相伝で伝えていた秘事を伝え、伝説の隠された続きも伝えた。
地に生まれ 森に集いし 六芒星
大地に広がり 縮み縮みしとき
地は源に還る』
『それは母さんから聞きました』
カンは話を続けた。
『預かった子はちょうど六人だった。頼まれれば何人も育てるつもりでいたようだがな。
〈地を源に還す六芒星〉だ。父は処刑される前に獄舎から鷹を使って育て方まで細かく指示していた。サナは父の言いつけを真面目に守った。 『王の耳』は、それから以後もずっと呪術師の娘であるサナを探していた。そしてサナがバンナイとともに六人の子どもを育てるのに必要な物は、サナが私に依頼しそれを私が用意していた。 私には鷹は使えない。だからこの年のこの時期の満月のときこの場所で受け渡すと決めて会うようにしていた。私もお前たちが育つのに力を貸していたのだぞ』
『そうだったのですね、ありがとうございます』
『しかし、ある時サナは自身が『王の耳』に捕らえられることを予知してしまった。ともに行動していたバンナイも森に残されたお前達六人も処刑されることを。これを防ぐためには自分から森を離れるほかないと感じ取り、サナは森を去ったのだ』
『そんな…』
テナンは心臓を掴まれるかと思うほどの悲しみを感じた。
母さんはあのとき俺たちを守るために一人で出ていったんだ。
本当はそんなことしたくなかったはずなのに…
『森を去って程なくのときだった。予言通りサナは『王の耳』に見つかってしまった。サナは応戦したが、特命を受けていた数人に囲まれ何か所も斬られたのだ。私も駆け付け何とか彼らを討ち取ったが、サナは瀕死の状態だった。息も絶え絶えのサナは何と言ったと思う。呪術を兄さんに伝えると言った。少しだけ気力が残っているからと。一人にしか伝えられないからと。痛みに耐えながら呪文を唱え続け術を私にかけ、サナは目を閉じた。それからずっと目が覚めなかった。でもな、呼吸だけはしていたんだ。だから傷口や床ずれに薬草をつけ煎じて飲ませて、とにかく生かすに専心してきた。それがここ最近まで続いていた。そしてようやく目を覚ましたんだ。お前が近くに来たからだな。どうしてもお前に伝えなければならないことがあるからだ』
『そうだったんですか。ありがとうございます。母さんを生かしてくれて。本当にありがとうございます』
テナンは涙を流し頭を下げた。
『それにしても母さんはすごい人ですね』
『そうだ。父親もすごかったがサナもすごい。私はそのあと、呪術の力が開いて呪術師として少しは働けるようになった。だがサナがいるので遠くへはいけなかった。サナの世話が一番大切な仕事だったからな。だから俺は、サナが命を懸けてやり遂げたかったことをさせたいと思っている』
『カンさんもすごいです。武人を相手に母さんを守ってくれた…』
『父は俺には武術をしっかり仕込んでくれたのだ。それが役に立った』
『だいぶわかってきました。では、そもそもなぜ一子相伝の呪術師なる家が生まれたのですか』
『生まれは、この地を侵略した王家が連れてきた移民だ。もともとこの地の主は奴婢たちでその主たちは平和を尊ぶ愛の民だ。 奴婢を守るは白蛇神。 その白蛇神に助けられて、その身を青く変化(へんげ)したのが青虎神。虎が荒ぶるものとしてあったとき、かの地の民、それはこの地を侵略した民なんだが、その民が苦しむのを見かねて、虎の代々の御霊を祀り慰めてきたのが呪術師の家系だ。 だからもともとは市井に入って人々に直接関わり救う役割はなかったのだ。荒ぶるものを鎮めるためには、荒行が必要で日々の荒行から呪術は生まれている。しかし伝説にもあったが、白蛇に病を治してもらった虎がその身を青くしたとき青虎神となって、以降呪術によって荒ぶる虎を鎮める必要がなくなった。こうして呪術は虎の気を鎮めるものから人々を救う術となったのだ』
『では、白蛇神に青虎神は仕えているのですか』
『そうではない。白蛇神と青虎神に上も下もない。あるとすれば恩だろう』
『恩…ですか』
呪術に神々…
少し前の自分なら絶対に信じやしないだろう。
でも実際に心の内で話ができたりしているし、いま世の中で起こっていることを考えれば信じずにはいられない。
『まだあるのか? 聞きたいことは』
『俺はいま言葉を声にしていません。それで話ができています。これは呪術ですよね。これは、呪術師の母さんとあなたが相手だからできたんですよね』
『それはわからん。お前がやってみることだ。お前がいまできているのはなぜか、お前はサナから聞いているのではないか? 試してみることだ。恐れずやってだめでも、何度でも何度でもやってみることだ。呪術は一子相伝の秘儀のはずだったが、俺だけでなくお前も呪術の力が開いたとなると、サナは、呪術師の伝統も変えたのだな…』
そう言ってカンは笑顔でテナンを見た。
サナはその後も眠り続けていた。
呪術師カンの指示に従いながら昼は外に出ずサナに付き添い、夜になると、カンに言われたように仲間の一人に心で呼び掛けてみた。
まずはアーサを選びアーサにサナのことを伝えた。だが何の応答もない。
やはり呪術師としか心の内で会話できないのか。
そもそもそれができること自体驚くべきことなのだ。
でも何度でも試してみる、いまの自分ができることといったらこれしか思い浮かばない。
次はチマナだ。うまくいかないかもしれないという思いと戦いながらも、軽く呼びかけてみる。
『チマナ。俺だ、テナンだ。答えてくれ』
すると、なんと翌日チマナから反応があったのだ!
『いま行く』という感じだった。
はっきりと言葉にはなっていないが、会えるという気がした。
同時にバンナイの気配も感じた。まさか本当にうまくいくとは!
いやまだ分からない。思い過ごしかもしれない。しかしテナンはここ最近なかった心の高揚が身の内に湧き上がってくるのを感じた。それは初めて持った使命感だった。
翌日の夜、バンナイとチマナは現れた。
サナが死力を振り絞って呼んだ鷹がバンナイを案内したのだ。
二人の姿を見てテナンは思わず涙を浮かべた。
もう何年も会っていなかったような気がした。
「もう相変わらずお子ちゃまなんだから」
「チマナだって泣いてるだろ」
「泣いてないわよ!」
チマナの張り手さえ懐かしく感じた。
バンナイは、テナンを黙って強く抱きしめ「ありがとう、テナン」と言いテナンの頭を何度も撫でた。テナンの髪の毛はぐしゃぐしゃになった。
そしてバンナイはサナに駆け寄ると、黙ってサナをかけ物ごと抱きしめて長い間ずっとそうしていた。
こんなおやじ殿は見たことがなかった。
いつも冷静で感情に流されることもなく自分の責任を果たしてきた屈強な男が…
バンナイは声を押し殺して泣いていた。
流れる涙をぬぐおうともしなかった。
チマナも流れる涙をそのままに黙ってそばにいて、ただサナとバンナイに寄り添った。
しばらくして「ふっ」という小さな声が漏れた。
バンナイに強く抱きしめられていたサナが、かすかに目を開け微笑んだように思われた。
それを見て安心したチマナは、テナンの頭に手を伸ばし髪の毛をさらにくしゃくしゃに
してほほ笑んだ。
テナン、呪術師カン、チマナの三人は、サナとバンナイを残して外に出た。
やがて、バンナイが出てきた。
サナにはカンが付き添い、バンナイ、テナン、チマナは人家を離れて畑の方に歩いて行った。
「テナン、チマナ。お前たちはここから出て、他の四人と会って共に行動しなさい」
テナンもチマナもしばらく黙っていた。
そう言われるのはわかっていたように思える。
「どうやって?」チマナが口を開いた。
「俺にはわからんよ。俺ができるのは鷹を使うことと武術だけだ。これはコウハ様が教えてくれたよ。だからサナのような特別な力はない。だがな、これだけはわかる。お前達はもうできるのだ、全て自分達で。お前達の中にその力は備わっている。お前達が求めれば互いに会える。ただ決意すればよいだけだ。互いに引き寄せ合っているからな」
「俺の役割はもう終わった。俺はずっとサナのそばにいたい。サナだけを見て暮らしたい。これからサナがどれだけ生きられるかわからない。でも、たとえそれが三日であったとしてもずっとそばにいる三日にしたい。どうやらお前達には六人でなければ成し得ない大きな役目があるようだな。俺はもうお前達にしてあげられることはない。もう立派に成長した。役目を成し遂げるために他の四人とまず会うことだ。だからもう行け。サナは大丈夫だ、俺がいる」
二人は黙って聞いていた。
「わかったわ。おやじ様。母さんとずっと一緒にいてあげて。ここまで私たちを育ててくれてありがとうございました」
チマナはそう言い深く頭を下げた。
テナンも続けてお礼を言った。
二人の目には光るものがあった。
それを見るバンナイの表情は穏やかだった。
二人はバンナイに背中を向けて歩き出した。