第36話 第二節 救出行 ー難関ー

文字数 2,246文字

 通りを眼下に臨み、一行はいったん木々の茂みにしばらくの間身を潜めた。   
 この作戦の最後の難関は『おそろしの森』へと至る人目に付くこの大通りをしばらく歩かなければならないことだった。
 時が経ち夕闇が迫ってきたが、この人数で一緒に歩くことはできない。
 ぼろを着て泥をつけ疲れ切ってはいても、子女たちはそこはかとなくおっとりとした貴族の風情を残していた。
 見る者が見ればおかしいと思うだろう。
 話しかけられれば、彼らの言葉は街あいの人や農夫たちとは違うのだ。
 三人の母御は皆美しく子女たちは母譲りの涼やかな風貌をしている。
 不埒な男どもに目をつけられないとも限らない。
 通りを歩く人々が騒がしくなってきた。その会話に耳を傾ける。
 「武人たちがここに来るようだぞ」
 「そりゃまたどうして?」
 「囚人が逃げてそれを血相変えて追っているそうだ。半日馬を飛ばして八方手を尽くして探し回っても見つからねえそうで、王が『おそろしの森』への道を塞げ、と命を下したそうだ」
 「あの森になんかいくらなんでも行かねえだろうに」
 「だからだよ。どこに逃げてもいずれ捕まる、森で死ぬ方がましだと考えたなら森に向かうだろうと王は考えた訳よ」
 「どうしても生きて捕まえてその場で首を刎ねろってよ。その首をその目で見届けなければ気が済まねぇんだろうよ」
 「だったら武人たちが大挙してやってくる前に早めに帰ろうぜ。気が荒い方々だ。あらぬ疑いをかけられても困るしよ」
 心なしか通りを行く人々の足が急に速くなってきている。
 ヤシマは背筋が凍るのを覚えた。
 通りに出るのは夜になってからの方が安全だと思っていたが、状況は変わっていた。
 早急に出なければならない。そういますぐに!
 作戦はこうだ。
 大人数だと怪しまれるので細かく分けたいが、貴族だけにはできない。
 貴族を三手に分けて、それぞれの組をバンナイ、ハンガン、ヤシマが率いていく。
 まずヤシマが、長男と赤子、次男三男とまとまって『おそろしの森』に入り、人が立ち入らないところまで行ってからヤシマだけは引き返す。
 ヤシマとともに先に森の入った者たちは森で待つ。
 腹をすかせて赤子が泣いたとしても人に見つかる心配はない。
 しかし恐れてその場を少しでも動けば、ヤシマ、バンナイといえど見つけられない。
 幸い恐怖より疲れの方が勝っているだろう。その場にただ待つ。それだけだ。
 バンナイは長男の妻と長女を連れていくが一番足が心もとない。
 ヤシマが戻ってどちらかの子女と二人ずつに分かれる。
 ハンガンはりりを背負い走っていき最初の組に合流する。
 そしてヤシマ組が出発した。
 赤子は荷物のようにヤシマが背負った。
 「俺は赤子を守るのに精一杯です。もし赤子が泣いたら走ってください。俺についてこれなかったら助かりません」ヤシマは三兄弟に言った。
 「あなたは父親です。もしものときは赤子のためにも走り抜いてください」
 長男は覚悟を決めたように引き締まった顔をした。
 次男は十三歳ぐらいだろうか。一見は気弱そうな風貌だが決して弱音を吐くまいと口を真一文字に結び唇を嚙みしめていた。
 十歳ほどの三男は落ち着かず、兄たちを何度も見上げ不安げな表情をしていた。
 「辛かったら父母を思ってください」と三男を見つめてヤシマは静かに言った。
 男四人が大通りに躍り出た。
 足をくるんだ布を泥で汚して、大通りを黙々と歩きだした。
 いまのところ怪しまれる様子はない。
 足早に歩を進める周辺の通行者も自分たちのことで精一杯だったのだろう。
 三人は、ヤシマにピタリと寄り添っていた。
 ヤシマは背で眠る赤子に「頼むぞ、みんなのためにいまだけは泣かないでくれ」と心の中で懇願するばかりだった。
 かなりの速足だ。ヤシマは一番年下の子息の手を引きながら先へ先へと進んだ。
 家々が並ぶ通りに差し掛かっても一行は何事もなく大通りを通過していった。
 ヤシマの組を見送った直後、バンナイが長女と長男の妻を連れて大通りに出た。
 長女は縁談がまとまりかけ破談になったばかりの年頃の娘であり、また長男の妻もまだ年若く目を引きやすい。
 ヤシマたちの背中がずいぶん先に見えてどんどん小さくなっていく。
 案の定、農夫とみられる格好の男が長男の妻にいきなり声をかけてきた。
 「もし、娘さん。そんななりではもったいないほどの姿じゃありませんか。あんたら暮らしに困ってませんか。お困りなら…」と男は二人の娘の顔を下から覗くように無遠慮に近づいてきた。
 「心配には及ばん」とバンナイは男と娘たちの間に割って入った。
 「お父さんですか。そんなつれないこと言わないで。娘さんに綺麗な服着させてたらふく美味しいもん、食べさせてあげましょうよ」
 男の作り笑いの頬が引きつっていた。
 「俺は父親じゃねぇよ。こいつらはな、おれが先に買ったんだ。邪魔するな」
 バンナイはやにわに相手の腕を掴むとグイッとひねった。
 「いててっ、そんならそうと…同業だったのか。わかったわかった。放してくれよ」
 一人では敵わないと察した男が腕をさすりながら反対方向へ走り去っていった。
 急がなければ、あの男が仲間を呼んでくるかもしれない。
 簡単にこの娘たちを諦めはしないだろう。
 「すまん。失礼な事を言った。ああいう輩は諦めが悪い。急ごう」
 バンナイは二人を急かせた。
 「いえ、ありがとうございました」
 二人は傷だらけで痛む足をひきずりながら、懸命にバンナイについていった。

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