第90話 第一節 大改革 ー不穏な動きー

文字数 3,014文字

 二つの大きな災禍を経ながら、人々が何とか暮らしているのは並々ならぬ奴婢の努力に他ならなかったが、現実は更なる試練を人々に与えた。
 田畑が各所で被害を受けたことで、いよいよ深刻な食料不足になってきたのだ。
 王も貴族もその機能を失して政治をしようにも王宮の三分の一は焼失し、高い天井は柱が折れている方向へ傾いて人が集まる場所ではなかったし、貴族も散り散りになり集まろうという気力もなかった。
 暴徒はそこここで人を襲う計画を立て始めた。
 奴婢の献身が徒労と化すかのような略奪や搾取など暴挙の増加で戦々恐々とし、人々は疲れ果てていた。
 いよいよ国は崩壊の一途を辿るかと思われた。
 ヤシマは父親と相談し武人を招集し、暴徒を取り締まり人々を守ることにした。
 二人で馬を駆って武人を見つけては声をかけて回った。
 ヤシマの父に説得されてやっと集まった二十人の武人の隊は、二隊に分かれ暴徒を見つけては動きを封じたが、あちらこちらで上がる火の手に追いつかずにいた。
 ヤシマも悶々としていた。
 とうとう人々の噴き上がる不満は奴婢に向かった。
 きっかけは、奴婢の献身によって人心がしだいに奴婢を受け入れるようになっていく様を快く思わない男が放った一言からだった。
「奴婢達は、我らに恩を売りこの機に乗じて我らにとって代わろうとしている。そんなことを奴婢達が話しているのを耳にした」という根も葉もない呟きだった。
 これで奴婢を痛めつける口実ができたとばかりに、不満分子は通じ合い結束し始めた。
 奴婢を襲う計画は密やかに速やかに広がっていった。
 公然と武器が集められ、襲撃をかける人員は増えるばかりだった。
 サナからテナンに向けて、呪術師カンが襲撃計画参加の輩から呪術によって聞き出した襲撃の日時と集結場所が頭に送られてきた。
 サナは、自分は大丈夫だから救助活動に行くようにとバンナイを説得し、バンナイとカンは救助活動に勤しみながら人々のやり場のない怒りが奴婢に向かないように懸命に働きかけた。
 川村の地主カムルはヤシマを雇って以降、奴婢について徐々に考えが変わっていった。
 二つの大きな厄災の後の奴婢の振る舞いはカムルを目覚めさせ、芋をもらい飢えを凌げ
たときは心から礼を言った。
 襲撃計画を知ると、参加を決めた小作人達をやめるよう説得し十数人を思い止まらせていた。
 同様に届け物屋の主と若衆も、参加しようとする人々を懸命に止めていた。
 テナンと少しの間生活をともにした土器職人は、参加しようとする隣人に、人の道に外れていることを懸命に説いた。
 職人は、掴んだ情報を頭に描きテナンに届くようにと願った。
 「われらの土地に奴婢は入れない。奴婢は再び奴婢に」を旗印に、襲撃の日は刻々と近づいていくのだった。
 シーナは長老とともに白蛇神に日々祈願し、ヤシマは父と取り締まりに奔走し、他の四人は二手に分かれ市井に潜入し決行の日時や方法などの情報を探るべく動いていた。
 六人と協力者達は、奴婢達を一滴の血も流させず助けるにはどうしたらよいかを話し合った。
 「助けられていながら助けてくれる人々を襲うのか。無抵抗だとわかっている人々を突然襲うなど許せない。奴婢達に武器を持たせよう。せめて自分の身を守るように…」
 ヤシマは怒りに拳を震わせながら言った。
 「だとしてもやられるよ。命を失う人も傷つく人もたくさん出る。あいつらはそれを目的にしてやってくるんだ…」テナンは言った。
 「理不尽に襲われて命を奪われる憂き目を、奴婢達にこの先も味わわせるわけにはいかない。誰一人傷付かずに助け出す方法がきっとあるんだ。僕は白蛇神に試されている気がして仕方ないんだ。 チマナとヤシマが青虎になってるんだよ。 何にも手がないはずないよ」
 すると、シーナが目を閉じ、突然歌い始めた。

「ルルルルルルルルルルーーーーールルルルルルーーーー」

 澄んだその声は森の上空に広がり辺りを包み込むようだった。

 その場にいる者達は、そこに白蛇の守りの力が働いていることを感じた。
 歌声が消えて、静寂が包んだときだった。
 「決行日の前夜に、奴婢村に住む人々を全て地下道に誘導して、奴婢村をもぬけの殻にするのはどう?」チマナが言った。
 「俺もそれが浮かんだ」
 「俺もそう思う」
 「僕も」
 「それだ」
 ハンガン、テナン、アーサ、ヤシマが同時に声を発した。
 「こちらが気付いていないかのようにして油断させるには、その深夜に全員が地下に行くしかない。ここしかないんだ」テナンが呟いた。
 「地下道を使って奴婢村の若者を集めてください。 明後日の晩には若者たちに伝えなければなりません。よろしくお願いします」
 シーナが全員に頭を下げた。
 「わかった」
 全員が頷き「シーナ、その丁寧な言葉やめない? 頼むよ」とテナンが呟いた。
 それにも全員が頷いた。
 「地下道があることと、それぞれの森にある洞穴や地面にある出入り口の見つけ方を伝授せねばならん。集まる若者の数は多ければ多いほど助かる。私も行く」
 長老が言った。
 「もちろん俺も行くぞ」駆けつけていたバンナイもそう言った。
 「僕は父とハンナさんにも頼んで動いてもらう」アーサが言った。
 「りり様やその兄上や姉弟達も動いてくれるはずだ」とハンガンが言った。
 「俺も父と兄弟に。信頼できるから大丈夫だ」ヤシマが言い、
 「俺には伝える力があるからな、世話になった土器の親方や届け物屋のご夫婦や若衆がやってくれるよ」とテナン。
 横からチマナが「調子に乗るな、この自慢野郎が」と肩を小突いた。
 「油断大敵だった。内側に敵がいた…骨折れたかも…」とつぶやいた。
 「私もあの女の子たちが頑張ってくれる」とチマナが言うと、「私もって、それも自慢だからな」というと素早くハンガンの陰に隠れ、ハンガンが肩にチマナの一発を喰らいかけたが、ハンガンは察知していたかのようにチマナの拳を寸前で掴んで、その勢いでのけ反りテナンを押しつぶした。
 緊張がほぐれ、皆に笑いが起きた。
 「あ、私、叔父にも伝えて、動ける若者を伝達係に回してもらう…」シーナが呟いた。
 改まった言い方でないシーナに、その場のみんなから拍手が起きた。
 それぞれの迅速な行動が功を奏し、瞬く間に全ての奴婢村に、来るべき日に地下道に避難することが伝わり、出入り口の所在も集まるときに使用したことで使った若者達の記憶に刻印された。
 避難日の伝達方法も確認され、準備は整った。
 とうとう決行日が三日後の早朝だという情報を掴んだ。
 ヤシマはいつも通り父とその配下とともに町や村を回ったが、襲撃は一つもなく不気味な静けさが漂っていた。
 世話になっている奴婢たちへの憐れみと何もできない申し訳なさを感じている人々、奴婢たちが襲われることで自分達には怒りの矛先が向けられないことへの秘かな安堵を感じている人々、そして奴婢はこのまま奴婢でいるべきだと襲撃を肯定している人々に分かれ、事の成り行きを、息を潜めてみている気配だった。
 決行の夜、小雨が降っていた。
 バンナイ、カン、りり、りりの兄姉弟、ヤシマの父と配下、アーサの家族、ハンナ、土器の親方、届け物屋の主人夫婦や若衆、チマナが救い出した元『天女如心』の少女達、それら協力者の力とサナやルアンの祈りが加わり、奴婢達は一晩をかけて全員が地下道に避難し奴婢村には全く人の姿や気配がなくなった。





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