第2話 第一節 森が隠した子どもたち ー回想ー

文字数 3,167文字

 ふと気づくと、仲間との暮らしを思い出している。
 おやじ殿と母さんは命がけで俺たちを育ててくれた。それはこの身がよくわかっている。
 傷だらけで戻ってきたヤシマを何も言わずに小屋に入れ、すでに集めてあった薬草で傷の手当てをしてくれた。
 小さい頃は泣きたくなるほどの痛みに感じた。
 そんなときは、決まってシ―ナが突進してきて抱きつき大きな声で泣き出した。
 そのあとに続くように、ハンガンやテナンが肩を抱いてきた。
 ア―サはじっと突っ立ってヤシマを見ていた。
 チマナは最後にやってきて、決まって手のひらでペシンと頬を打ってきた。
 他の五人と仲が悪かったわけではない。しかし仲よくしてどうなる。いずれ別れは来る。
 いっしょにいてはいけないとまで言われている。
 心を彼らに残すことが許されないなら一人でいることに慣れなければならない。
 ヤシマは小さい頃からそう考え、考えた通りに行動してきた。
 
 武術は幼いころからの日課だった。
 練習が始まり早々に音をあげるのは、体の小さいシ―ナだった。
 シ―ナの息が上がり足もとがふらつくと、養い親のバンナイはシ―ナに休むように促した。
 その次に上がるのはア―サだった。
 ア―サは勉強に飛び抜けた才を見せ、何でも素早く理解し物事の奥深くまで知りたがってバンナイを困らせた。
 しかし武術や身体を動かすことにかけては長けていなかったし、努力をしようという気力も見せなかった。
 次はテナン。
 「おれ、もう十分。いっぱいだぁ。今度はお腹の方をいっぱいにしたいなぁ」
 「わかった。テナン。アーサとシーナを連れてポムを籠いっぱい採ってこい」
 バンナイは、笑いながらテナンにそう声をかけた。
 ポムは、黄色い皮をむくと白い実がぎっしりとつまり、口にした瞬間から甘みが口いっぱいに広がる木の実だ。
 水分がたっぷりあることから動き回った後には一つ食べるだけで水分もお腹も満たされた。
 どんなに疲れていてもポムをいくつか食べると元気が漲る。
 「はい、おやじ殿。かしこまりました。ア―サ、シ―ナ行くぞぉ」
 籠を背負うとポムのなる方へと走っていった。
 テナンはシーナと手を繋ぎ引っ張るように走りだした。
 「おーい、テナン。シ―ナをおいていくなよ。ちゃんと連れ帰ってくれよ」
 まだ練習中のハンガンが声をかけた。
 「何よ、あいつ。あんなに元気に駈けだして。全然伸びてないじゃない」
 チマナはそう言った。
 やがてチマナが練習を終わり、ハンガンが次いで終わる頃、籠いっぱいにポムを採ってきたテナン達が帰ってきた。
 しかしヤシマとバンナイの練習は終わらなかった。
 「先に食べてろ」ヤシマとバンナイの練習は過酷なものだった。
 いつの間にやら、バンナイが本気で相手をしなければならないくらいヤシマは腕を上げていた。
 木刀を巧みに扱いながら散在する木々を避け、鋭く打ちこまれる互いの剣先をかわし、二人はいつの間にか、小屋からも他の五人からも遠いところで相対していた。
 二人の交わす木刀の響きと枯れ葉をかき分ける激しい足さばきの音が消えるのは、日がとっぷりと落ちてからのことだった。
 「あの二人はいつもああだなぁ。ヤシマはお腹がすかないのかなぁ。俺だって相当動いていると思うけど、あいつの動きは疲れ知らずだ」
 ハンガンはため息をついた。
 「いいの、いいの。やらせておけば。こちらはおいしくいただこう。運動のあとのポムはたまらん」とテナンがポムを取る。
 「ちょっと待った。シ―ナは?」とチマナ。
 「えっ、いない? 帰りは大丈夫だと思ってた。アーサどれくらい後ろにいた?」
 テナンが尋ねる。
 「ついさっきまで振り返ってついてくるのを見てたんだけど…」
 「二人ともいっつもとこれだ。シーナは近いところでも迷うよ。そのうち違う方へ行っちゃうじゃない。私迎えに行ってくる」
 チマナが立ち上がると、「俺が行くよ」テナンが制した。
 「俺も行こう。シ―ナを背負わなきゃいけないだろうから俺がいた方がいい」
 ハンガンが加わった。
 「ありがたい。こっちだ」
 テナンとハンガンが連れだってポムのなる木々の方へ向かって走り出した。
 「あんたは行かないの?」チマナがア―サに問うと
 「役に立たなきゃ行っても意味ないから」と答えた。
 「なるほど」とチマナはアーサを見た。
 「ヤシマはどうして取り憑かれたかのように武術を練習するのだろう」
 チマナがつぶやいた。   
 「僕は少しわかる。十五の歳に僕たちはこの森から出て外界で暮らすんだ。そのときに何か一つ誰にも胸を張れるものがなければ、おやじ様がいう、生きることそのものが危うくなる。
 ヤシマが生き抜く術は武術にあるのだと思う」
 枝に覆われてその隙間から見える空を探すようにアーサは答えた。
 「あんたは学問というわけね、その生きる術が…」
 チマナはつぶやくように言った。
 「学問がどう働くのかわからないけど、邪魔にはならない。どこにいても何かしらで役に立つと思ってる。チマナはどうするの?」
 「私は…そのうち考えるわ」
 チマナは投げやりに言った。
 そんなチマナを心配そうにア―サは見つめていた。
 もっと心配なのはシ―ナだ。
 二人は同時にシ―ナのことを思った。
 やがてハンガンが疲れ切ったシ―ナを背にテナンと共に戻り、五人でポムを食べるのだった。 
 元気いっぱいになると、すぐに木切れの投げ合いが始まった。
 夜、チマナ、アーサ、テナン、ハンガンの四人は、バンナイとヤシマの練習時自分たちに起きたこと、会話までこと細かくヤシマに伝えてきた。
 ヤシマに報告するのがおもしろくて仕方がないかのように代わる代わる言葉を発していた。
 しかしヤシマはろくに返事もしなかった。早く眠りたかった。
 
 『おそろしの森』とはいえ、ひとたび森に入れば、動物たちが生き延びるための食物は四季折々実っていた。
 広大な森を歩きまわれば、動物たちの足跡が木の実のありかを教えてくれる。
 子どもたちが幼い頃はバンナイと妻のサナが木の実を集めた。
 森の恵みは果実となって子どもたちの成長の糧となった。
 水分を蓄え甘みもたっぷりな果実は、乳にありつけない乳児の時代や幼児の時代にも子らを生き延びさせ、子らが森を走り回るまでに成長させた。
 長じては自分達で探せるまでになっていた。
 彼らは森の動物たちには一切手をつけなかった。
 バンナイの教えだった。
 「命は木々からもらえ。数日食べなくても死ぬことはない。水は豊富にある。至るところに湧き出でる水がある。食べ物がないときは水を飲み、木漏れ陽を浴び深い呼吸をしろ。
 太陽から目を離すな。木々が光を和らげてくれている。大丈夫だ。お前たちはこの森の木々と同じだ。それで生きられる」
 ポムは子どもたちがつけた名前だ。
 バンナイは、森の中の果実の名前については知らなかったが、動物の様子を観察したり、自分が毒見をして木の実の特性を見分けていった。
 
 小さい頃から、森を出て早く一人で生きたいと思っていた。
 十五の花の月、待ちわびていたその日がやってきた。
 森で懸命に武術に励み身体作りを行ってきた。
 自分達が生きることを許さなかった世界へ出たのだ。
 おやじ殿がいうように生き抜く。ただ生きるのではない。自分達の人生を狂わせた王とやらに必ず会い、
 「お前が恐れていた人間はこの俺だ、俺は生きている」と告げるのだ。
 そして、どんな顔をするのかこの目で見てやる。
 ハンガンよりは背が低いが、おやじ殿の背丈をゆうに越している。
 他の五人は自分のことを、身体は引き締まり鋭い目をもち意志の強い顔をしていると言う。
 また、大人びて見えるから年齢は十六か七と言っても通るだろうと言う。
 もとよりそうするつもりでいた。
 できればニ十歳ぐらいで通す。

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